聖女の外典
第八話







 真っ直ぐに命を狙ってくる細剣レイピアの刺突を、旗の柄が甲高い音を立てながら逸らす。
 だが例え細剣レイピアを外されようとも、それを振るう人間の戦法は変わらない。
 その剣は命中しようが、外れようが、すぐさま剣を引き戻すというのが鉄則だからだ。
 木立と木立の合間、その狭い風景を横切る燕のように、シュヴァリエ・デオンの剣は短
い風切り音を立てながら、幾度となく殺到する。
「くっ!!」
 苦悶の表情をしながら、棒と言ってしまっても差し支えのない武器でそれを受けるのが、
ジャンヌ・ダルクその人である。
 シュヴァリエ・デオンの細剣は竜騎兵連隊長が帯びるのに相応しい名剣ではあるが、逸
話や加護と言った特殊性が宿る宝具ではない。
 その剣は決闘に特化しており、その理念は相手の目に映らない事を至上としている。
 例えばランサーの槍、その穂先が最速を誇ろうとも、突き出される槍はそこ・・にある。
 その穂先が目に映らない程の速度を出そうとも、槍は右手と左手を結ぶ一本の線、その
延長線上に、見えずとも槍は必ず存在する。
 つまり予測は可能なのだ。
 だが細剣レイピアは右手を突き出すという動作の先、それが何処を示すか全く予想がつかない。
 
 真っ直ぐに放たれる一撃が、果たして何処を狙っているのか……。首を狙うのか、胸を
狙っているのか、それとも足を狙うのか……。それは細剣レイピアの使い手が手首を返す方向によっ
て、縦横無尽に奔る。それを予測するのは不可能に近い。
 だから本来、細剣レイピアと相対するに際して受けるという選択肢はない。
 その攻撃はスゥェー、もしくは距離をとることで回避するものである。
 予測や、受けが成立しないのであれば、剣の間合いから離れればいいという発想である。
 だがジャンヌはしっかりと地に足をつけ、直感と同等スキルである啓示を用いて、目に
映らない剣を懸命にいなしている。
「ハァァ!!」
 細剣レイピアを受けるタイミングで、ジャンヌは気合いと共に旗を大きく振るう。
 本来レイピアを受ける事ができないように、レイピアにもまた受けはない。
 そんな真似をすれば細い鋼は容易く、折れ砕けてしまう。
 だがバーサークセイバーは、襲い来る膨大な圧力を手首、腕、肘、肩と寸分の狂いなく
連動させ、見事衝撃を殺しきった後、大きく身を翻して距離をとった。
「流石に堅いな……」
 呟く騎士に、疲労の色はない。
 攻め立てる彼は圧倒的に優位に立ち、受ける聖女は常に命を晒し続けている。
「此処まで相性に差がでますか」
 数え切れない程の瞬間的攻防を経て、聖女はその相性の悪さを改めて実感する。
 ルーラークラスの『特権』を持たないジャンヌ・ダルクを一己のサーヴァントとして評
価するなら、彼女はその規格外の対魔力により、キャスタークラスに対して圧倒的優位に
立ち、啓示スキルにより、アサシンクラスの暗殺を未然に察知するといった具合である。
 さらに言うならばルーラーはその宝具の特性上、大出力の宝具を保有するサーヴァント
に対しても有利である。
 だがそれは逆を言うならば、ジャンヌは対軍宝具を持たず、地に足が着いた自力と技量
のみを頼りに戦う、シュヴァリエ・デオンの様なタイプを苦手とするという事だ。
 剣を帯びぬ者として育ったジャンヌ・ダルクは、他の英雄などとは違い殆どと言ってい
いほど戦闘技能を有していないのだ。
「あれだけ攻めて打ち崩せないとは、驚異的と言わざるを得ないな。なるほど世界に名高
き救国の聖女、その知名度補正は伊達ではないということか」
「身に余る過分な評価です」
「いいえそれは過小評価が過ぎます、聖女よ。聖女の身でありながら、セイバークラスと
の打ち合いを、性能ステータスと直感のみで演じていられるのですから」
 騎士として磨き上げた己が技量に、戦闘のド素人が肉体スペックのみで拮抗を演じる。
 
 その事実は、本来デオンのような騎士にとって酷く屈辱的なものになる筈だ。
 だがデオンがその表情に嬉しさのようなものを滲ませるのは、戦闘技能を持たない聖女
が、知名度補正によって自分の技術に抗しているという事実。
 これが堪らなく、嬉しい。
 ジャンヌ・ダルクを知った世界中の人々の情念が、彼女を支えているかと思うと、バー
サクの熱病に浮かされた脳内からとめどなく、喜びが溢れてくるのだ。
「さぁ、いま一度演じましょう。白百合の聖女よ。あちらを気にしている場合ではありま
せんよ。ゆめ注意を怠らぬよう。最高の打ち合いを、最高の昂ぶりを、そして最高潮フィナーレには我
が宝具を受けたまえ・・・・・
 握った剣を、手首から肘を内へとねじりながら刺突の構えをとり、デオンは踊らされる
道化のように、それからの筋書きを口にする。
 ジャンヌはといえば、もう一方の……ジークと聖女マルタとの戦闘が気になってしまい、
気もそぞろといった様子だ。しかし相性の悪さと、一撃必殺の宝具を持たないサーヴァン
トの宿命故か、長期戦は必至であり、それが益々と彼女を不安にさせるのだった。
 



※  ※  ※  ※  ※  ※



「はぁ!!」
 鋭い気合いと共に大上段から聖女が十字架・・・を振るう。
「ちっ!!」
 それは受けきれないとジークが転がるように回避すると、振りかぶられた十字架の杖は、
凄まじい音と土煙を立てて、地面にめり込む。
 自らの得物を戦闘の最中地面に突き立てる。それは決定的な愚行だ。
 ジークはその隙を逃さんと、拾った剣を強化したものを聖女マルタに向けて叩き込まん
とする。
 際してマルタは武器を引き抜く事もせず、その場でひらりと身を返し、突き刺さった十
字架を背負うようにしてその影に隠れた。
 ガキン!!と鉄と鉄がぶつかり合ったような凄まじい音が響く。
 ジークが『しくじった!!』と剣を引く暇も無く、彼はその横っ面を思いっきり殴打され
る。
「ガッ!!」
 訳も判らぬまま、ジークが握った剣を横に薙ぐと、マルタはそれを仰け反って回避し、
そのまま突き刺した十字架を引き抜きながら距離を取った。
 そしてジークはその時になってようやく、自らの頬に感じた痛みの正体に気づいた。
「まさか……拳か」
「えぇ、そうよ。一番得意なのは私、コレなの」
 そういって聖女は拳骨をヒラヒラと掲げた。
「信じられない事をする人だ」
 他人から思いっきり拳骨で殴られたという事実にショックを受けながら、ジークはまる
で非難するように言った。
「十字架で殴りかかってくるだけでは飽きたらず、まさか手まで出してくるだなんて……。
普通、杖を持つサーヴァントなら魔術とかを使うんじゃないのか」
「はぁ?なに言ってんの?クリスチャンが魔術なんて使う訳ないでしょ!?」
 魔術の存在は教義によって否定されている。
 神秘は唯一神の物であり、それ以外は偽りか、紛い物として忌避されているのだ。
「それに何でアンタ達が十字架なんて物を神聖視してるか判んないんだけど、こんなの唯
のローマの処刑器具でしょ?」
「!?」
「なに驚いてんのよ。十字架なんてあの人・・・が処刑された処刑器具よ。そんな物を有り難が
って拝んでる理由こそ謎だわ」
「そ、そうなのか?」
「えぇ、どうして、何時から何故そうなったか全く判らないけど……。だからこんな物、
叩きつけて壊したって一向に構わないわよ」
 ま、壊れないんだけどね。といって聖マルタは乱暴に、その十字架の杖の頭で石畳を叩
いた。
 十字架は、ローマ国内で行われていた磔刑という処刑に用いられる器具の一つである。
 それを崇めるということは、絞首刑ならばロープを、斬首刑ならギロチンを崇めるとい
う事に他ならない。
 千年単位の時を経て神聖な物として扱われるようになった十字架であるが、しかし紀元
元年の時を生きた聖マルタはそれに神聖さを見出せない。
 彼女にとってそれは唯の、あの人物を晒した処刑器具でしかないのだ。
「だから私自身、なんで召還された時に私が十字架の杖こんなものをもってたのか謎よ。確かに私は
あの人から杖を貰った。でもコレじゃない。きっと『血の公爵夫人』と同じね。ソレを所
持していなかったのに、サーヴァントの宝具として再現されるっていうアレ」
 自分にはまるで関係が無く、思い入れもなく、神聖なものでもない。だから聖女マルタ
ソレ・・を容赦なく地面に叩き付けるのだと言う。
「ジャンヌ・ダルクという人物を思うとき、そこに火刑台を連想しないのと同じね!!」
 言いながら、マルタは大上段に十字架を構え、それをジークの頭部めがけて振り下ろし
てくる。ジークはその鈍重な軌道に剣を合わせるようにぶつけ、十字の杖を叩き落とす。
「なるほど、道理だ」
 十字架が再び地面へとめり込み、それをジークの剣が上から押さえつける形になる。
 それは勝利の確信。
 上から相手の武器を押さえつけてしまえば、相手は武器を振るえない。敵が取れる選択
肢は、武器から手を離して殴りかかってくるか、膠着状態を続けるかである。
 だがジークはその更に一歩先を行く。
 右手で武器を保持したまま、左腕を刀身の上に滑らせ、詠唱する。
「贖いの時は来たれり、流すこの竜の血を持って、我汝にその罪を償わん」
 自傷によって作られた傷口より、ジークフリートの心臓から沸きあがる竜の血が零れだ
す。血は詠唱によって流動し、魔力によって一本の真紅の血槍として形を組み上げる。
 それは生まれながらに一級の魔術士として存在するジークの魔術詠唱。
 ジークフリートの心臓、そこに流れる竜の血を触媒とした、考うる限りの最高の魔術。
 それは悪竜ファブ―ニルの血を浴び、決して血を流す事のない英雄と言われた、あの英雄が血を流す
事によって、逆説的に血を流す要因があったと解釈する魔術。
 そして流血の要因として再現されるのは、伝説のワルキューレ、悲劇のブリュンヒルデ
が携えるその槍に他ならない。
 果たされる事のなかった鮮血の愛憎の槍が、その思いを今結実せんとうち震える。
死がふたりを分かつまでブリュンヒルデ・ロマンシア!!』
 武器を押さえつけられた状態で飛来する血槍。
 だがマルタは激しく、憤った言葉でソレに命じる。
偉大なる御名によって命じる、退けキリエ・エレイソン
 それは本来、神に請い願う為の言葉。
 だがそれを自らに干渉する魔術を防ぐ為、聖女はそれを唱える。
 加護を増した聖女に愛憎の槍が触れた瞬間、それは激しい音と光を立てて爆発する。
 その余波に巻き込まれて、ジークは地面に転がる。
「何だ今のは……」
 地面に伏したまま、ジークが顔を上げる。
 防がれたのではない。
 槍が聖女に触れた瞬間、形を保てなくなり崩壊したのだ。
 血と魔力の粉塵の向こう、そこに平然と立つ聖女を見つける。
「私に魔術なんて効く訳ないでしょ!!」
 全ての魔術を否定する一神教。
 そこの聖女がもつ対魔力はAランク相当であるが、それは鉄壁という意味合いではない。
 否定するが故に、魔術で彼女に干渉すると崩壊してしまうのだ。
「大体、未婚を誓った聖人に、キューピットの矢なんて向けんな!!」
 自身が編み上げた必殺の一撃に、キューピットの矢などという、なんだから可愛らしい
評価を下されてしまったジークは、
「む、それはすまなかった」
 と謝辞を述べて立ち上がる。
「どうやら女性に対する配慮が足りなかったようだ」
 ブリュンヒルデの名を称したジークの魔術。その原典は言うまでもなく『ブリュンヒル
デの槍』である。その原典が持つ特性は、愛するものに対して特攻を発揮するという呪わ
れたものだ。
 そんな物を異性から向けられるのは、正直誰でもゾッとするのだろう。
「しかし、まさかブリュンヒルデとはね……。アンタ北欧系の英霊だったんだ。言われて
みりゃ、確かにそっち系の容姿よね」
 ジークの白い肌と髪を指して、マルタは納得する。
 その指摘通り、確かにジークに流れる血統は雪の中に住まう者達のものである。
 その指摘は間違っていない。
「でも見た目は男だし、ワルキューレじゃないわね。アレは全部娘だもの」
「生憎とそっち方面に縁深いだけで、そこに俺の正体はないぞ」
「なんだ。思わず期待しちゃったじゃない」
 嘆息するマルタに、ジークが疑問を浮かべる。
「北欧神話にか?」
「えぇ、そう。でもそんなもの高望みが過ぎるわね」
 偽りの聖杯に対して望む事ではないと自嘲して、聖女は三度十字の杖を構える。
「私に魔術は効かないものだと心得なさい。猶予はないわよ。早く私を打倒しないと、貴
方たちは纏めて敗北することになるんだから」
 吹き飛ばされたジークが、立ち上がって再び構えを取るまでの時間を、鋼の意思で捻出
して見せた聖女は、まるで限界まで引き絞った弓を、そのまま保持しつづけているかのよ
うな苦痛を滲ませている。
「待て!!」
 それなのに、ジークは限界間近……いや、理性の限界を突破しているであろう聖女に対
して、短く質問を投げかける。
「貴女が俺に期待したのは、神話か、英雄か?」
 その質問に聖女は、
「英雄」
 と短く答え突貫してくる。
 押さえ込まれた圧力が爆発するように、バーサクの呪いによって狂化されたサーヴァン
トが、破城槌の如き圧力を放ちながら迫ってくる。
「理導/開通」
 その圧力に対し、ジークもまた自己強化による圧力を増す。
 竜の血が激しく脈打ち、魔術回路がバチバチと音を立てて帯電するような感覚。
 自らの内に猛るその感覚に身を委ねて、真正面から剣をブチ当てる。
 武器と武器が激しい音を打ち鳴らして、ジークが宙へと吹き飛ばされる。
 だがジークは空中で、クルリと身を整えると肉食の猫科動物のように四足着地してみせ
た。その際、ジークは手にしていた強化済みの剣が、宝具と打ち合った時の衝撃によって
砕けている事を知った。
 武器としての価値を失ったそれをその場で放り出し、ジークはマルタを中心に大きく円
を描くように低く走り出し、落ちている手頃な武器を拾い上げ素早く強化を施すと、それ
を聖女に対して叩き付けた。
 その一撃は、無論杖によって防がれはしたが、ジークの内には『よし、やれる』という
確かな手応えがあった。
 それはサーヴァント個人としての性質なのだろう。
 サーヴァントマルタは英雄でなく、聖女であるからして、戦いには向いていない。
 また同じ聖女のジャンヌと比較しても、知名度でも劣り補正も掛かっていない。
 戦闘向きではない聖マルタであるならば、サーヴァントとして半人前のジークであって
も辛うじて打ち合いを演じる事ができる。
 魔力は快調、磔刑の雷樹ブラステッド・ツリーも上手く機能しており、肉体を損傷させるほどの、余波も発生
させていない。
 これならば、ジークは相対するサーヴァントを完全に抗しうる。
 後はジャンヌがシュヴァリエ・デオンを打ち倒し、数的有利をもって打倒すれば此方の
勝利である。
「はぁァ!!」
 拾い上げた木材を以って打ちかかるジークは、ジャンヌ・ダルクの敗北を微塵も想定し
ていない。
 何故ならこの対戦カードは、ジャンヌがデオンに対して突っかかった事によって、なし
崩し的に組まれたカードである。
 他方から響くあの激しい剣戟の音を聞けば判る。なるほど、自分とデオンが打ち合った
なら、数瞬もしないうちに、チーズのように肉体を削られていた事だろう。
 そしてなにより、こちらには伏せたままのカードがある。
 伏せたカードはJokerではないし、Aceになり得るか判らないが、それで使えるCardがあ
るのだ。
 だが打ち合うジークは漠然とした不安を感じる。
 長期決戦はジークたちの臨む所である。
 だがマルタは、短期決戦によって決着を付けろと勧告してくる。
 それに……
「英雄か……」
 あの辛うじて搾り出した、マルタのあの声が耳に残る。
 神話は主に二つの側面を持つ。
 それは神々の物語と、人間の物語である。
 聖書であれば、神と契約に纏わる旧約聖書と、神と人間を描いた新約聖書。
 日本神話であれば、イザナミとイザナギによる国産みの物語と、ヤマトタケルなどをは
じめとした神と人との交流。
 ギリシャの神話も同じだ。
 始まりの神々があり、次第に人間同士の戦争へと下っていく。
 全ての神話体系は神に始まり、人間へと下っていく。
 そしてマルタは言った。
 期待するのは英雄であると。
 ならばその人物は……。
「ッ!!」
 その恐ろしい予感を抱き、ソレを振り払いながらジークは懸命に戦う。
 ジャンヌが敵サーヴァントを打倒して、此方に加勢にくるまで。






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