聖女の外典
第四話







 市壁を取り囲んだ弓兵の殆どを蹴散らした二人は、そのまま雪崩れ込もうと正門前で待ち受けていた一団に突撃。自己保存や生存本能の存在しない剣を携えた骸骨兵達は、撤退を選択することなく、ただ手近な標的に向け剣を振り下ろし始める。それは自らの足でサーヴァントの間合いに迫る愚かな行為でしかなかった。
 二人は駆け寄ってくる骸骨を、ただ機械的に処理し続けた。
 大半の骨が砕かれる頃、攻城していたウェアウルフと飛竜は、趨勢の優劣を判断し撤退を開始していた。
「奴らに対する追撃はいいのか?」
「構いません。アレの思考は基本的に獣です。獣は積極的に人を襲うことをしません。ここで骸骨兵を削れば彼らは数的不利に陥り、市壁に手を出すような真似はしないでしょう」
「だがそれでも飢えれば奴らは再び現れるのでは?」
「その通りです。ですが彼らが飢えたなら、まず市壁を襲う前に森の中で狩猟をするでしょう」
 二人はその場を殆ど動くことなく、舞台で舞踊を披露する演者のように、極限ごくかぎられた範囲で駆け寄ってくる骸骨兵を払っている。
「なるほど行動理念が違うのか」
「はい。狼と飛竜が襲うのは食事のためですが、骸骨は殺戮の為に行動しています。人にとってより有害なのは彼らの方です」
「では当面の行動目標は……」
「骸骨を積極的に蹴散らして、狼達が森の恵みを喰らい尽くす前に、事態の解決を図ることになります」
 そう言ってジャンヌは最後の骸骨兵を粉砕したのだった。


※  ※  ※  ※  ※


 全ての脅威が排除された後も、市壁から歓声が上がる事はなかった。
 『市』全てが疲弊していたのだ。
「お待たせした」
 ジャンヌが戦場で救った、隊長と皆から呼ばれていた男が槍を杖のようにつきながら、正門の内側から現れた。
 打撲した腰に痛みが響くのか、男の歩みは足を引きずるようにゆっくりとしたものだ。
「本来であれば領主様が面会する所なのだが、あの人はもう既に勇敢に戦死された後でね。現状立場が一番上なのが私という事になってる。……済まないが腰を下しても構わないか?」
「はい構いませんよ」
「すまんね。腰が痛むんだ」
 そう言って男は地面に腰を下ろし、市壁・・に背を預けた。
「まず無礼を重ねる事を重々承知の上尋ねるのだが、貴女は処刑されたジャンヌ・ダルクで間違いないのか?」
「はい、その名は確かに私のものです。処刑されたと前置きが付くのは少々複雑ですが」
「いや、済まない。貴女が似てるだけの偽物ではないと分かってはいるんだが、こちらの事情も少々複雑でね……」
「その複雑な事情というのは、あなた方が俺達に対して門を閉ざしているのと何か関係があるのか」
 市壁の外側、椅子もテーブルもない場所で、ジャンヌとジークはこの隊長と呼ばれた会話している。盛大な歓待を受けるつもりという訳でもなかったが、これは戦況を回天させた英雄二人に対して相応しい対応ではなかった。
 ふぅ、と重い溜息をつく隊長。
 そして何度か言葉を躊躇ってから、意を決して話し始めた。
「ジャンヌ・ダルクが復活したんだ……」
 その言葉に二人はジークとジャンヌはお互いに顔を見合わせる。
「えぇ、確かにあなた方の目には『復活』と映るかも知れませんが、私が此処に居るのは神が与えたもうた『復活』ではなくてですね……」
「君じゃない!!……君……いや貴女じゃなくて別のジャンヌ・ダルクが復活なされたんだ」
 キリストは十字架に架けられた後、死者の国から復活を果たし、天に昇った。
 神はこの奇跡を証明として人類に『復活』の御業を約束した。キリスト教徒は死後『復活』することを夢見て、遺体を土葬し『復活』に備えている。
 だから骸骨兵は、復活を夢見た死者の痕跡を利用されたものだ。
「……ジャンヌの復活?」
 そいう事はあり得るのか?とジークが視線でジャンヌに問う。
「いいえジーク君、復活の奇蹟はあり得ません。その体現者はキリスト唯一人であり、人が復活するのは『最後の審判』の後です。それ以外は復活ではなく、魔術による死者の再生に過ぎません」
 魔術世界においても、完全なる死者の蘇生は未だ果たされていない。
 サーヴァントシステムも、厳密に言えば死者の蘇生ではなく、生前の英雄をありし日の姿で再現しているにすぎないのだ。
「いやそっちじゃなくて、ジャンヌ・ダルクの方なのだが……」
 が、蘇生と再生の持つ違いについてはジークは興味がないらしい。
 彼が気に掛けるのは目の前の少女以外のジャンヌ・ダルクが召喚されているという可能性の方だ。
「サーヴァントの二重デュアル召喚の方ですか?可能性はありますよ。聖杯戦争はサーヴァントの一面を抽出して召喚するものですから。同一サーヴァントであっても、あるマスターはランサーとして召喚して、別のマスターがキャスターと召喚すれば、それが例え同じ英霊であったとしても、聖杯には別のサーヴァントと認識されますからそれは成立します。ですが……」
「ジャンヌ・ダルクはそれに該当しない」
 ジークが言葉を継いで答えた。
「はい、よく覚えてましたねジーク君。貴方の言うとおり、ジャンヌ・ダルクという英霊はルーラーのクラスにしか該当しません」
 それはかつてジークが参加した聖杯大戦において述べられた話だ。ジャンヌ自身に聖杯に託す願いはななく、託す願いがない聖人であるが故に、ルーラーに選抜され、ルーラー以外には決して該当しない・
「つまり私の二重デュアル召喚は成立しません。だって該当するクラスが一つしかないんですから」
 椅子取りゲームのようなものだ。
 もしも那須与一がサーヴァントとして召喚されたなら、それはアーチャークラス以外にあり得ず、もし那須与一の聖遺物を別の誰かが用意して召喚しようと試みても、その召喚は失敗する。
 誰かが那須与一の聖遺物を使ってアーチャーで召喚したなら、那須与一はもう召喚されない。その英霊はそのクラスにしか該当しないからだ。
「ですが正直言って自信はありません。この聖杯戦争は明らかに正規のソレではなく、聖杯大戦よりも切迫した状況にある可能性があります。何が起きているのか、私も把握していません。最悪聖杯自体を敵に回す覚悟すら必要となるでしょう」
「聖杯を……」
 ジャンヌの言葉にジークの表情が歪む。
 かつて二人は聖杯を完全掌握した敵と相対した。
 それはまさしく聖杯その物を敵に回す行為だった。
 その聖杯はジャンヌの消滅と引き換えにしても破壊は叶わず、苦肉の策としてソレは世界の裏側に隔離するという処置がとられた。
 その戦いにおいて聖杯は、掌握者の願いによって演算を開始している最中であり、ジャンヌとジークは演算の片手間に対応されたと言っても過言ではない。もしも掌握者の願いが救済ではなく、世界の破滅という攻撃的な願いを有していたら、あの戦いの結末はもっと別の形になっていただろう。
「アンタらはいったい何の話をしてるんだ?」
 重苦しい雰囲気を漂わせる二人に、一般人の男が怪訝そうな表情で尋ねる。
「あ、いえ申し訳ありません。こちらの話です」
 ジャンヌは直ぐに謝辞を示すと、男に向き直り話の続きを促した。
「それでお聞かせ願いたいのですが、復活したというジャンヌ・ダルクとはどのような存在なのですか?」
「貴女はアレを知らないのか?」
「はい、ここ最近の出来事……というか率直に言いまして、ここ半日以前に何が起きたか知らないとお考え下さい」
「…………」
 男は暫し沈黙をし、やがて空を睨むように見つめながらその時の事を語り出した。
「あれは空にあの穴が空いた時の事だ」
 男は大空に空いた、規模も分らぬ大穴を差しながら言った。
「あの時はみんな大慌てでな、世界の破滅だとか、終末がやって来たんだとかで、国中がネズミの巣を突いたみたいに大混乱さ。みんな遂に終末がやってきたなんて考えたもんだから、教会に大量に人が集まって、こぞって使う見込みのない金を御布施してくんだ。お陰で教会屋は大儲けさ。今じゃ王様よりそこらへんの坊主の方が金を持ってる始末さ」
 男の言葉に、信仰的なジャンヌは思わず眉を顰める。
 そんな様子を察した男は直ぐに言葉を正した。
「あぁ、悪かったな聖女様。今の言葉は適当じゃなかった」
「いえ」
「安心してくれあの腰抜けの王様なら、復活したジャンヌ・ダルクに殺されたよ」
「陛下が!?」
 驚愕に目を剥くジャンヌ。
 男の訂正は、王より坊主の方が金を持っていると言ったが、今やこのフランスには王は存在しないのだという訂正であった。そして男のジャンヌに対する気遣いは、彼女を救出しなかった『裏切り王』と名高いシャルル七世は既に死んだというものだった。
「それは本当にジャンヌ・ダルクわたしが?」
 ジャンヌの問いを特に気にした風もなく、男は淡々と答える。
「そうなるな。空があんな風になってから暫くした後だ、あの空一面にジャンヌ・ダルクの復活が布告された。そして空に復活した彼女が現れて、フランスに対して宣戦布告をしたんだ。纏った雰囲気はアンタと大分違うが、見た目はアンタそのものだったぜ」
「大魔術だな……」
 ジークが小さく呟く。
 もしも男の言葉に脚色がないとすれば、その復活したジャンヌの布告は、全フランス国民の目に届くように行われた事になる。それは途方もない大魔術だ。
 つまりそれは聖杯の掌握を意味するものだ。
「宣戦布告したジャンヌは手始めにシャルル七世を八つ裂きにして、竜の糞に変えた。そして自らを竜の魔女と名乗り、フランスを焼却すると宣言した」
 もしこれが戦争だとしたら堪ったものではない。宣戦布告と同時に、団結の為の旗印が首を飛ばされたのだ。これでは纏まった軍隊を起こせない。しかも降服は認められず、敵の目的は虐殺だという。
「後はお二人が見た通りさ。敵が殺しにやってくる。俺達兵士は市壁を頼りに抵抗する。そいつを止めちまったら、後は聖職者一等貴族二等農民三等の身分も関係なく、皆仲良く同じ糞さ」
 自嘲気味に笑う男は、もう如何しようもないくらい乾いている。
 男の精神状態は『何故戦場であのまま楽に死なせてくれなかったんだ!!』と辛うじてジャンヌをなじらない程度のものであり、自らの生存を喜んでいる風は微塵もない。
 おそらくこのような気運が市内全域に蔓延しているのだろうと、ジークは見積もった。
「なぁ聞かせてくれよ聖女様。アンタを殺れば、この戦いは終わるのかい?」
「……いえ、残念ながら」
 沈痛な面持ちで返答するジャンヌ。
 もしも彼女の死で解決されるというのなら、彼女は直ぐにでも自ら幕を引いただろう。
「そうか……いや、悪かったな、変な事を聞いて」
「謝罪は不要です。貴方の立場ならそれは尋ねる必要のある質問です。むしろ私の方こそ謝罪しなくてはなりません」
「え、?」
 ジャンヌは膝を付き、顔を上げた男の手を取って言った。
「貴方方が苦難の中にある事は十分に理解しました。挫けそうなのも解ります。ですが今しばらく耐えて下さい。この事態は必ず私が解決します!!ですからもう暫く、今しばらく歯を食い縛って生き延びて下さい」
「…………」
 ジャンヌ・ダルクは刃を向け掛けられてなお、微笑でそれを赦し、今また再びフランスを救うと約束する。
 その力強い両の眼は、男が久しく忘れていた生きる者の眼だ。
「あっ……あぁ……やってみる」
 その輝きに魅了されたように、男は答える。
「良かった」
 乙女は輝くように笑い、合わせていた目線を切り上げ立ちあがる。
「さて、それでは一刻も早く解決に向かわなくては」
「ま、待ってくれ!!」
 立ち去ろうとするその背に呼びかける。
「はい?」
「簡単な物で心苦しいんだが、馬と食料を用意したんだ……」
 男が手を振って合図すると、正門が開かれ、兵士に手綱を引かれ二頭の馬が進み出た。
 一頭は美しい白馬であり、一頭は力強い黒褐色の馬であった。
「こんな立派な馬を……良いのですか?」
「あ、あぁ。元々領主様の所に繋がれていた馬なんだが、籠城を始めてから馬を飛ばす機会もなくなったし、食わせる物を余裕なくなってきたからな。置いといて肉として食われるより、聖女様の足として使って貰う方がこいつ等も本望だろうさ」
「助かります!!なんと感謝してよいやら!!」
 引かれてきた馬の頭を撫で、聖女は満面の笑みで喜ぶ。
 馬も大人しく新しい主人に服している。
「では馬と食料はありがたく頂戴します!!」
 馬の背に跨った二人は、馬上から再度礼を述べる。
「皆さんも何とか生き延びて下さい!!では失礼します!!」
 英雄はそう挨拶して駆けだした。
 市を救った英雄への報酬としては、侮辱として取られかねないものであっても、二人は一言も不満らしきものを溢さず駆けて行った。
 遠ざかるその背に、男は何かを言いかけて飲みこんだ。
 それは馬を引いて現れた兵士も同様であり、その背に向けて何も言わなかった。
 男達は彼女の名を知っている。
 彼女がどんな最後を迎えたかも知っている。
 だから恐ろしくて聞けなかった。
『フランスを恨んでいますか?』
 それはフランスに住む誰もが心に抱く疑問であり、恐ろしくて、悲しくて、訊ねる事のできない禁忌の質問だ。
 だから彼らはそっと祈る。
 神の居ないこの糞ったれなこの世界で、そっと涙をながしながら、駆けてゆく彼女の背に向け、言い様のない祈りを捧げるのだった。





第五話へ