聖女の外典
第三話
「お借りしますね」
現れた彼女はそう言って、直ぐ傍に転がっていた穂先の折れた槍を拾い上げると、唯の棒っ切れに成り下がったそれを後方に向け投擲した。
「ジーク君、これを!!」
戦場の後方、駆けつけるジークと呼ばれた青年は、飛来する槍の残骸を空中で掴み取る。
それを二度、三度と振り、曲芸のように手の内で回転させてから、それを両手でしっかり握りしめ水平に構えた。
「――理導」
詠唱する。
不完全な英雄として存在するジーク。だが彼本来の性質と特性を述べるなら、彼は一流の魔術師すらも凌駕する、生まれながらの超一流魔術師である。
「――強化」
手で触れた物体を一瞬で解析し、物質に魔力を通し強化する。
誕生と共に魔術行使をしなければいけない前提で鋳造された彼は、誕生した生命が呼吸を開始するように、創られた彼にとって魔術行使はできて当然のことなのだ。
「突破する!!」
宣言と共に青年が駆ける。
鋼鉄並の強度を持った、軽い樫の棒を携え骸骨の中へと突貫する。
鋭く棒が振るわれた。
戦士として一流の体躯である青年の腕が放つ一撃は、易々と骸骨を粉砕し、行動不能へと貶める。右から左へ凪ぎ払い、左から右へ凪ぎ払う。その単純な動作を繰り返しながら、
まるで枯れ木でも払っているかのようにただ真っすぐに聖女の元へと駆け寄っていく。
「恐ろしいかも知れませんがしばらく動かずに辛抱していて下さい」
倒れた兵士に寄り添った聖女はそう言って、腰に結わえた剣を鞘ごと外した。
剣の柄を握り締め、鞘を腰に結わえていた紐を乱暴に腕に巻きつけ、敵を殴打する。
「散りなさい!!」
剣の鞘、その腹の部分で敵を払う。
接触面積の大きいその鈍い一撃は、稼働する骸骨兵の一部を、彼方へと弾き飛ばす。
背骨を抜かれた骸骨、腰骨を喪失した骸骨、腕を落とし攻撃手段を無くした骸骨など、彼女の周囲には次第に、戦闘不能の骸骨が積み上がっていく。
そしてそれらの残骸の全ては動けない兵士の上に積み重なり、それはあたかも骨で組み上げた城砦のようになっていく。
「はぁあ!!」
同士討ちを考慮しない骸骨共が矢鱈滅多に矢を放つが、聖女はその一切を気にとめない。
その程度の攻撃でサーヴァントに傷を付けることなど不可能だと、聖杯戦争の監督者たる彼女は知っているのだ。
そして彼女が気遣うべき警護対象も、今や既に無力化された骸骨の群の中に沈んでいる。
「ルーラー!!」
「このまま辺りのアーチャーを一掃します!!」
聖女の元に合流したジークの呼びかけに、ジャンヌが答える。
「わかった」
サーヴァントの肉体を相手に矢が無意味である事を知った骸骨は、手にした弓で無造作にジークに殴りかかる。彼はその一撃を思わず受け止めると「ム、」と声を漏らした。受ける必要のない一撃を受けてしまったのだ。彼はその失態を隠すように、棒を静止した状態から下から上へと振り上げた。
敵の弓は軽々と上空へ弾き飛ばされる。
ジークはそのまま強化した棒を骸骨にそっと宛がうと、そのまま骸骨兵の全身を持ち上げ、器用に棒の上に乗せたままそれを目についた集団に向け投げつけた。
骨と骨が勢いよく衝突し、衝撃で骸骨兵は組み木細工が崩壊するようにそのパーツが散乱した。
「ふむ。これは効率がいいな」
ジークは突出してきた骸骨兵を丁寧に槍に絡めると、敵が密集している箇所に向け、投げ飛ばし始めた。その威力は城壁を粉砕する為のカタパルトに匹敵する威力だ。そんな一撃が正確に、何度も何度も直撃するのだから敵としては堪らない。
だがその吹き荒れる暴威は、適当な弾丸を見繕い、装填し、大きく振りかぶって、投げ飛ばすという動作で行われる。放たれれば脅威だが、放たれるまでは敵の只中に放置された攻城兵器に過ぎない。
「後ろか」
棒で骸骨を担ぎ上げているジークの背後に敵が殺到する。
「甘い!!」
だが攻城兵器が火を噴く前に破壊しようと殺到した兵士達は、攻城兵器の護り手によって全て粉砕された。
「助かる」
「礼は不要です。後方は気にせず、その調子で蹴散らして下さい」
そう言ってジャンヌは手に持った、鞘に閉じられたままの剣で敵を殴打し続ける。
ジークはその姿を視界の端に彼女を捉えながら、密かに微笑した。
『やはり史実通りなのだな、彼女は……』
ジャンヌ・ダルクは生前、抜剣する事を拒否した人物だ。
彼女は腰に剣を帯びるが、それは一度たりとも抜かれることは無かったという。
宝具、紅蓮の乙女が特攻宝具であるという特性を抜きにしても、彼女は刃という物を振るうのを拒否する。それは彼女にとって無意味な禁忌に近い。
それを自らに課す事によって得られる恩恵など彼女にはない。
それを破った事で科せられるペナルティーも存在しない。
なのに彼女は非合理的にも関わらず『刃』を振るう事を拒否する。
そこに高尚な理念や、高尚ないい訳など存在しない。
彼女はただ単純に、『刃』が嫌いなのだ。
兵を鼓舞し、民衆を扇動し、王権から権力を委任され、戦争の先頭に立った彼女。
だけれど彼女は『刃』という命を奪う行為を、言い訳のしようのない悪と断じている。
命を守る為、領土を守る為、国を護る為、そういった譲れないものの為に彼女は戦った。
だけれど命を奪う事は弁明のしようのない『悪』なのだ。
だからこそ彼女は先頭に立つ。
戦争という絶対悪を為さねば救えぬ命があるのなら、その役目を誰かに押しつけ安穏とするのではなく、自分という悪が担うべきである。
その矛盾と破滅を抱えた思考こそジャンヌ・ダルクなのである。
だから彼女は『紅蓮の乙女』という結末を別段気に病んでいない。
悪は断罪されなければならない。王権より殺戮の許可を与えられ、殺戮を扇動した極悪人は火刑によって裁かれなければならない。
戦場に有った全ての罪を引き受けて、終わりを迎える。
それは丁度『救世主』が、『この世全ての罪』を贖う為に十字架に掛けられたのと同じだ。
殺すのは嫌だ。
だけど生じる罪を一身に引き受ける事はできる。
それが彼女の主張だ。
そして今市壁には投擲された彼女の旗が刺さり燦然と靡いている。
今こうして戦っている間にも、市壁の上で抵抗を続ける兵士たち。ジャンヌはそこで流される血ですら、自らの旗を掲げて権利を主張し、その罪すらも自分の物としようとしている。
「全く!!笑ってしまう位に聖女だな君は!!」
「えっ!?今何か言いましたかジーク君!!」
骨がけたたましく響く戦場で二人は言葉をかわす。
この戦場で流される流血、その全てを一人で飲み干そうとする聖女。
「君は強欲だと言ったんだ!!そして俺も強欲では俺も負けていない!!」
もっと多く、もっと素早く、もっと大量の遺骨を積み上げろ!!
そして自分の取り分は決して誰かに与えたりするものか!!
そう吼えるように彼は獲物を振るう。
「酷い言いがかりです!!私が旨とするのは強欲の対極にある信仰による清貧です!!」
「清貧はいい事だ!!だから俺は強欲に振舞おう!!」
「ジーク君!?強欲は恥ずべき大罪ですよ!!欲しい物があるなら言ってみて下さい!!それが本当にジーク君にとって必要かどうか、しっかりと議論しましょう!!」
「強欲な邪竜を説法で説き伏せられるとでも!?」
「かつてソレを為した御方がいらっしゃいました!!後進としては挑戦しなくてはならないでしょう!!」
「それは凄い!!大英雄ジークフリートも苦笑いだな!!バルムンクすら必要ない!!」
二人はそれぞれの武器ではない獲物を振いながら、何処かずれた会話を大声でかわす。
ジークは楽しげだが、清貧と節制を旨とするジャンヌは戦いよりも彼の説得に必死だ。
それは二人の特殊な事情に起因する。
召喚された二人は、先ほどまで世界の裏側に住んでいたのだ。
そこは楽園のように素晴らしく、そこは楽園の様に何も無かった。
かの楽園は物質的な欲求を満たす一切が存在しておらず、強欲を刺激する一切がなかった。だがジークの精神は未だ幼い。召喚された物質世界では彼の目に映る一切が、彼の欲求を絶え間なく刺激するだろう。
だからジャンヌは、ジークの保護者として彼が強欲に溺れないか危惧しているのだ。
「もう!!ふざけた事言ってないで、ジーク君が欲してる物を言ってみて下さい!!私も一緒にちゃんと考えますから!!」
言って、勢いよく振りかぶったジャンヌの剣が、骸骨の頭蓋を見事にジャストミートし、遙か彼方へと吹き飛ばした。
「君の許可を貰えるのだったら、話は単純だ!!」
ジークが十体ほど纏めて吹き飛ばす。
「私が所有してる物ですか!?言ってみて下さい!!」
「言っても怒らないか!!」
「大丈夫です!!私、物質的なものに対して執着は有りませんから!!」
聖人はその性質として、大衆から物品を求められる。施しを求められる訳ではない。聖人の事を思い、祈る為に、当人が身に付けている何かを人々から求められるのだ。
その時代、手紙も交通も未発達な文明化では、すれ違うだけの人とは二度と会えない。
だからジャンヌも、生前そういった物品を幾つも人々に与えた。
それは髪の一房であり、ロザリオの石一つであったりした。
だからジャンヌは、ジークの欲する物もそういった物品だと思ったのだ。
「では貴女の全てが欲しい!!貴女が自分の物だと主張しようとする物を含め全てが欲しい!!」
「…………にゃ!!」
思わず心臓にクリティカルヒットしてしまった悪戯小僧の矢に踏鞴を踏む。
なんとか顔を真っ赤にしながらも踏みとどまったジャンヌは混乱したように、ジークをなじる。
「な、な、なななななななな、何を言ってるんですか!!ジーク君!!」
「ほら、やはり貴女はそう言うんだ」
ジャンヌの耳には、ジークの口調は何処か拗ねた子供のように聞こえ、益々と彼女を混乱させる。
「そういう言葉はですね……あの、もっと……時と場合をですね……」
「なんだ!!よく聞こえないぞ!!」
戦場の中、しどろもどろの声は中々通らない。だからジークの言葉には悪意はない。
いやそもそも彼の内に悪意と呼べるものがあるのかは不明だが……。
「うぅぅ!!もう!!この話は戦闘が終わってからです!!」
そう言ってジャンヌは持ち場を離れ、戦場の只中に埋没していった。
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