聖女の外典
第二話







「現状の確認をします。私達の目的は聖杯によって歪められた歴史の修正です。解決手段は二つ。この時代を歪めようとする首謀者の排除、もしくは歴史を狂わせている聖杯の破壊となります」
 ルーラーというサーヴァントの特性上、ジャンヌはマスターを持つ事がない。
 だから彼女はその行動の殆どを『直観的』に規定する。彼女のその行動には『啓示』というスキル名が与えられているが、それがどのように機能しているかは周囲の人間はおろか、彼女自身にも分らない。
「とりあえず移動しましょう。馬が入手できればよいのですが……ジーク君はそれでいいですか?」
「異論などない。どうやらこれは真っ当な聖杯戦争ではないようだし、そもそも今の俺には聖杯に託す願いなど無いのだから」
「そうでした。ジーク君にしてみれば完全に巻き込まれた形でしたね」
 そう言ってジャンヌは何かを悩み始めた。ごく自然に彼を戦力の一つとしてカウントしてしまったが、ジークは正規の英霊ではない。その戦力は正規のそれと比べれば格段に劣るものでしかない。ましてこれは願いを叶えるための戦いではないのだから。
 と、そこまで考え至るが、ジャンヌには何を言うべきか上手く言葉に出来なかった。
 だが。
「気にしなくていい。戦いに巻き込まれるのは慣れている」
「もう、そんなのに慣れちゃ駄目です!!」
 さもそれが当然であるように、ジークは自ら戦いに身を投じると宣言した。
 その言葉に一抹の喜びを感じながらも、ジャンヌは人生の年長者として彼の軽率な物言いを諌める。
「ジーク君自身に戦う理由はないんですから!!それならもっと、平穏と安寧こそを大切にして過ごして下さい」
 ジャンヌの言葉は、母親が自らの子に言い含めるのに似ている。
 貴方は戦地に赴いて英雄などにならず、平穏と安寧の中健やかに過ごして欲しいと。
 それは特別な話ではない。ジャンヌの発言は女性が女として初めからもっている当たり前の性質に過ぎないのだから。
 だが今度はジークが首を捻る番であった。
「……では逆に尋ねるのだが、どうして君は自ら戦いに身を投じるような真似をするんだ?」
 だがこの幼い青年は女性の……利己的エゴとも取れるその性質を理解できない。
「君は戦う理由のない俺は戦いを回避し、平穏を享受すべきだと言う。ならばそれは君も同じではないのか?」
 だから彼はもっと幼い視点で問いかける。
 自分と同様に聖杯に託す願いのない……戦いに無理やり招聘しょうへいされたに過ぎないジャンヌ・ダルクが戦いに身を投じるのは不自然ではないのかと、青年は問う。
 聖処女ジャンヌ・ダルクの深い瞳をまっすぐと見つめ問いかける。
 見つめるジークの瞳に悪意や、相手をやり込めようとか、そういった色はない。
 彼は純粋に疑問なのだ。
 何故ジャンヌ・ダルクという聖女は戦いに身を投じるのだろうと。
「いいえ私はジーク君と違って、明確な戦う理由があります」
「それは?」
「だってこの国は私が愛した故国なんのですから」
 彼女はごく自然に返答する。
 胸に手を当て、微笑を浮かべて、一点の曇りもない素直な気持ちで返答する。
 ここは私が愛した故国なのだから、それを守る為に戦うのは当然なのだと。
「あぁ……」
 その姿勢に、その心に、その在り方に、青年は深い感銘をうける。
 やはり彼女は青年が短い人生で見てきた何よりも美しいと。
「それならば、俺にも戦う理由がある」
「え?」
「君の力になりたい。貴女がかつて俺の為にそうしてくれたように」
 聖女が胸を張って愛したモノの為に戦うのは当たり前の事だと宣言したように、青年は美しい人の為に戦うのは極当たり前のことなのだ。
「貴女の祈りの為に戦いたい。貴女が守りたいと願うものの為に戦いたい」
「えっ、えっ!?」
 困惑するジャンヌ手をジークが取り、顔を近づけ、喜びに満ちた表情で力説する。
「なるほど教えられてみれば当然の事だ。確かに貴女の為に戦うと考えたなら、それは理解できる動機だ。全ての疑問は氷解する」
「ジ、ジーク君、お、落ち着いて、近い、近いですから」
 少し熱っぽく語る幼い青年は、自分が何を言っているか理解していない。
 だが彼よりも人生を経てる彼女は溢れ出す彼の言葉を正確に掴んでいる。
 故に彼女の体温は天井知らずに上昇し、白く美しい頬には、頬紅よりも鮮やかな上気した朱色が気の毒なほど鮮烈にさしている。
「ジャンヌ。俺も俺の愛する者の為に戦わせて欲しい」
「……きゅぅぅぅぅ」
 ボンと音を立てて、発したジャンヌの奇妙な鳴き声は加熱暴走オーバーヒートによる意識の緊急停止シャットダウンを告げるものだった。恋をした事のない乙女は、そのまま暫く、青年の腕の中で意識を失うことになる。
 因みに彼女はこの時の事を不意に思い出しては、「ジーク君がフランスの風土に影響されてしまった」と嘆くのだった。


※  ※  ※  ※  ※


「駆けますよジーク君」
「む」
 当面の目標として市壁を有する都市に徒歩で向かっていた二人。
 だが突如ジャンヌは歩く事を止め駆けだした。それは風上から香ってくる肉食獣の気配を察知して走りだす鹿の様であった。だが彼女は風上に背を向けて走るのではない。彼女は風上に向かって走り出した。
 ジークは駆け出した彼女に事情を問う真似などせず、極当たり前に彼女の後に続いた。
 ジャンヌの衣から覗く太腿が、柔らかく、しなやかに稼働する。それこそ若く美しい雌鹿が野山を駆けるような優美で機能美に溢れる動きだ。
 対してジークは英雄の心臓を頼りに力強く駆ける突撃兵の動きを見せる。
 無駄が多く、燃費の悪そうな動きをするが、彼の心臓エンジンは一級品である。この程度の行動で訪れる限界など存在しないといわんばかりの動きだ。
「この先で戦闘が行われています」
「戦闘が?」
 並走するジークにジャンヌが話しかける。
 二人とも全速で走ってはいるが、それは戦闘速度ではない為か、会話をこなすだけの余裕は十分にあるらしい。
「はい。サーヴァントの気配は感じませんが……よくない予感がします」
「それは……」
 それは普通の戦争ではないのか?そう言いかけてジークは口を噤んだ。
 サーヴァント同士の戦闘に介入する。それは確かにルーラーの権限であるが、サーヴァントが人間同士の戦闘に介入するのは、道理を違えるのでは無いかとジークは危ぶんだのだ。
「いえサーヴァントの気配は感じませんが、魔力の存在を感じます」
「魔力を?」
「はい魔力の気配です。それから感じられるのがもう一つ……抵抗と祈りです」
 『啓示』のスキル。
 ジャンヌは自身のそのスキルを神の嘆きを聞いたと説明する。
 そして彼女は聖女である。
「それは……つまり?」
 ジークが問うた。
 駆ける二人は馬とほぼ同等の速度で丘を駆け上がり、遠くに微かに窺える市壁を臨みジャンヌは答えた。
「はい。虐殺に抵抗している人々がいるという事です」
 ジークの目にもそれが分かった。
 市壁を何か良くない集団が攻めているのだ。
「急ぎます」
「あぁ」
 ジャンヌが風の様に飛び先行した。
 神の嘆きを聞いたというジャンヌ・ダルク。
 彼女は聖女というその特性故に、風に混ざる無辜の人々の祈りと嘆きを正確に聞き取るのだ。


※  ※  ※  ※  ※


「くそ、くそ、くそ!!」
 市壁を防備する守備隊長は只管悪態を吐きながら槍を振るっていた。
「一匹、来ます!!」
 兵士の悲鳴にも似た報告が飛ぶ。
「構え!!」
 ザンと市壁に上った兵士が槍を構えて腰を落とす。
 すると注意を促した兵士の近辺に毛皮を生やした兵士が降ってきた。
「殺せ!!」
 号令と共に着地した敵兵に向け幾本もの槍が放たれる。
 一本が標的を外し、二本が回避され、二本が標的の脇腹を深々と抉った。
「ギャオ!!」
 毛皮姿の敵は犬のような悲鳴を上げながら、手に持った槍を自分の腹を抉った兵士に向け放った。
「がッ」
 見事敵を貫いた優秀な兵士の喉に槍が突き刺さり、絶命する。
「うおおおおお」
 槍を外してしまった兵士が、雄叫びを上げながら引いた槍を、再度放った。
 それは胸、首、背中を深々と貫き、ついに敵兵を絶命させる。
「はぁはぁはぁ」
 戦いに加わった誰もが肩で息をしている。
 突き殺した敵は人間ではなく、武器を構えた狼の様な人間、ワーウルフであった。
 人間とは違い、攻城兵器を持たない敵ではあったが、その代わりに奴らは助走をつければ垂直な市壁を駆け上がり、時には飛び越え着地さえしてくるのだ。
「次、二匹来ます」
 兵士が悲鳴のように報告する。
 彼は報告兵ではない。彼は本来助走を付け市壁へと飛んでくる狼を撃ち落とす弓兵アーチャーの役割を持った兵士だ。だがそれでも討ち洩らす敵がどうしても出てくるのだ。
「場所は!!」
「此処です!!」
「其処!!」
 二人の弓兵が出現予測を指さす。
「直ぐ来ます!!」
「此方は壁を登ってきます!!」
「上って来る方は弓で落とせ!!」
「やってます!!」
 怒号と怒号が飛び交う。
 市壁の上に立つ誰も彼も平等に生命の危機があり、誰もが必死で抵抗している。
 此処は最前線かつ最終防衛線という最高に最低な状況。
 此処を超えられてしまえば、そこは市民が暮らす無防備な市街地でしかない。
 そこは彼らの家族と恋人が過ごす絶対死守の領域なのだ。
「落ちろ!!」
 勇気ある一人の若い兵士が市壁から身を乗り出し、壁をその鋭い鈎爪で上ってくる狼男に向け弓を放つ。
「ギャン」
 矢は狼男の肩口に命中し、敵はそのまま落下して地面に叩きつけられる。
「やった!!」
 若い兵士は小さな勝利に喜びを挙げる。
 スコン。
「あ……え……?」
 だが身を乗り出した若い兵士の顔に矢が軽い音を立てて突き刺さる。
 勇敢だった若者はそのまま市壁の下へと落下してしまう。
 そしてそのまま頭から落下し、頸椎骨折による絶命を迎えた。
「身を乗り出すな!!敵の矢にやられるぞ!!」
 守備隊長の叱咤が飛ぶ。
 市壁を囲う敵の弓兵の仕業だ。
「くそ!!」
 それは弓を番えた骸骨であり、その存在は本来圧倒的優位に立つ市壁上の弓兵を悩ませていた。なにせ骸骨兵は弓の刺さる場所が殆どないのだ。
 敵は壁を登ってくる。
 それをさせまいと市壁の弓兵が弓を放つが、そんな彼らを狙う弓兵が敵の骸骨兵なのだ。
 弓兵で弓兵を排除しようにも、こちらの矢は効かないときている。
「もつか?」
 隊長が小さく呟いた。
 こちらの弓兵が潰れるのが先か、敵の攻略部隊が尽きるのが先か……。
 ちらりと視線を送った市壁の正門の前には、剣を携えた骸骨兵共が地獄の光景のように蠢いていた。奴らは飢えて理性を無くした乞食みたく、正門を雑多な武器で叩き続けている。
 降服も恭順もありえない。
 奴らは賠償金目当てでも奴隷の獲得でもなく、殺戮自体を目的に行動しているのだ。
 だから兵士も街の住人も、死ぬまで抵抗するしかない。
「控え目に言って地獄だな……」
 そう自嘲する隊長は、奇蹟を願ってはいるがそれは叶わないと知っている。
 援軍は望めず、いずれ押し切られ、すり潰される未来は最早確定事項だ。
 彼に選べるのは地獄の只中、抵抗して尊厳を保ち人間のように死ぬか、尊厳を捨て無抵抗を選択し豚のように殺されるかの二つでしかないのだ。
「隊長!!上です!!」
 上空を旋回していたワイバーンが背後から、鋭利な爪を不気味に煌かせ、鷹の様に急降下してきた。
「ぬお」
 此処までの戦いを生き残った隊長と呼ばれた男は、槍の柄を足元に力強く突き立て、仰向けに倒れるように体制を変えた。
 寄らば突き殺す!!
 相討ちの覚悟を腹に決め滑空してくるワイバーンを見据える。
 だがワイバーンは相手の覚悟を見て取ったのか、標的を隊長ではなく、彼の持つ槍に変更した。
「何!?」
 鋭い鈎爪が穂先をへし折り、もう一方の鈎爪が彼の槍を持ち上げた。
 その衝撃で隊長と呼ばれた兵士は、子供のぬいぐるみか何かのように空中へと放られてしまう。
「隊長!!」
 兵士達が悲痛な叫び声を上げた。
 彼は骸骨の弓兵を、纏った鎧の背中で押しつぶしながら、仰向けに倒れる。
 幸運にも敵の骸骨共が衝撃を殺してくれたが、不幸にも彼が落下した先は市壁の外側、敵の真っ只中であった。
「はぁ……はぁ……」
 見上げる天空。そこは彼の見慣れた青空ではなく、ぽっかりと天空の底が抜けたような恐ろしい光景が広がっていた。
 がちゃりと弓を持った骸骨兵共が彼を取り囲む。
 それは本来恐ろしい光景であったが、動く骸骨など最早彼は見慣れてしまった。
 それよりも疲労と痛みの方が遙かに酷く、これから死ぬのだという実感に恐怖が伴わない事が、何故だ彼には滑稽であった。
「隊長ーー」
 遠く、兵士達の声が聞こえる。
「ふは」
 その呼びかけに男は、自嘲気味に笑う。
 彼はこの戦いから数えて六人目の隊長なのだ。
 戦死による繰り上げに次ぐ繰り上げで、隊長と呼ばれるに到ったに過ぎない兵士だ。
 だから彼は『隊長』という呼称が嫌いだった。
「ギョアァ!!」
 ワイバーンの咆哮が彼を取り囲んだ骸骨共を遠ざける。
 その咆哮は食事の邪魔という意味であろう。
 彼は骸骨に取り囲まれ、今からトカゲの腹の中に収まるのだ。
 空中に静止していたワイバーンが、大口を開けたまま上空から降りてくる。
 その様子はまるで餌箱に顔を突っ込む家畜のように浅ましいが、家畜の餌箱に詰められた彼はそれ以上に惨めであった。
 開かれた大口が彼の視界を覆い、鋭い牙が唾液にヌラヌラと輝く様子がハッキリと見て取れる。恐怖はすでに麻痺している。疲労ばかりが重くのしかかり、あの中は生臭そうだというどうでもいい懸念が頭をよぎった。
「……Jesusクソッタレ
 だから口をついた言葉は祈りではなかった。
 それは湧きあがった怒りの……こんな糞ったれなシナリオを書いた創造主に対する弾劾の言葉であった。
 迫りくる最後の瞬間、一条の流星が駆け抜けた。
 それは恐ろしい速度でワイバーンの首元を貫き、飛来した輝ける流星はそのまま市壁の壁に突き刺さった。
 飛竜は地面に倒れて絶命し、取り囲んだ骸骨共は事態を飲みこめず狼狽した。
 そして流星に救われた彼も、何が起きたか把握できなかった。
 ただ見過ごしてはいけない何かが、この地に舞い降りたのだと理解した。
 彼はその正体を見極めようと、痛みが響く上半身を何とか起こす。
「あれは……」
 彼が見た物はワイバーンを貫き、市壁突き刺さった流星の正体。
 それは一見槍の様であったが、飛竜を貫き、市壁に刺さった衝撃で緩んでいた結び目が風にハラリと解け、その正体をあらわす。
 風に靡くそれはかつて音に聞いた奇跡の象徴。
 全てのフランス兵を導いた奇跡、聖女が掲げていた『聖旗』であった。
 そして兵士は自分を守護するように着地したその人を見て、震える声で呟いた。
「ジャンヌ・ダルク……」と。





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