運命の青
-第十五話-







「生きろ、ウェイバー。すべてを見届け、そして生き存らえて語るのだ。貴様の王の在り方を。このイスカンダルの疾走を」
 そんな無邪気な微笑を浮かべ、征服王イスカンダルは駆けて逝く。
 疾走する王の眼前に立ちはだかるは、人類最古の英雄王。
 金色の王はその背後に、ゲートオブバビロンの眩い煌めきを従える。
 その数は天を仰ぐ程に膨大で、ゲートの一つ一つからは、数々の伝説が流星群のように打ち出される。
「AAAALalalalalalaie!!」
 それでも王は疾駆する。
 彼の愛馬ブケファラスが倒れ力尽きてもその疾走は止まらない。飛来する剣を打ち払い、槍の雨を走りぬけ、傷を負い、腹を抉られてもその疾走は決して止まらない。
 征服王イスカンダル。
 英雄王ギルガメッシュに挑みかかるその背中は、諦めることを知らず、挑み続けることを終生の生き様と定めた漢の疾走だ。
 障害があるから挑むのだ。
 彼方にあるから目指すのだ。
 英雄王がバビロンの宝具を、星々のように従えるのであれば、その星々の向こうまで征服する。
 ただ前を。
 ただ正面を。
 人の夢は決して破れぬと、王は雄叫びを上げながら疾走する。
「はああァァァ!!」
 そうして人の夢は遂に其処へ至り、天高く剣を振り上げる。
 勝利の勝鬨を上げながら、振り上げた剣先をはだかる英雄王の脳天へ振り下ろす。
 だがそれが為されることはない。
 イスカンダルは疾走し、敵の眼前まで至り迫ったが、ギルガメッシュは更にその上を行ったのだ。
 天の鎖――エルキドゥ。
 星々の運行。暴れる天の牡牛をすらも捕えるという鎖が、征服王の五体を縛っていたのだ。
 征服王の世界を破壊した乖離剣が、捕縛された王の胸板に突き刺さる。
 二人の王は親しげに言葉を交す。その言葉は二人だけのもので、聞き取れはしない。
 だが消え逝く最後の瞬間。かの王は確かに満足気な表情を浮かべて消えていった。
 征服王イスカンダルは此処に敗北した。
 だがそれは聖杯戦争の話しだ。
 あの偉大な征服王はまたいつか、世界征服の夢を掲げ、彼の臣下は王が掲げた旗の下に集うだろう。
 だからこれは敗北ではあるが、決定的な敗北ではない。
 いつかまた運命が巡った時、征服王は雄叫びを上げながら疾走を始めるのだ。
 そしてウェイバー・ベルベットは、王の旗の下に参じる絆をもう既に獲得しているのだ。
 それが少し、蒼崎青子には羨ましかった。



※  ※  ※  ※  ※  ※



「ほんと余計な気遣いだったみたい。アイツは私が思っていたより遥かに強くて、ずっと男の子だった」
 新都大橋の一番端。二人の王の戦いが、魔術で強化した視力をもって見守れる場所。
 そしてライダーが展開する固有結界にギリギリ巻き込まれる位置に、魔法使い蒼崎青子は立っていた。
 その髪は燃え上がるように赤く、海上から河の流れを遡ってきた風が、橋下から突き上げ吹くたび、風に靡いた長い髪は、爆ぜる火の粉のように赤い燐光を飛ばしている。
 胸の前で両腕を組み一人佇む彼女は、姿だけ見れば不遜な態度にも映る。だがその実、蒼崎青子は胸に去来する痛みから身を守る為に、自らの体を抱きしめているのだ。それは沈痛に歪む彼女の表情が十二分に物語っている。
「ではあの小僧がその気遣いとやらを欲した時、貴様はどうするつもりであった?」
 鈴を転がしたような透き通る音と共に、黄金の王が現界する。
 赤く蛇のように鋭いその眼光は喜悦と殺意に彩られている。彼という存在を知る者がその目を見れば、首を縮こませ、王の内からその残虐性が過ぎ去るまで顔を伏せるしかないだろう。
 だが魔法使いはその目を真っ直ぐに見返して言い放つ。
「勝算はかなり低いけどね。それでもアイツを抱えて逃げ出すくらいの事はなんとかやって見せた筈よ」
 その問答に王はピクリと眉を歪めて再度問うた。
「たかだか一つの稀少を掘り当てたに過ぎぬ魔術師風情が、王が下す決定から逃れられると?」
 その怒気をはらんだ王の声は、青子の不遜を追求しているものだ。
 出来ると答えれば、それはこの金色の王を下に見ている不敬な発言ととられるだろう。出来ないと答えても、ならば何故この場に居るのかという矛盾を新たに追及されかねない。
 だが魔法使いは嗜虐の王から目を逸らし・・・、自らの体を抱いたまま答えた。
「私は私の信義を貫く為に此処に来た。私はこの戦争で何も出来ず、何も成し遂げられなかった。けれど、それでも、世話になった奴の命くらいは守ろうって思ったの」
 青子の言葉が一旦途切れる。
 それは言葉を選ぶ為の逡巡であったが、その間に英雄王が俯く青子の首に剣を落さなかったのは、意外な奇跡であった。
「でもアイツは、イスカンダルはウェイバーに生き様を見せ付けた。鮮烈な生き様を、王という存在がどんな人物であったか、それをまざまざと魅せつけて逝ったのよ。だからアイツはその生き方に憧れて、そして一人の男として、英雄王に向き合った――。だから、……そんな……そんな決意満ちた戦いを、部外者に過ぎない私が水を差していい道理はどこにもなかった!!」
 噛み締めるように紡がれた言葉。それはやがて嗚咽交じりの言葉となって、叫びにも似た声に変わった。
 駆け抜けた王と、その背中を追いかける少年。
 その道を羨ましいと、尊いと感じたからこそ、青子は何もできなかった。
 偉大な王の背中に憧れ、その背中に並び立つ相応しい男になろうと決意した少年。その道を偶然割って入ってきたに過ぎない部外者が、危ないからという勝手な理由だけで連れ去ってはいけないのだ。
 死んでも貫き通したいと願う意地。
 その意地を尊いと認める事ができる青子だから、彼女はただ黙して見守るしかできなかったのだ。
 だから彼女が英雄王から視線を切ったのは、恐怖に屈したのでもなく、欺瞞を隠したいからでもない。
 青子は単純に二人の征服王と少年の絆を目の当たりにして、泣きそうになったからこそ、視線を逸らしたのだ。
「時の流浪者よ。凡人が羨む力を手に入れて何を泣くのか」
 ギルガメッシュが俯いた魔法使いに手を伸ばす。
 魔法使いが隠す涙とは一体どんな色をしているのか、それを確かめるように。
 だが青子は二歩引いて下がり、その手を躱す。そして袖口で目を擦ってから、キッとした表情を英雄王に向けた。
「英雄王ギルガメッシュ。蛇に不老不死を投げた貴方なら理解できるでしょう。長すぎる命は人間関係を希薄にする。人間同士が当たり前に育む絆なんて望めない。だから絆というものを、どうしようもなく愛しく感じてしまうこの気持ちを」
 蒼崎青子は第五魔法を手にしてから一つの責任を背負った。それは青子が第五魔法によって起こす負債の帳尻を、いつか必ず合わせるという責任だ。それは当然、人の定命の内に果たせる事柄ではない。彼女はいつか必ず時代という時代を流浪する事になる。
 それが蒼崎青子という人物の性格なのだ。
「ふん、気に入ったぞ娘。魔法を手に入れただけのただ珍しいだけの存在ならば、飾って置こうかとも思ったが、なるほどお前は慎みというものを良く知っている。吠える時を選び、鳴く瞬間はきっちりと鳴く。これなら首輪を付け飼ってやってもよい」
 ジャランとゲートオブバビロンから鎖が垂れ落ちる。
 絶対的な権力を握る王というのはいつも娯楽に飢えている。故に王は己を楽しませる物を蒐集し、献上させる。それは武具であったり、宝石であったり、財宝でもある。そしてそれは時に美しい女でもあり、地の果てから呼び寄せた巨象でもある。孔雀も鳳凰として献上されただろう。
 退屈を持て余す王に献上された物品は、積み上げればそれこそ天に届き、女や動植物は王の宮と庭を
 彩った。
 故に稀少な芸を身に付け、王の宮に配されるに相応しい容姿を備え、口喧しくないのであれば、蒼崎青子は王の所有物たる証しの首輪を付け、宮に住まうのが相応しい。それがギルガメッシュの決定だ。
 そして王は、それを決定事項として下したのだ。
「冗談。誰かを飼うならいいけど、誰かに飼われるのは御免だわ」
「ならばその魔法とやらで、我から逃げきってみせよ」
 新しい余興を見出したギルガメッシュが、ゲート・オブ・バビロンを展開する。その数は余興であるが故に二つとかなり少ない。
 だが青子は武具が発射されるより先に、王に向けて言葉を撃った。
「いいの?私にかまけていると、聖杯戦争が終わるわよ?」
「なに……?」
 ギルガメッシュの眉がピクリと動いた。
「気付いているでしょう?聖杯はもう現れようとしている。でも私に時間を費やせば、その間にセイバーかバーサーカー、そのどちらかが聖杯を手に入れるでしょうね。――英雄王、その時貴方は一体どうなるか知っているの?」
「………………」
「貴方が欲しいのは私?それとも聖杯?いえそんなの決まっているわよね。――――だって貴方は絶対に敗者にだけはならない。唯一絶対の王として、形はどうあれ敗北という結末は受け入れられない筈よ」
 聖杯戦争が佳境の今、この瞬間にも決着がついてもおかしくはない。そうなった場合、いかに単独行動のスキルを持つアーチャーであろうとも、聖杯が存在しないのであれば存在し続けられるかは怪しい。
 ならば青子は逃げに徹するだけで、勝ちを拾える可能性がある。
 そしてこの英雄王は、王であるが故に、決して自らの言葉を卑俗な理由で撤回したりしない。
 つまり一度見逃すと決めたウェイバーを人質に、恭順を求めるような真似は決してできないのだ。
「ふん、運がよいな小娘」
 そうしてギルガメッシュは、ゲート・オブ・バビロンを解いたのだった。
 英雄と魔法使い。二人の間に剣呑な気配はもうない。ギルガメッシュは霊体化し、最終決戦の地へ向かおうとしている。だが、魔法使いはそれを呼び止めるように口を開いた。
「一応言っておくわ。アンタは半身半人の英雄。つまりガイア寄りの存在よ。だから英雄王、アンタは第五法を使う私を本能的に敵視する。だからその望みは間違いなのよ」
 つまらなそうに告げる青子の声。
 彼女は人類とガイア、その両方を滅ぼす可能性を秘めている。
 故に蒼崎青子はアラヤ側からも、ガイア側からも敵視されているのだ。
「ハッ、そのような宿命に我が従う道理がどこにある。我が定め、我が下す。それ以外のことわりなどこの世には存在せんわ」
 侮蔑するように告げて、金色の王は夜の闇に消えた。
 青子の前にはもう何も存在していない。聖杯戦争の顛末など興味もない。
 彼女の聖杯戦争はこの瞬間に終わったのだ。
 そうして彼女は冬木の地で何も為さず、何も手に入れることはなかった。
 魔法使いは矢張り物語の主役にはなれず、舞台端で踊る端役にしかなれなかった。
 何の願いも抱かないまま、聖杯戦争に参加した自分には相応しい顛末だと青子は自嘲する。
「でも、そうね。願いは一つだけできたかも」
 そう呟いて青子は歩き出す。
 冬木大橋の中ほど、蹲り噎び泣く一人の少年の背中に向けて。
 一人前の大人になった背中、だけどその痛みに涙する少年の背中。
 それを優しく慰めてあげる為、彼女は歩き出すのだった。





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