運命の青
-第十四話-







 濁った瘴気が海風に乗って漂ってくる。
 その瘴気は不可視のガスに例えるよりも、霧に例えた方が正しい。暗く軽い毒素を含んだ霧は、どこか生き物の唾液じみており、霧が素肌に張り付くたびに人は悪寒に身を震わせる。だがそれが霧の作用なのか、それとも含まれる毒素によるものなのか、人は誘蛾灯に集まる虫のように霧へと集められていく。
 それは一種の催眠なのだろう。誘蛾灯が虫の性質を利用したものであるならば、霧に含まれる毒素は人間の性質を変質させ、花の蜜のように人々を招き寄せる。それが毒霧の効果だ。
 後は集めた餌を喰らうだけで、その化け物は一個の生命として確立する。
 瘴気を吐き出す源、海より来る巨大な異形の邪神。
 そんな生き物が誕生してしまえば、この冬木の街は化け物の餌場となってしまうだろう。
 子供を攫い、惨殺するどころの話ではない。人間を捕食する巨大な化け物が、冬木という街を料理皿に変え、そこに住まう人々の命を満たされることのない胃袋で暴食するのだ。
「はぁ!!」
 そのような真似、断固認められぬと黄金の剣が振るわれる。
 湖の乙女より授かりし加護により水面を疾駆はしり、不可視の守りを解いた黄金の聖剣を振るうのは、人々の希望と想念を一身に受けた騎士王である。
 黄金の剣が清く鮮烈な星の光を持って邪神を威圧する。剣先は伸ばされる触手を抵抗なく両断し、次々と邪神のかいなを切り落としていく。
「AAAALalalalalalaie!!」
 邪神の頭上には戦車を駆るライダーの姿。
 ゼウスの雷を纏った天駆ける戦車は、当に神の怒りの体現者だ。身を弁えない邪神を滅ばそうと、その体表を雷で焼き焦がしていく。戦車の両端に備え付けられた戦斧が邪神の肉を抉り、傷口をゼウスの雷が焼いていく。
 だが足りない。それでも足りない。
 聖剣に切り落とされた触手は、傷口から直に新たな触手を伸ばしセイバーに襲い掛かる。
 ライダーに焼かれた箇所も、肉が内側から盛り上がり直に傷口を塞いでしまう。
 斬られ、抉られてもなお、邪神はその鈍重な歩みを止めようとはしない。川べりに並んだ餌を喰らおうとゆっくり、ゆっくりとその歩みを進めていく。
 セイバーが隠し持つ秘中の秘。対城宝具による必殺の真名開放をもってすればこの邪神も一撃の下に葬り去れるだろう。だがその機会はもう既に失われてしまった。
 ゆっくりと歩み進む邪神の所為で、どの角度から宝具を撃とうとも、街と河川敷に並んだ人々諸共に焼き払ってしまうからだ。
 確実にキャスターの邪神を撃ち滅ぼせる手段が手の内にあるだけに、セイバーは悔しさに唇を噛む。
 いよいよという段になったら、彼女は彼女が王としてそうしてきたように、多少の犠牲を覚悟してでも聖剣を振るわなくてはならない。それが民衆を守護する彼女の、セイバーの責務なのである。
「せめてもう一体、英霊の助力が得られれば……」
 現在の情勢は殆ど拮抗に近い状態で、ライダーとセイバーが押されている。ならば後一体、サーヴァントの助力が得られればとも思ったが、それは望めそうにもない。
 アサシンは敗退しているし、理性のないバーサーカーに共闘が出来るとは思えない。アーチャーはどうやら来ているようだが、静観に徹するつもりであるらしく、唯一協力してくれそうなランサーも彼女のマスターが殺してしまった。
 そんなセイバーの後悔をつくように、水中からのばされた邪神の触手が彼女の足元を掬い上げる。
「―――ック!!」
 触手に右足を吊り上げられる形になってしまったセイバー。
 腹筋で体を起こし、足を吊り上げる触手を断ち切ろうにも、纏った鎧が邪魔で体を曲げられない。
 魔力で編まれた鎧の守りを解き、体を折り曲げようとする。
 だがそれよりも他の触手がセイバーを捕える方が早かった!!
 四肢を広げるように拘束する邪神の触手。聖剣こそ手放していないものの、鎧を脱いでしまったセイバーにそこからの攻撃を防ぐ術はない。
「ライ―むぐ」
 ライダーに救援を求めようとしたセイバーの口に触手が轡のように巻きつきそれを阻む。
 触手は捕えたセイバーをそれ以上痛めつける事をせず、丁重に邪神の胃袋に運ぼうとする。そこに待ち受けるのはキャスターであろうか?
「ツアーブラン、スターマイン!!」
 その時、青の流星がセイバーの身を襲うように飛来した。
 セイバー自身はその恐るべき対魔力によって傷一つ負っていないが、彼女を拘束していた触手は跡形もなく吹き飛んでしまった。
「これは!?」
 体制を立直し、鎧を纏って水面に着地するセイバー。
 無論彼女にとってあの程度ピンチではなかった。令呪によるバックアップがあるならば、直にでも拘束は解けただろう。だから驚いたのは新たな加勢が加わったその事実。
 視線を向けた先には、ライダーのマスターとアイリスフィールと並んで川べりに立って、右腕を掲げる一人の魔術師が居た。



/Interlude



「令呪はまず、始まりの御三家の者に対して優先的にその参加資格を授与する。それは御三家が第三魔法の成就に挑む者達であったが故、そして我が盟友ユースティーツァ・リズライヒ・アインツベルンの望みでもあるからだ」
 杖を突いた老人が朗々と語る。
「故に第五法に指を掛けた御主に令呪が与えられなかったのは必定である。第二の儂がこの儀式に参加できないのと同じく、の」
 つまり蒼崎青子は最初から、聖杯戦争という儀式から爪弾きを受けていたのだ。聖杯戦争という生きたシステムが、初めから青子の介入を拒んでいた。だから今も生き続ける第二のゼルレッチは聖杯戦争に介入せず、弟子の遠坂に助力をすることもなかった。それが聖杯の意思だからだ。
「未完成の第三は我々に介入するなといっておる。眺めるのも勝手、見守るのも勝手、だが儀式には介入するな、それが第三の意思なのじゃ」
 様々な思いが青子の胸の内に去来する。魔術師としての判断、魔法使いとしての振る舞い、それら全てを考慮して短い質問を口にする。
「私がそれに従う理由が……?」
「無論ありわせん。――じゃが、」
「えぇ分かってる。分かってるわ」
 言いかける老人を、青子が説明の必要はないと手で制する。
 魔術師の間には守るべき明確な規範が存在する。が、魔法使いの間ではその規範が存在しない。基本的に彼らは自由だし、勝手気ままだ。自らの望むように行動し、あちこちで好き勝手に振る舞う。青子の前に立つ老人が、かつて月の王に喧嘩を売ったのがそのいい例だろう。
 だが従う理由が無いとはいえ、現在進行形で行われている儀式に他の魔法使いが介入していい理由もないのだ。もしも青子が長い年月を掛け、これだけ大掛かりな儀式を画策できたとして、それを他の魔法使いによって好き勝手に都合よく弄繰り回されたら頭にくる。
 そしてこの聖杯戦争という大規模儀式が、蒼崎青子という一個人に対してなんら不利益をもたらさないのであれば、彼女は関るべきではないのだ。
「ねぇ、一つ教えてよ。どうして第三魔法を実現する資格が与えられないと知っていて、貴方はこの計画に参加したの?」
 青子のふとした疑問。第二魔法、平行世界に干渉するおよそ万能ともいえるこの魔法使いはどうしてアインツベルンに協力したのだろうか?名誉や金銭でこの老人が動く所を、青子は想像できなかったからだ。
 老人は顔に刻まれた深い皺を更に深くしながら笑って言った。
「決まっとる。面白そうであったからだ」
 青子はその言葉を聞いて深いため息をついた。
『あぁ、この爺はきっと正義とか、悪とかどうでもいいのね』
 弟子を悉く廃人にするというキシュア・ゼルレッチ・シュバインオーグ。
 彼は自分が楽しむことこそが大事なのである。
 ならば、蒼崎青子は……。
「聖杯の意思は尊重する。でもね、義理だけは果たさせてもらうわ」
 


/Interlude out



「青子……」
 少年が呆けた声を上げる。
 川べりでキャスターが呼び出した邪神と、二体のサーヴァントが繰り広げる苛烈な戦い。それを不安な面持ちで見守る少年の傍らに、蒼崎青子は悠然と現れた。
 聖杯戦争から抜けると宣言した彼女に、ウェイバーはもう二度と会うことは無いだろうと覚悟していた。
 再会できる機会が与えられるとすれば、それはウェイバーが聖杯戦争を勝者として生き残り、蒼崎が管理する土地に訪問したときだけだろうと考えていた。
 そう考えていたというのに、青子は僅か一日足らずで、再びウェイバーの目の前に姿を見せたのだ。
「ねぇウェイバー、私はキャスターが許せない」
 魔力砲を放った右腕を下げて、ぽつりと独白のように青子が呟く。
「魔術の秘匿を怠っているとか、そういう魔術師としての怒りじゃないわ。私は人間として、他人を食い物にする奴、いいえ娯楽として消費するキャスターが許せないの」
 思いを馳せるように青子が目を閉じる。それは朧な衛宮切嗣の記憶。
 貧困に戦争、紛争に飢餓。
 世界には余りに沢山の不幸が転がっている。もしかしたら冬木で殺された子供達は、まだこれまでの人生をまともに生きてこられた分、幸福だったのかもしれない。
 捨てられた泥まみれのパンを食べられた事を、幸福と感ずる子供の不幸に比べれば、この地方都市で無残にも殺された命など、失笑に値するのかもしれない。
 だが、だからといって、あの地下水道で惨殺された命の嘆きと慟哭を、無視する事はできない。
 目を下へ向ければ、きっともっと悲惨で凄惨な地獄は幾らでも目に入る。その悉くを解決する魔法を、青子は手に入れている。だからこの冬木で起きた、たかだか数十人規模の惨劇を引きを起こした張本人を倒すのはもしかしたら偽善と呼ばれるのかもしれない。
 いや違う。
 これは紛う事無く、蒼崎青子という個人による独善だ。
「私はキャスターを倒したい」
 だがその独善は、当たり前に正しい。
 その義心は糾弾されるべきではない、人間としての当たり前の正義だ!!
「――聴け、万物の霊長!!」
 青子が宣誓にも似た詠唱を紡ぐ。
 それを合図に世界がバチンと音を立てて変質する。
「これは……」
 その変化にウェイバーと、傍にいたアイリスフィールが目を見張る。
 青子の周囲に立ち込めていた瘴気が振り払われ、澄んだ透明な風が流れ込んでくる。
 頭上の暗雲が割れ、夜空の輝きが一人の少女に降り注ぐ。
「――告げる」
 それは魔法の予兆。
 世界が変質する兆し。
秩序あおを示す我が名において告げる」
 今が未来に、過去は明日に……。
 誰もが過去に取りこぼした郷愁と、誰もが胸に抱いた輝ける未来が、青子の周囲に吹き上がる。
 それは身も凍る山奥の吹雪であり、暖炉にくべられた火を囲む家族の温もり。
 それは部屋で己の才能の限界と向き合う孤独の夜であり、大志を抱いて学府の門を叩いた希望の朝。
「全ては正しく!!」
 風が逆巻き、吹き荒れる。
 足下には世界を変質させる青の術式が展開され、世界と鬩ぎ合っている。
 恐怖が無い訳ではない。
 まして彼女は一度失敗しているのだ。
 その失敗は運命であったのかもしれない。
 世界の破滅を防ぐ為、守護者が人類総意として召還されるように、青子の敗北もまた第三の意思の介入があったのかもしれない。
 衛宮切嗣、彼は正に彼女が敵対した守護者であった。
 世界が、いや宇宙が軋みを上げる。
 たかが一個の矮小な生命が、宇宙の法則に向かって叛旗を翻しているのだ。
 そんな無法は許されない。それは押し潰されるべきだと圧力が掛けられる。
 それでもここならきっと……。
 短い間だったとはいえ、共に戦ってくれた存在の時間を使うならば……それはきっと……。
「秩序は、ここに崩れ落ちた」
 最後の詠唱と共に、この冬木の地に、真の意味で魔法使い蒼崎青子が降臨する
 ―――――長い沈黙。
 誰もがその変化に息を呑む。
 世界の変質は最小限に、変革したのは自己の最適化。
 過去と今と未来を全て合わせ鏡に、奇蹟の中心で像を結んだ最新の魔法使い蒼崎青子。
 星に輝く赤い髪を靡かせ、目の眩む奇蹟を身に纏い彼女はゆっくりと進み出る。
 その間際、「ありがとう」とウェイバーにだけ届くように青子は呟いた。
 それが何をさしているのか、少年は思い当たれない。過去を盗まれているなど知らないからだ。
「―――回路、接続タービンセット
 短く青子が詠唱をする。
 その詠唱を耳にするのはウェイバーにとって二度目だ。
 だがその詠唱は以前に聞いた音と比べ余りに異質だ。
 詠唱がではない。青子の魔術回路が生成する魔力量、その為の回転数が耳に聞こえるのだ。
 言葉を失う。ただ魔力を生成するだけでこの快音。
 それは聞いたこともない音であり、話にも効いた事がない出来事だからだ。
 歩みを進める青子が川面に差し掛かる。そしてその足はパキリと川面を踏みしめた。
 キリキリと軋む音。それは青子の足跡を中心として広がっていく。
 それは水が凍る音。
 青子は水中に鎮座するキャスターの元に歩く為、流水を凍らせているのだ。
「そんな、無茶苦茶よ!!」
 その悲鳴はアインツベルンの聖杯であった。
 水上を進む。その目的を成し遂げるなら重力軽減魔術に、肉体の重量変化。水面との反作用に、かなり困難だが浮遊の手段等々、かなりの数の方法が考えられる。
 なのにいきなり現れた魔術師が取った手段は凍結である。それも水槽の水を凍らせるのではない、流れる川の流水を凍らせているのだ。そんなの百人規模魔術師で編隊を組んでも、これだけ短時間で同じ結果は得られないだろう。
 現代科学で換算するなら、いったいどれだけの電力が必要になるかという話しなのである。
「凍らせてるんじゃない。これは水が凍っていっているだけなんだ」
 大量の流水が青子の足元で凍っていっているというのに、周囲の温度が一向に下がらない事に気付いてウェイバーがそんな事を言う。
 青子が行っているのは気温の操作ではない。操作しているのは熱量である。
 水からエネルギーを奪う。たったそれだけの事で水は分子運動を停止させられ容易く凍っていく。なんてことはない、気が付けば簡単なことだ。だがその魔術も科学も、純粋にただ形のないエネルギーだけを操作することは出来ないから驚愕しているだけなのだ。
 そして第五魔法にとって熱量エネルギー操作は基本に過ぎない。
「――理由を探したわ。どういう理由を見つければ私は此処に立てるんだろうって……」
 見上げる程に巨大な一枚岩のような海魔。その正面に立った魔法使いは一人独白をする。
「いいえ、実は今でも探している。人類の守護者なんて気取るつもりはないし、私はそこまで優しくない。自分を犠牲にしてまで他人を守りたいとは思わないし、この戦場は私の介入を拒んでいる。だから考えたわ、どうすれば私はキャスターを倒す理由を見つけられるんだろうって……」
 巨大な邪神はそんな独白をまるで意に介さず、正面で突っ立っている餌に向けて触手を伸ばす。伸ばされる巨大な触手は少女の身の幅を優に超え、その触手の先端には捕食する口が付いている。それがゴオっと風きり音を伴って青子に迫る。
「――魔弾、展開」
 力強さの無い、呟くだけの詠唱。
 だが発現した奇蹟は空中に青い魔力塊を瞬かせ、一瞬の内に迫りくる触手に殺到する!!
 響く爆裂音。
 意思も無く、力も無いただ展開されただけの魔弾に、邪神の伸ばした触手が細切れになって散乱した。
 それを目撃したサーヴァントとマスター、全てが動きを止め絶句する。身の丈以上の巨大な触手を青子がまるで蚊でも払うように粉砕したからだ。
 青子はその攻防を気にも止めず、そのまま独白を続ける。
「でも幾ら考えても理由は見つからなかった。望まれていない以上私はこの戦争に関わるべきじゃないの」
 海魔にとってもたかだか数百在るうちの一つを潰されただけだ。その潰された一本すら既に回復は始まっている。
「でもね、気付いたのよ」
 魔法使いが夜空に向けて手を伸ばす。その手は夜空のキャンパスに向け半円弧を描く。
 それは夜空に星を描き足すように、手を振る動作で青子は数百の青い星を作り出す。
「――介入すべきじゃない。でも私は介入する理由を探している。―――つまり、ねぇ、それは私が貴方を倒したいって思っているってこと…………だから答えは考えるまでもなかった。アンタは私の怒りを買ったの。―――だからここで倒されろ!!」
 怒りの意思と共に、数百の魔弾が巨大な海魔向け発射される!!
 肉を抉り、粉砕し、それでも飽き足らず貪欲に魔弾がその巨体を打ち抜く。
「■■■■■■■■■■■■!!」
 海魔の上げる憤怒の声。
 それは確かに生物の声でありながら、決して音として認識されない魂を腐敗させる声だ。
 海魔は抉られた肉をジュグジュグと再生させながら、正面に立つ人間を捕食するための餌としてではなく、外敵として初めて認識した。
 邪神の体に付いた人の頭程はあろうかという目玉が、何十という視線を敵に向ける。
 殺到する大量の触手。
「上等!!」
 それを青子が拳を振り上げ迎え撃つ。
 突き上げた拳は触手を粉砕し、繰り出した蹴りは触手を断裂させる。
 それは詠唱を破棄した、蒼崎青子という破壊の魔女の完成された戦闘スタイル。
 自己暗示による魔術発動の命令オーダーを詠唱ではなく、手足の動作によって発動させる術理。
 拳を繰り出せば魔力砲が、蹴りを繰り出せば魔力断裂を、そうして青子は一人巨大な海魔を一歩も進ませる事無く一人で拮抗状態を作り出す。
「―――ッ、セイバー彼女を援護して!!」
「了解です、アイリスフィール!!」
 魔術師と神にも匹敵する怪物との攻防。
 その信じられない光景から復帰したアインツベルンが指示を飛ばす。
 目を奪われていたセイバーも直に答え、青子に迫ろうとする触手を聖剣によって切って落とし始めた。
「おい坊主!!ワシらはどうする!!」
「ッ、ラ、ライダーは真上からの攻撃を再開しろ。お前は対魔力が低いんだから、絶対に青子の攻撃に当たるなよ!!」
「ならばあまり頭上を攻撃しないようお主が青子の手綱を握れ!!――ハァ!!」
 ライダーが手綱を繰って攻撃を再開する。雷を纏った戦車が疾走し、ひたすらに海魔本体の肉を抉る。
 そしてウェイバーは、そんなライダーの奮闘を見守るでもなく、ただ青子の姿に見蕩れていた。
 あの姿から目を逸らしてはいけないという、魂の衝動だけが視線を青子に釘付けにさせる
 魔法使い蒼崎青子。
 作りあげた氷上のステージで踊る魔法使い。
 その両手は煌めく青の閃光を生み出し、燃えるような鮮烈な赤い髪は、魔女が踏むステップをより幻想的に飾り立てる。
 その幻想的な魔女の舞踏ダンスの前には、怪物のおぞましい攻撃など全て無意味だ。
 振り落とされる触手も、吐き出される瘴気も、その全てが青の本流に飲まれていく。
 そしてソレに気付いた時、ウェイバー・ベルベットの総身が、魂が震えた。
「……………………うぁ」
 そればかりか少年の瞳には涙まで溢れてくる。
 青と赤のコントラストを纏い、氷上で戦う青子の姿は美しい。それは確かに見蕩れる美しさである。
 だが少年が心底涙を流しているのは、もっと別の理由だ。
 溢れる涙を拭いもせず、瞬きもできないままただその姿に見蕩れてしまうのは美しいからだけではない。
「――――あれは、魔術だ」
 そう呟いて更に涙が溢れた。
 鼻の奥がツンと痛み、魂が歓喜に震える。
 血統の無い凡庸な魔術師、ウェイバー・ベルベット。いや時計塔での周囲の評価は凡庸以下であったかもしれない。魔術師は血統こそを重んじ、魔術の資質は努力や方法論ではなく、血によって引き継がれた才覚のみを評価した。
 それが魔術世界における常識であったし、それが魔術協会の体制であった。
 ならば僅か三代しか続いていない家系のウェイバーは、生涯魔術分野で評価される事はないではないか。大望を抱き、叩いた時計塔の門。そこで少年は入学した時点で生涯半人前という烙印を押したのだ。
「――――あれは、魔術なんだ」
 ウェイバーは崩れ落ち膝を付く。
 だからこそ少年は自らの志を守る為、一つの論文を書き上げた。
 生まれ持った資質によるのではなく、術に対するより深い造詣と、より手際のよい魔力運用ができるならば、生まれ持った生来の資質など如何様にでも覆せると……。
 その渾身の論文、いや少年の主張は、時計塔の講師に一笑され、なおかつ講堂に集った他の学生の嘲笑の的になった。だからそいつらを全て見返してやろうと、聖杯戦争に望んだ。自分の理論は間違っていなかったのだと証明する為に、彼ウェイバー・ベルベットは聖杯戦争に参加したのだ。
「――――魔術、なんだよ」
 そしてその理論は此処に証明された。
 蒼崎青子の変化こそ魔法に拠るものだが、青子が放つ攻撃の全てはただの魔術なのだ。
 あの絶大な魔力砲の威力も、魔術回路の信じられない回転数も、全てウェイバーが提唱した理論通りの姿ではないか。
 あれこそ少年が思い描いた理想の魔術師の姿。
 だからこそ涙が出る。
 自分が思い描いた理論。
 それを著者本人が信じきれていなかったから、彼は聖杯戦争という戦いに旅立った。
 理論の証明など詭弁も甚だしい。ウェイバーが聖杯戦争に勝った所で理論の証明にはならない。
 得られるのは、聖杯戦争の勝者が書いた論文なのだからという説得力だけだ。
 だからこそ真正面から、見せ付けるように証明してくれた蒼崎青子が少年にはとても愛おしい。
 信じられない程効率的に運用される魔力。
 詠唱を動作によって簡略化するまでに至った術に対する深い造詣。
 彼女、蒼崎青子こそ、少年、ウェイバー・ベルベットの理想であったのだ。
 言葉は無い。
 感謝の言葉は数あれど、少年はただ憧憬の瞳をもって、ただ青子の戦いを見つめる。
「フッ!!」
 目に見える全ての触手を潰した所で、邪神本体に向け体を半回転させながら青子は指を鳴して、北欧の呪いガンドのように標的を指差した。
 だがその指先から零れる魔術はガンドの比ではない。
 ブロウニング・スターマイン。そう名付けられた魔術は、幾つもの光りの尾を引いて邪神の巨体に指先ほどの穴を多数開け貫いた。それは正に敵を射抜くレーザーだ。
 再生を果たした触手が再び青子に殺到する。だが迫る触手はセイバーに斬られ、青子の設置した魔弾に衝突し爆散してしまう。
「なぎ払え!!」
 その命令と共に魔力を込めた掌底が氷の上に叩きつけられる。そしてその延長線上に、まるで間欠泉のように魔力が吹き上がり、巨体を串刺しにしていく。ブレイジング・スターマインと青子が名づけた魔術だ。
 戦いに青子が乱入してからほんの数分。戦いの趨勢は完全に傾いている。
 青子一人で邪神を抑えられる程なのだ。そこに二体のサーヴァントが加わった時点で、守護側の攻勢は海魔の回復力を上回り、徐々にその肉体を削りとっていった。
「共闘、感謝する魔術師メイガス
「礼なんていらないわよ。こっちはこっちの都合で闘っているんだから。それとも世に冠する騎士王様はそこに正義とか悪とかを見出さないと不満?」
 背中合わせに短く言葉を交わす魔法使いと剣士。
「…………」
「嘘よ、冗談。でもね私は復讐染みた怒りで戦ってるから、変な理想をこっちに押し付けないでよね」
「――了解した。それより魔力は持ちそうか?」
「…………ふふ」
 その問いに青子は微笑で答える。だがセイバーの顔は不満げだ、青子の魔力が尽きてしまえば趨勢は再びキャスターの側へと傾いてしまうのだから。
 だがそんなセイバーの不安を打ち消すように青子は宣言する。
「ギアを上げるわ」
 ガチンと意識の切り替わる音。
 青子の魔術回路は魔術を行使している間に、更にその回転数を上げ、調子を上げていっている。
 そしてその回転数に見合う負荷に青子が意識を切り替えたのだ。
 生成される青子の魔力量の変化に間近にセイバーが目を剥く。
「愚かな事を聞きました。謝罪を」
「気にしてない。それよりもう私の前に出ないで、決着をつけるわ」
 青子の姉はかつて耳に聞こえる魔術回路の回転音など、話しに聞いたこともないと驚愕していた。だがギアを上げた青子の魔力生成は耳に聞こえるではなく、最早耳に響く域まで高まっている。
 二人の会話の間に大分回復した邪神が雌雄を決さんと、現状で回復している全ての触手を青子に殺到させた。青子はその襲いくる死の群れを身構えもせず眺め、セイバーはそれを数歩下がって眺めていた。
 セイバー自身に備わる直感スキルに頼るまでもない。
 蒼崎青子という少女の姿を見れば、その勝負の趨勢は明らかだ。
 青子が拳を握りこむ。
 響かせる音を変化させた魔術回路に呼応するように、青子の長い髪が一層紅く紅く輝く。
 そして……。
「スヴィア!!」
 右拳が突き出される。
 その腕からは一固体が編み出す魔力としては、信じられない程高密度な魔力が込められている。
 その一撃は三十以上の触手を一瞬で蒸発させた。
「ブレイク!!」
 続けざまに繰り出される左拳。
 一小節とはいえ詠唱を破棄されていないその一撃は邪神のどて腹に大穴を開ける。
「スライダー!!」
 高く高く、身体強化された体で飛び上がった青子は、その足を戦斧のように振り下ろす。
 抵抗力を失っていた邪神は、それこそ巨大な斧に切り裂かれたかのように真っ二つに裂けて割れた。
 その連撃は正に英雄が持つ宝具のそれと同じだ。
 邪神の巨体には大穴が空き、その身は二つに裂かれた。
 それでも邪神は自身に内在する魔力を総動員して回復しようと試みる。
 だがそれは無意味だ。一時間ばかり放って置けば完全に回復するかもしれないが、此処に集ったサーヴァントはそれを大人しく眺める気など毛頭ない。
 あとはライダーの宝具でじっくりと挽肉にすればキャスターは消滅するだろう
「ジャーーーーンヌ!!」
 だが突然奇声と共に、氷を割ってセイバーの足元から小型の海魔の群れ、そしてキャスターが飛び出してきた!!
「おおジャンヌ、私はこんな真似はしたくなかった。ですが頑なな貴方がいけないのです」
 小型の海魔がセイバーに押しかかり、僅かに動く触手がセイバーを拘束する。
「私の兵団は最早風前の灯……。だが貴方の高貴な魂が発する魔力があれば、私の兵団はたちどころに回復するでしょう」
 それは完全な油断であった。
 人間の身でサーヴァントの宝具に匹敵する奇蹟を行使してみせたその業と、勝利したという確信それがセイバーに油断をもたらしたのだ。
「セイバー!!」
 上空からライダーが叫びながら駆け下りてくる。だがそのまま宝具を発動させて突っ込めばセイバーどころか近くにいる青子まで巻き込んでしまう。キャスターはそれは出来まいと見越した上で現れ、かつセイバーを水中に引きずり込み、邪神の核とする方が早いと読んだ。正に将軍の先見である。
 だがその場にいた青子はそんなキャスターとセイバーの窮状に目をやるでもなく、ただ正面を睨みつけている。
 両腕を掲げながら交差させ、直径三メートル以上の魔術陣を多重術式として幾重にも構成する。
 そして重く唱える詠唱。
「セイン……タイムレス……ワーズ……」
 魔術の詠唱、その殆どを破棄し、動作によって簡略化した蒼崎青子が、左右の腕に大量の魔術陣を幾重にも構成し、なおかつ詠唱をする。その意味は詰まるとこ、彼女にとってその奇蹟は魔術陣の補助を必要とする位に大規模な奇蹟であり、直前に放った宝具に匹敵する三連撃すら彼女にとって詠唱時間を稼ぐ布石でしかなかったという事。
 地球儀のような球体が巨大な邪神の肉片を包み込み、それは詠唱と共にゆっくりと持ち上がり浮遊する。
 それは蒼崎青子という破壊の魔女が行使する攻撃に転用した魔法。
 球体は肉片の座標をロックするように周り、かつて行使された奇蹟を呼び起こす。
「これで終わりよ!!――逆行運河・創生光年!!」
 宣言される奇蹟の名。
 かつてこの場で行使された魔術を、時間軸を超えて再生する魔法。
 球体に包まれた肉片はこの時間軸に再現された青子の魔術に晒され、跡形もなく蒸発されていく。それは術者が望む限り永遠と続く無限の攻撃。魔法と呼ぶに相応しい最強の一手。
 巨大な肉片を包む球体はその姿を次第に小さくし、遂に邪神の残骸はこの世から消滅した。
「そんな……馬鹿な……」
 呆然と驚くキャスターと戸惑う海魔。
 その隙を見逃さず、セイバーはありったけの魔力放出を行い海魔の拘束を吹き飛ばした。
「ハァ!!」
 そして勢いそのままに聖剣を振るいキャスターの首を刎ねた。
 こうしてキャスターが上演しようとしていた悲劇の幕は、二人のサーヴァントと一人の魔法使いによって幕を降ろされた。
「フ、フハフハハハハッハ!!」
 それの戦いを遥か上空で見ていた金色の王の哄笑を響かせながら。





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