運命の青
-第十三話-







「よし、帰る!!」
 唐突に、青子はそんな事を言った。
 網膜に焼きついてしまった下水での惨状。それは傷となって一生ウェイバーを苦しめるだろう。
 だがそれでも彼は冬木市の拠点、マッケンジー邸までなんとか帰ってきた。その矢先の出来事である。
「帰るって何処に?」
「何処も何も、自分の管理地に決まってるでしょ?」
 まるで映画を見終わった女性が手荷物を纏めるように、青子はマッケンジー邸でほどいた荷物を纏め始める。その姿に未練じみた様子は見受けられない。
「な、なんで急にそんな事をいうんだよ!?」
「ほら、私って聖杯が欲しくてこの街にやって来たわけじゃないでしょ?私はお金の為に衛宮切嗣を狩にきたの。でももう無理。私はアイツを倒せないと思う」
「なんでだよ!?一回失敗しただけじゃないか。青子一人で勝てないなら、今度はライダーと一緒に共闘すればいい。それで今度こそ勝てばいいだろ!?」
 諦めるのか?そんなの青子らしくないじゃないか!!と問い詰めるウェイバー。一度の失敗で諦めてしまうほど、蒼崎青子は素直じゃないはずだ!ケイネスとの戦いの時だって、彼女の瞳は真っ直ぐに爛々と生きることに執着していた。
 諦めるな、膝を折るな。前を見て、先進め。
 そんな意思の強さを、あの時の青子からウェイバーは学んだのだ。
 だからその憧れが、理想が膝をついてしまうなど、彼には到底考えられないことだった。
「あぁ、そういう事じゃなくて……」
 だが青子はそんな少年の心情を読み取った上で、前置きの言葉を言いつつ苦笑した。
「私はもう心情的に衛宮切嗣と敵対できないのよ。私は多分アイツが聖杯を求める理由を知った。願いの内容はもう忘れちゃったけど、その願いは尊いものだったてことは朧げに覚えてる……。だからその願いを、たかだか金銭目的な私の都合で台無しにしちゃいけないんだと感じちゃったのよ」
 衛宮切嗣という一人の男が味わった絶望。それがどんな内容だったかはもう覚えていなかったけれど、青子は男と過去を重ねた時、その願いを知ったのだ。
 もちろんその願いも彼女は覚えていない。だが絶望を味わってなお、地獄の中にいてなお、衛宮切嗣という男は聖杯という奇蹟に望みを抱いているのだ。そして青子はその願いが利己的ではない、とても尊い何かだったという事だけは覚えているのだ。
 だからその尊い願いを、たかだか金銭の為に踏みにじれない。何も知らなければ、相手の都合なぞ考慮しなければ、人は誰かを踏みにじれるが、知ってしまえばそれは遥かに困難だ。
「本当はアイツに勝てなかった時点でそれに気付いて、此処を去るべきだったのよ。でもちょっとだけ、ほんの少しだけ、私がアンタに甘えちゃったから、ややこしく聞こえるの。――私の戦いはね、ウェイバー。あの森の中で終わっていたのよ」
 そう言って、青子は鞄に荷物をまとめ、それを閉じた。
 鞄が閉じるとき、微かに聞こえたのは終幕の音だったのだろうか?
 本来アインツベルンの森で終わっていた彼女の戦い。だけれどそこで見た何かが余りにも辛すぎて、青子は少しだけウェイバーを頼ってしまった。それは間違いではなかったのだろうけど、余分な、蛇足な行為ではあったかもしれない。だから本当に彼女はここで幕を閉じたのだ。
「…………青子」
「頑張んなさいよウェイバー」
 余りに唐突に訪れた別れに呆然とするウェイバーに青子はさっぱりとした微笑でそう告げる。
「それからライダーも、貴方が世界征服するのを楽しみにしてるわ」
「うむ。余が聖杯を手に入れたあかつきには、お主も我が盟友として戦列に加わる事を望んでおるぞ」
「――冗談。でも楽しそうよね」
 挨拶もそこそこに鞄を担いで立ち上がる青子。出会いは唐突に、別れはあっさりと。
 魔法使いはその場を立ち去る。
「――それじゃぁね。また、会いましょウェイバー」
 そんな言葉だけを残して、嵐のように少年の前に現れた魔法使いは、風のように去っていった。
 少年はそれをただ見送るだけだ。
 もう戦う理由がないと言った魔法使い。
 ならば彼女を雇い入れればよかったのだろうか?それが出来れば彼女はもう少しだけ此処に居た筈だ。
「…………」
 だがそんな真似、少年には出来はしない。
 衛宮切嗣を倒すまでの協力関係など、ただの言い訳だ。
 共に戦場を駆け抜け、この部屋で一緒になって作戦を練る。
 その日々こそ、少年にとって美しく、かけがえのないものだったのだ。
 だから金銭を出して、彼女を拘束するなど、それはきっと、自らの初恋に対する侮辱なのだ。
「さようなら蒼崎、青子」
 彼女がいなくなった部屋で、少年はそんな言葉を世界に贈ったのだった。



※  ※  ※  ※  ※  ※



 別れの言葉を後に青子はマッケンジー邸を後にする。
 マッケンジー夫妻に、お世話になりましたと簡単な挨拶をして出てきた彼女は、だけど駅に向かうでもなく、人目を避けるようにしてただ冬木の街を彷徨っていた。
「一人になってあげたでしょ。いい加減出てきなさいよ。このまま出てこないんなら、私、本当に好き勝手やるわよ」
 鞄を下ろし、両腕を組んでそんな事を言い始める青子。
 彼女の前には誰もいない。声は虚しく空気に混ざって消えるだけなのだが、その言葉は明らかに誰かに向けて語られている。
「考えてみれば当然よね。だって聖杯戦争は貴方が始めた儀式なんだもの。術者が儀式の経過を観察するのは当たり前だわ」
 元を、いや根源を辿れば、それは一つの魔術を探求する家、アインツベルンが始めた儀式なのだという。
 アインツベルンは独力での達成を諦め、マキリ、遠坂に助力を求めたのだという。
 それが始まりの御三家だ。
 アインツベルンが聖杯と呼ばれるシステムを鋳造し、マキリが召還したサーヴァントを従属させる令呪を作ったのだという。そして遠坂は霊地を貸しただけだという。
 だがそこに魔法使いが関っている事を知る者は少ない。
「私が魔法を暴走させた時、てっきり守護者であるサーヴァントが、何か宝具を使って私の暴走を解いたんだと思った。だけどライダーもセイバーも、そんな事はしてないと言ったわ。それなのに、私は森で気絶して倒れていた。―――だったら答えは一つよね」
 瞬間、空間が蜃気楼をこねたように歪んだ。
 世界の裏側、時空という一枚のカーテンの向こうから人影が現れる。
「力の暴走には同種の力をぶつけて相殺する。乱暴だけど本当に基本的。冬木は貴方の実験場なんだし、私みたいな例外に世界フラスコをかき乱されるのは我慢ならないわよね」
 蒼崎青子は本来この御三家だけが秘匿している、云わば聖杯戦争の裏側とも呼べる歴史背景を知らない。この知識は青子が気を失って倒れた時に、与えられた知識だ。
 それはサーヴァントが聖杯から現代の常識を与えられるように、青子は気を失っていたその時に何者かに聖杯戦争に纏わる真実を知識として植え付けられたのだ。
 そう蒼崎の魔法を押さえ込み、かつ聖杯戦争の真実が語れる者。それは彼をおいて他にいない。
「始めまして……になるのかしら?」
 いぶかしみ問う青子の声。
 その人影は、コツンと杖を突き楽しそうに言った。
「我々の間に挨拶など何の保障にもなるまいに」
「そ、でも今の私は慣れてないからハッキリ答えて。――――貴方が魔道元帥、万華鏡の異名をとるキシュア・ゼルレッチ・シュバインオーグ?」
「如何にもだ。最新の魔法使い、魔法『青』の担い手よ」





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