運命の青
-第十ニ話-







 自己分析をするにあたり、蒼崎青子の自己評価は行動一途である。
 落ち込んだ時や、失敗した時、青子という人格は部屋に篭って膝を抱える真似をするより、部屋を飛び出し大声で叫びながら疾走する方が自分らしいと感じている。自己の内側と対峙するのではなく、周囲と、いや世界と己を対峙させて答えを導く。それが青子の性格であった。
 だからライダーが河の水を汲んできて、その水にウェイバーが試験薬を垂らした時、彼女は直に二人に同行することを決めた。部屋で二人の戦果を待つより、共に戦場へ赴いたほうが自分らしいと感じられたからだ。よく分からない夢を見た為に見失ってしまった自己。それを取り戻すのに、自分らしいと思える行動をするのは、よくある手だ。
 二人の魔術師はライダーが手綱を握る戦車に乗り込み、冬木市を横断する河に向け夜空を疾走する。
 魔術師の工房。
 それは最後の砦にして、始まりの場所。
 ウェイバーは魔術師が作り上げる工房の堅牢さを重々承知していたし、青子は魔術工房の悪辣さを、自らの姉の凝り性によって嫌というほど思い知らされている。
 だから二人は、キャスターの工房を攻めるという意味を、ライダーより遥かに理解していた。
 工房とは魔術師にとって最後の切札。サーヴァントで言う所の宝具に類する物だ。
 しかも工房を作り上げたのはキャスターのクラスに該当するサーヴァント。
 つまりその工房は誇張や比喩でもなく、紛れも無いキャスターの宝具なのだ。
「AAAALalalalalalaie!!」
 征服王の雄叫びが下水管に響き渡る。
 次々と湧き上がる汚物のような海魔の兵団を、雷を纏った飛蹄雷牛ゴッド・ブルが蹂躙していく。海魔は云わば武器を持たない歩兵だ。それが雷帝ゼウスの神威を纏った戦車の前に躍り出るのだから、兵団が上げる断末魔は当然の結末だ。
 相手が陣地という宝具で迎え撃つのならば、それを上回る宝具で蹂躙する。
 それは実にライダーらしい単純で豪快な戦法であった。
「ほんと、相性のいい二人よね」
 拍子抜けするほどあっさりと終わりそうな工房攻めを眺めながら、青子は一人ごちる。
 堅実な方法でキャスターの工房を割り出したウェイバーに、豪快な手腕で全てを蹂躙するライダー。
 一見すれば鎮具破具ちぐはぐな二人だが、それが面白い程よく噛み合う。自分には無い視点を与えてくれる相手こそ、人生における最良のパートナーだとは言うが、なるほどこういう事かもしれない。
「あれこれって結婚相手の話だっけ?」
 女子高生らしく、そういった恋の話題はよく耳にする青子だったが、魔術師の自分には関係ないかとあまり興味を向けてこなかったせいで、今の話しはどういった場合に使えばよかったのか、その用法に自信を持てなかった。
「なぁ、二人とも魔術師の工房ってのはこんな他愛なく落ちるもんなのか?」
「まさか!!姉貴に作らせたら物質、非物質問わず、馬鹿みたいな量のトラップが起動するし、有珠なら工房に一歩踏み入れた時点で、そのまま異界に飲み込まれるわ」
「まぁ、蒼崎の言う知り合いはかなり例外だから参考にならないけど……。そうだな、今回のキャスターは正しい意味での魔術師じゃないのかも」
 青子は自分の言葉が参考にならないと、バッサリ切られたのが不満らしく。むすっとした顔でウェイバーを睨んでいる。だがウェイバーはそんな視線には気付かず、淡々と得られた事象から組み上げた推測を口にしていく。
 青子も一応自分の周りにいる魔術師はかなり例外的という意識はあるので、特に口は挟まず黙ってウェイバーの推論に耳を傾ける。しかし悲しいかな、その例外的存在の筆頭に立っているという自覚を蒼崎青子はもっていないのであった。
「大体、これが本格的な魔術工房だとしたら、ああも無防備に廃棄物を垂れ流していたのは変だ。まともな魔術師だったら、あんな失態は有り得ない」
 そう語るウェイバーの推論はとても理に適っており、とても分かりやすく説明されている。未だ魔術師として半人前のという自覚のある青子は、ついついと講義でも受けるかのように耳を傾けている。
 そしてウェイバーが語る疑問は彼女にとっても同様のもである。術式による防衛ではなく、召喚した海
 魔による防衛。それはプロセスこそ魔術的だが、兵団を徴用しての防衛など、それは最早魔術師キャスターではなく"将軍ジェネラル"の振る舞いである。
「ふーん、そんなもんかい。……んん?そろそろ終着点か?」
 海魔によって形成された肉の壁が途切れる。その先に広がるのは広い空間。光源のない下水管だが、二頭の雄牛が響かせる蹄の反響音からおおよその規模は推察できる。
「ふん、生憎とキャスターめは不在のようだな」
「貯水槽か何かか、ここ……?」
「何も見えないわ……。でも何にこの臭い」
 魔術によって視界を強化しながら青子が呟く。
 彼女が現在習得している視力強化の魔術は、眼筋を強化する単純なものであり、いわば遠くを見る為だけの視力強化であった。それは魔弾射手マジックガンナーとして嗜みであったが、闇を見渡すのであれば眼筋の強化だけでは不足だ。闇を見渡すのであれば、強化すべきは虹彩なのである。
「なんだよ蒼崎。見えないのか?」
「悪い?まだ遠視しか出来ないのよ」
「いや別に…。だけどそういう事なら明りを用意するよ」
 ウェイバーは視力強化の魔術として、遠視と集光を習得していた。だが青子が何も見えないと言うから、彼はポケットから魔力に反応して発光するカプセル詰めの薬を取り出した。
「あー坊主。止めておけこりゃぁ見ないでおいた方がいい」
 だが歯切れの悪い口調で、ライダーがウェイバーの行動をさし止めようとする。
「なんだよライダー。こんな簡単な魔術をボクが失敗するとでも思ってるのか?」
「そうじゃなくてだな…」
 準備した薬に魔力を反応させる。たったそれだけの事、失敗する訳がないじゃないか、と内心憤るウェイバー。だがライダーの歯切れの悪さは治らない。それどころか「坊主、こいつは貴様の手に余る」とまで言い放った。
「うるさい!」
 パンと手の平で押し潰すようにして薬に魔力を流し込む。それを遠くへ放り、発炎筒代わりに使う。
 ライダーの忠告を無視して魔術を発動させたウェイバー。そこには常に自分と殆ど変わらない年齢の青子が、サーヴァントにも頼らず常に最前線で戦っているというもどかしさがあったからかもしれない。血を流しながら、ケイネスの攻撃から身を挺して庇ってくれたり、魔術師殺しと恐れられるマスターに戦いを挑んだり……。そんな青子に憧れ、誇らしく思いながら、ウェイバー・ベルベットは常に頭の何処かで一体自分はなんなのだろうと自問し続けてきたのだ。
 だから青子が遠視しかできないと言った時、彼は少し得意になって彼女の為に光源を用意した。いやもしかしたら、図らずも魔法の事を聞いてしまったあの時の失点を取り戻そうと考えたのかもしれない。
 ジリジリと魔力を流された薬が発光する。
 ホタルの光に似た緑の蛍光色が、闇に沈められたソレらを薄気味悪く照らし出してしまう。
「―――な、っ――」
 絶句。
 彼のサーヴァントが必要以上に止めておけと言っていた意味。
 それが雄弁に――いやもはや暴力としてウェイバーの瞳に映りこむ。
 人間の子供。
 ただ愛される為だけに生れてきた無垢な命が、この空間では何かの冗談のように解体され悪徳と冒涜によって楽しみ尽くされ、創意と工夫によって何か物らしく無残に組み替えられていた。
「だから、なぁ。止めておけと言ったであろうが」
「うるさいッ!」
 血塗れの床に手足を付きながら、ウェイバーは胃に詰まった物を全て逆流させる。
 そんな彼の生理現象も、この空間に飾られた子供達には望むべくもない贅沢だ。子供達はもう内臓自体が零れているのだから……。
「ライダー、生き残りは……」
 ひとしきり吐いた後、ウェイバーは骨が抜けてしまったようにのろのろと立ち上がり、自らのサーヴァントに尋ねた。
「まだ息がある奴なら何人かいるが……。あの有様じゃ、殺してやった方が情けってもんだ」
 その言葉に、ウェイバーは言葉を返そうとはしなかった。たぶんその子供達は本当にライダーの言う通りの有様で、自分が精一杯の延命処置をしてやったとしても、それは恐らく子供達を生きるという地獄に繋ぎとめるだけになってしまうのだろう。
 もしまだ生きている子供達を救えるなら、それはもっと別の力、魔術による奇蹟ではなく、そう例えば全てをひっくり返すような、魔法のような奇蹟が……。
「――――蒼崎?」
 ふと何となく、ウェイバーの口からその名前がついて出た。



※  ※  ※  ※  ※  ※



 その照らし出された惨状を見たとき、青子はまるでデジャビュでも見たかのように立ち尽くした。
 この光景はそう、自分という存在の方向性が定まった日。
 第二の誕生日に似ていると青子は呆然としていた。
 だがそれが一体いつだったか、その時自分はいったい何をしたのか、そればかりがすっかりと記憶から断線してしまい、何も思い出せない。
 あの時、自分は、何か取り返しのつかない事を、否定してしまったような……。
「――――蒼崎?」
 その苗字を呼ばれ、一瞬怯えた様子で体を震わせた青子。
 戦車に乗ったまま声のした方を見下ろせば、そこには何か希望を……そうまるで虹の根本を見つけたように見つめるウェイバーの瞳。無垢で純粋で、そして縋るような目。
 バチンと、断線していた記憶の回路が無理矢理溶接される。
 記憶が蘇る。
 あの日。まだ自分が幼く何も知らない子供であったあの日。
 あの目は――――そう、あの目は―――。
「―――なぁ、青子。お前の魔法はこの子達を助けてやれないのか?」
 子猫の亡骸を抱えて祖父の下に走った私自身のものなのだ……。
「――たぶんできるわ。――――いいえ違う、ほぼ確実に可能――だけど」
 第五魔法による死者の復活。それを蒼崎青子は静希清十郎という人物に対して行っている。
 だから当然、ここで無残にも殺されてしまった子供達の命を救うことは彼女にとって容易い。
「本当か!?だったら今すぐにでも助けてやってくれ」
 喜びに輝くウェイバーの表情。
 もしかしたら昔の青子はこんな表情をしていたのかもしれない。
 そしてその願いは、今でもまだ正しいと思える。
 目の前の縋ってくる人間はかつての少女蒼崎青子であり、請い願われる自分はあの日の祖父だ。
 だからその答えは決まっている。
「――救わない。それはやってはいけない事なのよウェイバー」
「――――えっ」
 まるで親に崖から突き落とされた子供みたいな声だ。そんな感想を青子は抱いた。
「ど、どうしてだよ!!青子なら救えるんだろ!?助けられるんだろ!?それがどうして救っちゃいけないなんて話しになるんだよ!!」
 分からないと、ウェイバーが叫ぶ。
 どうしてそんな話しになるのか、どうして子供達の命を救う事がやってはいけない事なのか。
 それが理解できないと、ウェイバーは子供みたいに叫んでいる。
「救ってどうするのよ!!」
 だが糾弾される青子も悲痛な叫びをあげる。
 戦車をゆっくりと降り、縋ってくるかつての自分の襟首を掴んで声を上げる。
「救って、助けて、それは一体何になるの!?――自己満足?聖杯戦争に参加している魔術師としての
 責任?貴方はどうしてこの惨状を救いたいと思ったのよ!!」
 それはあの日の自分に問いかける、あの時と全く同じ質問だ。
 些細な不注意とも言えぬ偶然から奪ってしまった猫の命。その零れて落ちていく命の亡骸を抱えて走り、助けて下さいと飛び込んだ祖父の下。
 暗い洞窟の奥、蒼崎青子は、そこで祖父の魔法によって生き返った猫の命を目撃した。
 第五法。
 魔法『青』。
 その奇蹟は本来取り返しのつかない物を、じつにあっさりと取り戻してしまった。
 尊い命が、無残に失われれば誰もが涙するとても尊い命が、魔法の前に実にあっけなく生き返る。
 祖父の魔法には代償もなく、困難もなかった。
 だからこそ青子には許せなかった。
 命がこんな簡単なものであってはいけない!!
 殺してしまった後悔も、悲しみも、涙さえ――。
 こんな簡単に取り戻せてしまうなら全て無意味になってしまう。
 世界に尊いモノなど無くなってしまう。
 だから青子は、忘れない為に、後悔を抱えて生きる為に、二度と同じ過ちを繰り返さない為にその生き返った猫の命を…………。
「命は尊いの!!涙が出るくらいに尊いの!!それを誰かがこんな風に弄ぶ事は許されないと思うなら、その命を私と貴方の都合で呼び戻すことも同じくらいに許されてはいけないのよ!!」
 それが蒼崎青子の指針。
 命を軽んじる事がないようにと自ら定めた生き方。
 もし青子が誰かを生き返らせるとするなら、それはどうしようも無いくらい利己的な青子のエゴによらなければならない。ソイツが死んだままでは、自らの人生が立ち行かなくなってしまうと思える人物。
 それを彼女の身勝手な願いによって復活させる。そんな人物の命だけを唯一魔法によって救う。
 さもないと蒼崎青子は、自己の存在しないただの第五魔法を発動させるだけの、彼女の祖父のようになるか、さもなくばただ人の命を復活させつづける、まるで衛宮切嗣のように消費されるだけのシステムに成り下がってしまう。
「……だけど」
「なぁ坊主、過去を悔やみ、過去を悼むからこそ、人はより良く生きるのだ。余も大勢の部下を戦争で死なせたがな、戦いの度に全ての部下を生き返らせていたなら、それは征服たりえんだ。死に、生き返り、また戦う。それは戦争ではなく只の行軍だ。そんな生き方を誰が夢に描く、誰がそんな生き方に憧れる。悲しいと泣き、不条理だと嘆くなら、そういった思いを全て背負って生きていけ。それが生きている者の務めだ」
 戦車から降りたライダーは、ウェイバーの頭をなでながら慰める。王として兵を束ね、多くの戦場で兵士達を死なせてきた彼の口から出る言葉は、何よりも深く少年の心に響いた。
 そうしてまだ納得しきれていないウェイバーも、ライダーと青子の優しさだけは心から信じられた。
 青子はただ一言『死者の復活は出来ない』と嘘をつけばよかったのだ。だけれど彼女は出来ると言った上で、それは余りに罪深いことなのだと、ウェイバーに教えた。子供達の死を悔やみながら、悼みながら、必死に自分に言い聞かせるように、教えたのだ。
 その涙を見たからこそ、少年は言葉を収める事ができた。
「狭苦しい処ですまんがな、ひとつ念入りに頼むぞゼウスの仔らよ。灰も残らず焼き尽くせ!!」
 ライダーの叱咤と共に戦車は全てを焼き尽くす。
 その光景をウェイバーは自らの傷として全て焼き付ける。子供のように誰かに責任をとって貰うのではなく、少女のように魔法使いに期待するでもなく、全て自分の罪として記憶する。
 そうして蒼崎青子も燃える子供達の遺骸を見つめながら、自分の戦いが終わっていた事に気づくのだ。





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