運命の青
-第十話-







「出て来い衛宮切嗣!!」
 森の中に明朗な声が響き渡る。
 アインツベルンの森の奥。魔術で編み上げた結界と自然が作り出した天然の森林結界、それを越えた先に古城アインツベルンは建っていた。
 絵本の中から抜き出したかのような森の古城は、攫ったお姫様を監禁しておくに相応しい威風を醸し出している。これが物語であるなら、城に住む悪い竜を倒し、お姫様にキスをして話しは終わるだろう。
 だがその堂々とした威風を醸し出す古城の前に立つのは、まだ少女の若さを残した私服の女子高生だ。
 そのアンバランスさたるや、まるでオペラの舞台上に、スクランブル交差点で捕まえた私服の女子高生を放り込んでしまったかのようだ。
「待つのは一分だけよ。出てこないなら城ごと破壊してあげる」
 だが異様という言葉を用いるなら、彼女の右腕こそ異様だ。
 幾重にも折り重なった複雑な魔術式、それが彼女の右上前方、虚空に輝く青で展開されている。
 そう彼女はお姫様を救い出す騎士でもなければ英雄でもない。
 絵本の中から抜け出した古城と同じ存在、魔法使い蒼崎青子なのだ。
 ならば彼女の訪問は場違いなものではない。魔法使いならば古城を訪ねる権利がある。
 城の重く巨大な門扉は内側から外へ向け開かれ、腹に収めた悪の魔術師を吐き出す。
「ようやく会えたわね。貴方が衛宮切嗣?」
「……そうだ。僕が衛宮切嗣だ」
 黒い不吉なコートを羽織りながら、口に煙草をくわえ、短機関銃を手に提げる男。
 今まで出会ってきた誰よりも死を匂い立たせる男。瞳には生気がなく死者と判別できないほどに暗く色がない。足元に落ちる影すら血溜まりのように見えてくる。
 清廉にして潔白、騎士の中の騎士、アーサー王を従えるマスターとしては余りに不釣合いな男だ。
「用件は分かっているわよね」
 掲げた魔術式を握り潰しながら、説明の必要はあるかしらと問いかける青子。
「勿論。―――君は僕の敵だ」
 衛宮切嗣は短く応じると、キャレコ短機関銃の9mm弾を掃射した。
 戦場の空気が整いきっていない、完全に虚をつく形の掃射だ。人間を的にすれば、ペースト状の蜂の巣が出来上がる有無を言わさぬ近代兵器の暴力だ。
 だが青子は変わらずその場に立ち続ける。
「虚像!?」
 男の驚いた声。
 五十発もの弾が込められた弾倉を撃ちつくしても、ただの一発も対象には命中しなかったからだ。
 弾丸は全て対象をすり抜け、弾丸は無駄弾に終わった。
「そう、人違いじゃないのね」
 髪をかき上げる仕草をしながら、青子はため息をつく。そこに焦りは微塵もない。
 彼女はごく自然体に、ようやく獲物を追い詰めた狩人としての実感を味わっているのだ。
「だったら私は容赦なくアンタをぶちのめす」
 その宣言で、青子のスイッチが入り意識が完全に戦闘用に切り替わる。
 お返しと言わんばかりに、魔術刻印から掃射される青子の魔弾。
 ケイネス戦で見せた魔弾三十六連射だ。野球ボール大の魔弾は、人体を貫きこそしないが、当たれば全身骨折は免れない凶悪さを有している。そして全身骨折はその殆どにおいて、人間を死に至らしめる。
 だが今度は青子が驚く番であった。
「身体強化に対魔術礼装コートですって?」
 魔術師殺しの異名をとる男は、そのマシンガンに匹敵する魔弾の連射、その殆どを躱し、躱しきれなかった魔弾は、男が身に纏ったコートによって全て防がれたのだ。
 ジャリンとお互いに足元を確認するように地面を踏みしめる。
 初手をお互いに潰してしまった事が両者を慎重にさせている。
 焦れる空気。
 動けない二人。
 お互いに相手の魔術の正体を見破ろうと思案しているのだ。
魔弾形式ツアーブラウン―――収束投射スターマイン!!」
 焦れきった青子が先に動いた!
 魔弾ではなく、魔力を力任せに撃ち放ち続ける魔力照射。
 それは相手がどんな策を弄していようとも、真正面からぶち抜くという青子の性質が出た攻撃方法であった。威力は十分、コートも十分ぶち抜ける!!そんな確信を持った一撃。
 だがその確信も当たらなければ意味がない。
 収束投射の一撃は、身体強化を施しているであろう魔術師殺しに容易に躱されてしまう。
「――ッ収束じゃぁ当たらない!?」
 弾速としては最速の一撃。だがその一撃も魔術の起こりを察知されれば、それは最速たりえない。
 戦闘経験豊富な切嗣は魔術の起こりを見切り、躱してみせた。そしてコートの内側から新たな弾倉を取りだし、付け替えた切嗣は、固定砲台として機能してるが故に動けない青子に銃口を向ける。
 一気に吐き出される9mm弾の嵐。だがこちらも先ほどと同じく対象を透過してしまい、微塵もダメージを与えられない。
「何故!?射線は見切ったぞ」
 弾が命中しない理由を虚像による対象のかく乱と断じた切嗣。故に今度は相手の攻撃を躱しつつ、飛来してきた魔弾の根本に銃弾を打ち込んだ。だが結果は先ほどと同じく無為に終わってしまった。
「――弾倉装填――装填完了、一斉射!!」
 再びの魔弾三十六連射!
「ふっ」
 だがその殆どを切嗣は回避し、命中した数発もコートに防がれてしまう。
 返礼とばかりに切嗣はコートの内側から軍用発炎筒を取り出し、青子に向けて投げつけた。
「煙幕!?」
 視界が煙る。吐き出された白い煙は辺りの空間を包み込み、視界を封じる。
 走り去る足音。それは戦術的撤退を決めた切嗣の足音であった。
 見えない視界の中、青子は躊躇なくその音源に向けて走り出す。
 ここで衛宮切嗣を取り逃がせば、もう二度と相対する機会は訪れないだろうと考えたからだ。
 アサシン以上のアサシン、衛宮切嗣。彼はきっと二度と彼女の前に姿を晒すことはなく、スコープ越しに命を狙い、ライフルの一撃で決着を図るだろう。そんな何時命を狙われるとも分からないスナイピングを、青子に防ぐ術はない。
 いや正確に言えばあるのだが、青子はそれを是としない。
 常時第五魔法による時間跳躍を続けるなど、未来に対してあまりに膨大な負債を作り過ぎる。
 彼女が彼女を許せる魔法の使用限度はこれっきり・・・・・。このファーストコンタクトを逃がせば次はない。
 絶対に負けない戦いではあるけれど、あまり時間をかけられず、取り逃がせば負けが付く。
 そんな思いが、彼女の足を躊躇なく森の奥へと進ませたのだった。
 


※  ※  ※  ※  ※



 全力で森を逃げる切嗣は、自らの選択を呪いたい気分であった。
 固有時制御による心拍数は1.2倍で固定しており、丁度ドーピングをしたオリンピック選手と同程度の身体能力を発揮している。
 気配を遮断し、固有時制御を解除して木の幹に身を隠し、体を休ませる。
 思い返すのはケイネスとあの娘の戦いだ。
 舞弥からケイネスの許婚が魔術礼装を持って動きだしたという報告を受けた切嗣は、その礼装が運ばれる場所こそケイネスとあの娘の決闘場所だと判断し、礼装が置かれた場所に身を隠した。
 ライフル用に加工した起源弾を装填し、スコープ越しにあの戦いを監視した。
 撃てるのは一発きり。それ以上の発砲はサーヴァントに狙撃ポイントが露見する恐れがあると、照準はランサーのマスターに合わせていた。それはセイバーのマスターとして至極妥当な判断であったはずだ。
 闘う両者は互いに典型的な魔術師であり、娘の方も闘えば闘うほど手の内を晒してくれた。故に娘と戦う事になったとしても、十分に対策は立てられるはずだった。
『だがあの魔術はなんだ?こちらの攻撃が全て透過するだと?』
 数々の魔術師と戦ってきた切嗣だからこその疑問であった。銃器を頼みとする彼の戦法において、一番厄介な相手は自らの居場所を幻惑する者に他ならない。射線を向けてこその銃弾であり、対象に命中してこその起源弾なのである。
だから切嗣は第二射目で、発射される魔弾を紙一重で躱し、偽装のしようがないタイミングでその魔弾の源に向け弾をばら撒いた筈であったのに……。弾丸は全て通り抜けてしまった。
『まさかあんな奥の手を隠しているとは』
 こんな事なら娘の方を殺しておけばよかった。そんな後悔が付き纏う。
 ランサーのマスターは起源弾の一撃により重体になったが、命は取り留めた。自らのサーヴァントに抱えられ、工房に撤退したケイネスをビルごと爆破し、完全にその命を奪った。
 その圧倒的な戦果をかなぐり捨ててでも、娘の方を殺しておけばよかったと後悔してしまうのだ。
『問題は逃げ切れるかどうかだな……』
 弾が当たらないのであれば、切嗣に勝機はない。ならば逃げるのが最良の選択なのだが……。
『だけどもう少し、アイリが逃げ切るまで時間を稼がなくては』
 そう、青子が城ごと破壊すると宣言した時、城にはまだアイリスフィールが居たのだ。青子の常識外れの破壊能力を目撃していた切嗣は、その威力を目の当たりにしていたが故に、遮蔽物のない屋外へと進み出るしかなかった。あの高威力の魔弾が放たれ、もし城に居たアイリスフィール命中してしまえば、聖杯は破壊され、聖杯戦争は根底から破綻してしまう。
 切嗣の手持ちの武装はキャレコ短機関銃に、コンテンダー。そして急遽対青子用として、錬金術のアインツベルンが製作した、対魔弾に特化した礼装コート。それが彼に残された手札であった。
 大きく深呼吸を一つ。
 キャレコ短機関銃の弾倉を交換し、ゆっくりと迫ってくる足音に向けて、衛宮切嗣はその身を躍りだし銃口を向ける。
「こっちだ!!」
 声と共にばら撒かれる銃弾の嵐。
 聖杯が破壊されるかもしれないという僅かな可能性を廃する為、彼の彼女の悲願の為、切嗣は勝機のない相手に向けて、注意を引くための時間稼ぎを挑む。



※  ※  ※  ※  ※  ※


「こっちだ!!」
 声と共に発射される大量の弾丸。だがその全ては青子の体を透過する。
 第五魔法による時間跳躍の結果である。
魔弾形式ツアーブラウン―――収束投射スターマイン!!」
 ビーム兵器じみた青子の魔弾が発射される。だがそれは手の内を読みきられたバレバレの一撃であり、再び躱されてしまう。青子に求められるのは礼装コートを撃ちぬく威力と、攻撃が来ると分かっていても回避できない――そんな魔術なのである。
「技術が追いつかないッ」
 今の青子にそれを両立させるだけの技量は備わっていない。
 未来の彼女なら容易なその魔術も、現在の彼女には遥かに遠い魔術なのである。
 短く撒かれる短機関銃。その攻撃を無視して青子は真っ直ぐに突っ込む。
 格闘戦で倒すつもりなのである。
 ワン、ツー、スリーのリズムで繰り出されるパンチとキック。
 だが、魔弾を躱す敵に、拳が当たる道理があろうか?攻撃は悉く回避され、触れる事すら叶わない。
 青子の眼前に大口径の銃口が向けられる。それこそ魔術師殺しの愛銃コンテンダーである。
 発射される大口径。その弾丸は当然のように青子をすり抜けるが、弾丸に詰められた大量の火薬は凄まじい発砲音を響かせ、少女を怯ませる。
「ぅっ」
 響く音の衝撃に耳を押さえて後退する青子。鼓膜にダメージはないが拳銃を音響弾の替わりに使用するとは思ってもみなかった。
 距離を開けて向き合う両者。
 魔術師殺しはのんびりとコンテンダーに新たな銃弾を装填する。その行動は彼が攻撃をする気のない事を如実に語っている。それが時間稼ぎであることは、青子にも見え見えである。
 だがその理由に青子は思い至れない。彼女は聖杯=アイリスフィールの図式を知らないからだ。
「――――もういい。全部終わらせるわ」
 青子は思考を打ち切り、吐き捨てるように言い放つ。
 バチン。と空気に青い稲妻が走る。
 蒼崎だけが持つ新たな法則。第五魔法、その新たな行使に空間が、いや世界が震える。
 第五魔法を使用した、時間跳躍の魔法の連続使用。それだけでは負ける事はなくとも、勝利はできないと青子は再び魔法の力に指をかける。
 古城の前に辿り着いた時点で詠唱は終わっている。魔法は既に青子の中に顕現している。
「なに!?」
 戦場で滅多に声を上げる事のない切嗣が目を剥き、声を上げる。
 風が逆巻き、魔力が電気質となって火花を散らす。圧倒的な力の顕現。
 その予兆に目を奪われる。
 少女の黒髪が色を失い、雪のように自らの色を忘却していく。
 時間旅行という、酷く限定的に使い方をされていた魔法『青』。
 その力を全て解放し、目の前の男を打倒しうる位まで自らを高める。
 他者の時間を盗み出し、自らの経験時間を加速させる魔法の運用。
 このまま決着がつかなければ、青子はずるずると時間旅行を続け、未来に膨大な負債を作り続ける羽目になってしまう。それは許せない事だ。ならば他者を触媒とし、自己を最適化し一気に敵を打倒する。
 それが蒼崎青子の結論。
 それが決して負けることはなかった蒼崎青子の敗北。
 それが彼女の決定的な間違い。
 圧縮された時間の中、他者の経験を遡り、自らの時間に取り込む魔法の運用。
 それは一時的にとはいえ、時間を盗み出す対象の経験を自分の物としてしまう。
 そして今、蒼崎青子は衛宮切嗣の過去を自分の物として追体験してしまった!!
「あっあああああああああああああああアアああアアああアアああアアああアアああアアああアアああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
 壊れるような絶叫。
 衛宮切嗣という正義の味方を目指した破綻者が見て味わってきた地獄を、蒼崎青子は僅か一秒にも満たない間に全て取り込んでしまったのだ。
 魔力が暴走する。何かを振り払おうとして青子の腕が、魔力の本流を作り出し周囲を一気になぎ払う。
「こ、こいつは……」
 その突然の暴走に切嗣も言葉を失う。
 魔力が吹き荒れ、何の術式も組まれていないただの魔力の塊がハリケーンのように木々をなぎ倒してゆく。
 白く色を失った髪色は赤、白、黒、とさざ波のように移り変わり、安定しない。
 完成された魔法使い、その暴走。
 完成された本来の彼女を知る者があるなら、それは想像もしたくない悪夢だ。
「ああああああああああ違うの!!ダメ!許して!!あああああああああ父さん、私は!!!!!」
 衛宮切嗣という男さえ十年以上の歳月をかけてゆっくりと嚥下したその地獄を、ただの少女が一気に嚥下してしまったのだ。胸を焼く怒りと悲しみと絶望。その全てが青子を狂わせる!!
 暴走のエネルギーは、第五魔法というペテンのような無尽蔵から、その暴走の余波は蒼崎青子という稀代の破壊の魔女のかいなから。
「ああああああ、シャーレイ!!シャーレイ!!!!なんでこんなことに僕は、僕は!!けど、だって私はあああ、許してナタリア、世界を!!沢山の人を救うにはあああああするしかなくて!!!!」
 バクンと誰かの心臓が跳ねた。
 押し殺していた過去。誰にも打ち明けなかった罪。
 彼以外知る者のいなくなった罪が今暴かれ、目の前に現れてしまった。
「うわあああああああああ!!」
 切嗣が少年のような慟哭を上げて銃が乱射する。だがその全ては吹き荒れる魔力風に衝突してあっけなく消滅していく。
 抜き撃ったコレンダーの弾丸もあの魔力風を突破できはしない。
「「あああああああああああああああああああ!!」」
 響き渡る絶叫。
 今この瞬間、冬木の地から、世界の破滅は始まった。





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