運命の青
-第九話-







 その戦端が開かれたのは偶然であった。
 だがそこには偶然という言葉では片付けられない因縁が結ばれていた。
「おぉ我が麗しの聖処女よ。いつまで神の語る理想などに踊らされ続けるのか!!御覧なさい、この痛ましい光景の何処いずこに神の愛が宿っていると言われるのか!!子供たちの無垢な命を生贄に呼び出されたこの地獄の軍団を裁く神の威光はいつ降り注ぐのか!!」
「黙れ外道!!我が名はアルトリア・ペンドラゴン。その様な名で呼ばれる謂れなど、一片たりとも存在しない」
 セイバーの怒気に呼応する如く、不可視の結界を解かれた聖剣エクスカリバーが、黄金の光を放つ。
 その眩い威光に、彼女を取り囲む邪心の軍団は一瞬たじろぐが、直にその輝きを喰らってやろうと、光に群がる蛾のようにセイバーへと殺到する。
 伸ばされるおぞましい触手。それは穢れと不浄を是とし、聖女を地獄の釜に引きずり込む魔手だ。
「ハァ!!」
 だが光を伴って振るわれるセイバーの剣戟は、汚濁のようなその津波の一切を跳ね除けて有り余る。
「ジャンヌ!!何故貴女はそうまでして頑なのか!!憎っくきブリテンの悪食共は貴女を汚し、辱め、その肉体をも灰にしたというのに!!なぜ貴女はブリテンの王などという虚飾に囚われたままなのか!!神は何故貴女ばかりを捕え、離そうとしないのか!!」
 キャスターの怒りに嗚咽する声が、アインツベルンの森に木霊する。
 その嘆きに呼応するように、血溜まりの中から新たな異形の軍団が現れる。
 片や怒りを胸に聖剣を振るい、片や絶望の嘆きを胸に地獄の軍団を指揮する。
 それは決定的に食い違ったままの戦いであるはずなのに、そのどちらにも譲れない思いがあった。
「ジャンヌ!!」
 狂乱の叫びを上げるキャスター。
 黄金の剣は彼の軍団を切り裂き、その切っ先でその首を刎ねんと迫る。セイバーが振るう暴風のような剣戟の嵐は、血風を巻き上げ地獄の軍団を容赦なく断罪する。その速度はキャスターが新たに召集する地獄の兵団を上回り、聖剣は彼の命を目指し刻々と近づいてくる。
 だがその度にキャスターは自らの内に蓄えた魔力を放出し、軍団の再編成を行う。その無尽蔵にも思える魔力の源は、彼と彼のマスターが今までくびり殺した子供達の無垢な魂に拠る。
 こうしてキャスターは辛うじて拮抗状態を保っているのだ。
「あぁ何故、何故なのですジャンヌ!!光明の見えない戦いにあっても貴女は気高く美しい。その輝きこそ貴女がジャンヌ・ダルクその人であるという証であるというのに、何故貴女はそれに気付いてくれないのです!!我が愛に汚れよジャンヌ!!それが神の御許から貴女を解放する術ならば、我が愛によって血の一滴、髪の一房に至るまで、我が愛によって染まり尽くせ!!」
 慟哭するその身勝手な言い草にセイバーは何ら言葉を返そうとはしない。彼のキャスターとの問答には意味が無いと感じているからだ。しかしそれ以上にセイバーは口を開く気力を削がれていた。
 体内を巡る魔力は好調だし、その肉体に手傷を負っていない。だが彼女がもっとも頼りとする聖剣エクスカリバーがいつもより重く感じられてしまうのだ。
 子供達の命を啜った魔軍。それを切り伏せれば切り伏せるほど、キャスターは子供達から奪い取った無垢な魂を邪神の口内に捧げ、新たな魔軍を召還せしめる。その一連の魔力の動きを看破してしまったからこそ、聖剣は重く彼女の魂に負荷をかけるのだ。
 キャスターが蓄えた魔力が尽きるのが先か、聖剣の輝きが失われるのが先か……。いやキャスターの言葉を借りるなら、汚れるのが先かと言った方が良いかもしれない。
「違う!私はこんな所で立ち止まる訳にはいかない!!私は聖杯を掴み、全ての民を救済するという王としての責務がある!!」
 奥歯を噛んで聖剣を握り締める。全ての人々の願いによって形作られた聖剣に、再び眩い威光が灯る。
 子供達の命を悼むというのであれば、聖杯を掴み選定の剣による王の選定をやり直せば良い。そうすればセイバーは王ではなくなり、聖杯を探求したという結果も消失する。そうなれば彼女はこの聖杯戦争に参加する資格を失い、結果この狂ったキャスターによる無意味な惨殺という現在も消えてなくなるのだ。
「だが貴様だけは騎士の誇りに掛けて、この場で首を刎ねてくれる」
 魔力を放出しながら大きく跳躍し、囲む軍団の頭上を軽々と飛び越える。それをさせまいと、幾つもの触手が宙を舞うセイバーに伸ばされたが、全て聖剣の一閃によって払われた。
「おぉ、我が聖処女よ。怒りに震える貴女はやはり美しい」
「ならば我が怒り、その身で味わえ」
 セイバーが聖剣に意識を向ける。
 星々の輝き、人の願いの結晶、それを祈るように大きく掲げる。
 光りを増す聖剣、王を夢見、理想に殉じる一人の少女の理想。
 それが今、真名と共に解放されようとしていた。
「AAAAALaLaLaLaLaLaie!!」
 だが海魔の軍団は聖剣の輝きによってではなく、突如現れた雷を纏う戦車によって蹂躙された。
「ラ、ライダー!!」
 驚いた声を上げるセイバーを余所に、ライダーは剣呑な殺気を放ったまま手綱を繰り、戦車をキャスターへと向ける。
遥かなる蹂躙制覇ヴィア・エクスプグナティオ!!」
 問答無用で放たれるライダーの宝具解放。ゼウスの雷撃を纏った飛蹄雷牛の疾走は、キャスターとの間に存在する全ての海魔を蹂躙し蒸発せしめる。
「ヒッ」
 突然乱入してきたサーヴァントを見て恐怖の声音を上げるキャスター。そのままライダーの宝具によって消滅するかに思えたが、彼のサーヴァントはキャスターのクラスに相応しい挙動で自らの肉体を霊体化させた。
 だがライダーの疾走は躱しきれるものではなかったらしく、キャスターは宝具を抱えていなかった方の右腕をボトリとその場に落して立ち去った。
「待て外道!!」
 呼び止める声に応える者はなく、セイバーの声だけが虚しく森に響く。斬り裂く対象を失った聖剣を二度三度と片手で操り、剣に充填した魔力を散らせる。その顔にキャスターを撃退したという、晴れやかな喜びはない。あるのは取り逃がしてしまった事に対する苦渋の表情だけだ。
「何故邪魔をしたライダー。お前はあの外道を臣下に迎えるために、私の戦いに横槍を入れたのか」
 一度はその横槍に救われたセイバーであったが、あの時と同じ理屈でキャスターを救ったのであれば、それは彼女にとって看過できない悪だ。収める鞘を失った剣がライダーに向けられる。
「セイバーよ、右腕は完治したか?」
 だがライダーはセイバーの質問を跳ね除けて、彼女の様態を問う。その淡々とした口調に、ライダーが始めて現れた時のような飄々とした親しみやすさはない。ライダーの全身からは剣呑な殺気が立ち昇っているのだ。
「槍の呪いなら解呪されている」
 常人なら失神するであろう征服王の怒りを受けても、騎士王たるセイバーは微塵も引かなかった。
 むしろライダーは自らの腕の具合を確かめる為だけにこの場に現れたのだと、彼女は今の質問で確信した。しかし何故そんな質問を投げかけるのか、その意図は掴みかねたセイバーは暫しこの問答に応じることにしたのだ。
「そうかやはりランサーは脱落しおったか……」
「待て征服王。ランサーは貴方が倒したのではなかったのか?」
「ほ、騎士王よ、何故ワシがランサーを倒したのだと思った?誰かにそう教えられたのか」
「―――ッ」
 言葉に詰まるセイバー。
 彼女はランサーの脱落に関しては、槍の呪いによってその有無を確認できる。
 だがセイバーは昨夜、アイリスフィールから二度、槍の呪いが解呪されたかを質問された。今思えばあの質問は、ランサーは本当に脱落したのかという死亡確認であったのではないか?
 そしてそんな質問をするということはつまり……。
「どうやら心当たりがあるみたいだのう」
「そんな、私は!!」
 失望したような顔をするライダーに、セイバーが声を荒げて否定する。
「分かっておるわ、騎士の中の騎士よ。貴様がそういった暗部からは最も遠い場所に立つ者であることくらい。清廉にして潔白、余の貴様に対する評価は変わってはおらん」
「――かたじけない、征服王」
 清廉なる騎士王にとって、そのような嫌疑をかけられる事が既に耐え難い屈辱であった。もしそれが根も葉もない戯れ言であったなら、彼女は王の威信としてその侮蔑者を斬り捨てただろう。だが彼女はそういう事を画策しかねない人物を知っている為、強く出られないでいたのだ。
「衛宮切嗣、それがお主のマスターの名前か」
「…………」
 沈黙。
 それはまだ心のどこかで、マスターに危険が及ぶ可能性を増やしてはいけないという、騎士としての忠義であった。
「よい、その顔で全て分かったわ」
 だが否定もしないのは、虚言を嫌う彼女の性格と、己がマスターに対する不信感であった。
「だがな騎士王よ、我らはその男に決闘の勝利を掠め取られた。その落とし前だけはつけさせて貰おう」
 ぽんと戦車に同乗する己がマスターの頭に手を置くライダー。だが少年は心、此処にあらずといった具合で、森の奥、アインツベルンの城の方角を見つめている。
「まさか、あの少女を!?」
 城の前に置いて来たのか!?そう聞きそうになって、セイバーは言葉を止めた。
 切嗣という人間は人を殺す事に馴れた殺人者だ。そんな男の前にただ魔術師であるというだけの、普通の少女を置いてきたのかと心配しそうになったからだ。
「掠め取られた決闘の誇りは決闘によって取り戻す。―――時間稼ぎ、付き合ってもらうぞ騎士王よ」
 戦車の疾走と共に再び開かれる、アインツベルンの森での戦端。
 騎士王と征服王。二人の王が競い闘うこの戦争すら前哨戦でしかない。
 決着は遥か森の奥。
 魔術師殺しと、魔法使いの手によって告げられる。





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