運命の青
-第八話-







一工程ワンシングルの魔弾が射出される。
 蒼崎青子が放つ魔弾にとって、十メートルの距離など問題にもならない。標的に木の板でも立てておけば、粉々に粉砕する威力がある。だが標的は木板でも、木盾でもない、魔術によって流動する水銀だ。
 マシンガンの弾速にも迫ろうかという青子の魔弾は、自動オートで術者を覆い隠した水銀の膜に全て防がれた。
「硬いッ!」
 毒づく青子にケイネス・エルメロイが操る水銀の鞭が迫る。
 大きくステップを踏みその場を飛び退く。次の瞬間水銀の鞭が大地を切断しながら激しく叩いた。
「躱すとはいい目をしている。だがそれでは私には勝てんよ。――Scalp!」
「くッ!」
 先ほどと全く同じ攻防。青子は飛び退きつつ、一工程ワンシングルの魔弾を掃射する。
 結果、自律防御を命じられた礼装は魔弾に反応してしまう。水銀礼装は鞭を振るう攻撃を繰り出しながら、術者を守ろうと水銀の防御膜を形成するため、水銀面を流動させる。その二つの処理を同時に行っている影響か、鞭の予備動作が緩慢になる。
 水銀が青子の居た場所を切り砕く。こうして魔弾を撃ち、あの礼装に負荷を掛け続けなければ、青子には一工程ワンシングルの鞭を躱すことも儘ならない。
「距離をとれ蒼崎!あの礼装は物理エネルギーに影響されてる。距離を取れば致命傷の攻撃は出来ない」
「――了解ッ」
 後衛に下がり、ケイネスの礼装を見極めたウェイバーが声を上げる。
 その声に従いながら、青子は再び魔弾を放って、後転しながら飛び退く。長い手足をフル稼働させるその動作は、ブレイクダンス染みた回転ではなく、新体操のような、洗練された滑らかな動きだ。
「――オットット」
 だがそんな曲芸染みた真似、練習もなしに早々出来るものではない。青子は着地で上手くボディコントロールできずにたたらを踏む。
 だがその絶好の好機に攻撃は襲ってこなかった。
「ふむ。小娘の分際で、中々いい弾を撃つではないか」
「―――そっちも随分大仰な礼装を持ってるじゃない」
 軽口を返してみたものの、僅か三合の戦いの応酬で、青子とケイネスの実力の差は白日の下に晒されてしまった。
 青子が放つ一工程ワンシングルの魔弾ではあの自律防御を突破できない。精々負荷を掛けるのが関の山だ。
 対してケイネスの一工程ワンシングルは、襲い来る魔弾を完全に防御せしめ、尚且つ致命傷の攻撃まで繰り出す。
 拮抗しているように見えるが、青子の足が一瞬でももつれれば、その瞬間に彼女の敗北は決定する。
「ウェイバー」
 故にこのままでは削り負けると結論付けた青子は、勝機を求めて、客観的視点でいまの戦闘を見ていたウェイバー・ベルベットに尋ねる。
「あの礼装は水銀の総量を超えた攻撃ができない。それは絶対だ。だから距離を離せば離すほど、伸びてくる腕は細く力の無いものになる……と思う。だから兎に角一定の距離を保つんだ」
「オッケー。その調子で何か突破口を見つけて」
 唾を飲み込んで、渇き始めた口内を潤そうと試みる。だが額に流れた一筋の汗は拭えそうにない。
「それで、相談は終わったのかね?」
「おかげさまでね。ちょっと希望が見えてきたわ」
 などと憎まれ口を叩いてみたが、殆どなにも解決できていない。青子がウェイバーから教えられたのは、暗い夜道が怖かったら、十字架を握って歩きなさい、程度の気休めだ。暗闇に対する解決には程遠い。
「宜しい。では特別講義を続けよう」
 自らの間合いまで進めるケイネス。青子の腕にも、カシャン、カシャンとリボルバーを回すが如く、魔弾が装填されていく。
 二工程、いや手応えからして三工程の魔術は用意したい。そうすればあの自動防御も突破できるだろう。だが、とそこまで考えて青子の表情が蔭る。
 こちらが三工程の攻撃魔術を用意するということは、相手も三工程の防御を用意できるという事に他らない。そして青子は、あの魔術師が三工程以上の防御魔術を所持していないなどと、楽観視できない。
 蒼崎青子は勝機を掴みきれないまま、再び消耗戦に挑む。


※  ※  ※  ※  ※  ※


「ハァッ!!」
 裂迫の掛け声と共に振り下ろされた剣。
「フッ」
 二槍の槍が、戦車の加速を乗せた苛烈な一撃を華麗に受け流す。
 すれ違っては衝突しあう剣と槍の戦いは、ライダーとランサーによるもう一つの戦いだった。
「まったく、これでは埒があかないのうランサー」
 牡牛の手綱を引き絞りながら、ライダーが笑いかける。
「もとより勝敗を決する気のない戦いだ。互いに興がならぬのも無理はなかろう」
 長槍をコンクリートに刺し、短槍を肩に担いで、ランサーもため息混じりに同意した。
 騎兵と槍兵。お互いに拮抗状態を演出しろと命ぜられた二人は、マスターから五十メートル程は離れた建物の屋上で、徹底的に噛み合わない戦いを繰り広げていた。
 騎兵が槍兵を倒すのは簡単だ。戦車で轢き殺してしまえばよい。だがライダーはそれをせず、空中を旋回しては時折思い出したかのように、ランサーのギリギリに戦車を突撃させる。
 戦車の突撃を華麗に躱すランサーに向けライダーも剣を振るうが、戦車を繰る騎兵にとって剣など、敵を切り裂ける盾程度の用途しかない。倒す気があるならば、全力で戦車を疾走させ突撃させるべきだ。
 それは同時にランサーにも言える事柄だ。『将を射んと欲すればまず馬を射よ』とは中国の格言であり、日本では馬斬りとして、武士の間で忌避されてきた恥ずべき行いがある。
 それを騎士道に当て嵌めてよいのかは疑問だが、少なくともランサーは牛斬りをやろうとはしていない。
 戦いに勝利だけを求めるのであれば、迷わず刺すべきなのだ。
「しかし意外だったぞ征服王。戦術家として名を馳せたお前が、勝機のない戦いに己がマスターを送り出すとはな……。それとも何か我がマスターを打倒しうる秘策でもあるのか」
「そんなものありゃせんわ。あれは正真正銘真っ向まっこうきっての殺し合いよ」
 胡乱な表情でライダーを疑ってみたランサーであったが、征服王は実にあっけなくランサーの疑いを一蹴した。
 普通に考えれば、令呪による奇襲の線が妥当である。
 ライダーのマスターが令呪を使用して、ランサーのマスターに斬りかからせる。
 そんな誰にでも思いつく、戦法などケイネス陣営は承知している。だからこそランサーとライダーの戦場は、二人のマスターが見下ろせる屋上になっているのだ。
 ランサーは令呪の使用が認められた瞬間、決闘の取り決めを侮辱した魔術師に、槍を投擲する気であったのだ。
「正気か征服王?お前はこの聖杯戦争をその戦車チャリオ短剣スパタで勝ち抜くと誓ったのではないのか?」
「無論そのつもりである。だがなランサーよ、我が宝具こそ至高、それを操る我が身こそ最強。そんな誇りなど、サーヴァントであれば誰もが持ち合わせておるに決まっておるではないか。――故に余は証明したいのだ。余のマスターこそ最強、余のマスターこそ共に戦場を駈け抜けるに値する勇者であると」
「そんな理由の為に己がマスターを危険に晒すと?」
 マスターに忠誠を捧げ、騎士道を奉じるランサーが殺意を込めた視線を向ける。
 それはマスターを闘犬のように扱っているだけではないか!!と糾すように。
「全ての危険から遠ざけておくのであれば、それはマスターの扱いではなく、姫の扱いである!!それこそ全ての男子にとって侮辱ではないか」
 そうこれこそが、ランサーとライダーの違いなのである。ランサーにとってマスターとは聖杯を捧げる為だけの存在であり、ライダーにとってマスターとは共に聖杯を求め合う存在なのである。
「まぁ余のマスターは一人で闘うにはまだ小僧なのでな。ちと部外者の力を借りておるが、それも致し方あるまい。自分の実力を認めなければ、誰かの手は借りられんからな」
「その高説見事だとは思うがなライダー。――だが貴様が負け戦にマスターを駆り出している事に変わりはないぞ!!」
 二本の槍を再び構えるランサー。
 どれだけそこに崇高な思惑があろうとも、臣下であるならば、諌めるのが騎士の道だ。
 勝てる戦いの常道を放棄して、マスターを死に急がせるなど、ランサーにとってライダーは到底看過できない悪臣であった。
「余がいつ負け戦にマスターを送り出したと申した。あの娘、青子はきっとお主たちの常識を超えるぞ」
 にやりと笑みを浮かべるライダー。
 ライダーは青子を一目見たときから、直感的、いや性質的に見抜いていたのだ。
 蒼崎青子は人間として余りに埒外の場所に立っていると。



※  ※  ※  ※  ※  ※



「――弾倉装填」
 魔術刻印を取り囲む形で展開された魔弾の装填術式。
 一度起動させてしまえば、自動で術者の魔力を魔弾へと変換し、リボルバーに装填してくれる魔術刻印。
 それを青子は手動で全弾、弾倉ごと取り替えた。
Scalp
 水銀の鞭が青子の眼前に迫る。
 一工程ワンシングル分の詠唱じかんを費やしてしまった彼女には、あの剣呑な礼装に負荷を掛けていない。
 これでは音速を突破する必殺の鞭と、青子の脚力の真っ向勝負になってしまう。
 勝敗は明からだ。
「ばか!!」
 青子の突然の行動に、悲鳴じみた声をあげるウェイバー。
 負荷をかけられていない月霊髄液は、十全にその殺傷機能を発揮し、鉄槌のように振り下ろされた。
 今まで青子が立っていた場所のアスファルトが砕かれ、土埃が舞い上がる。
 人の足で鞭を躱すことなど不可能なのだ。
 ウェイバーは青子の魔弾を全弾交換するという、投げやり気味な魔術行使を見て、何故そんな馬鹿な真似をしたんだと思いながら、目を瞑り視線を逸らした。二つに斬り裂かれた死体など見たくないからだ。
「――装填完了、一斉射!!」
 だが土埃のなかから、快活で明瞭な声が響き渡る。
 ハッとして、少年が目を開ければ、魔術刻印の周囲に三層の術式を展開し、ケイネスに向けて腕を掲げる青子の姿がそこにはあった。
 回転式機関銃ガトリングのように射出される魔弾。
 一層当たり装填された魔弾、その数十二。合計三十六発の魔弾による一斉射であった。
 負荷をかけていない水銀の鞭を躱すのは不可能。それが青子の結論であったが、ウェイバーの指摘通りあの鞭は物理エネルギーに支配されていた。術者ケイネスに近ければ近いほど、縦横斜めの縦横無尽の攻撃が飛んできたが、距離を離せば離すほど、鞭の動きは青子の目論見通り単調なものへ変わっていった。
 理屈は単純だ。鞭は上から下に振るのが一番早い。それが一番運動効率が良いからだ。鞭を手に執ったことの無い人間でも鞭を水平に振るう難しさは容易に想像がつくだろう。
 結果距離を離せば離すほど、水銀の鞭は攻撃の多彩性を失っていき、一つ前の攻防では遂に縦の攻撃しか出来なくなっていたのだ。
 青子はそこを見切って、半身になるという最小限の動きで回避したのだ。
 一工程を費やしての魔弾装填。
 二工程目で全ての魔弾に撃鉄を添えた。
 そして三工程目で全ての魔弾を発射したのだ。
 人が見れば死神の鎌に等しい一撃を見切り、半身になって躱すという選択をした青子の度胸に驚嘆しただろう。魔術師であれば、わずか一工程で三十六発もの魔弾を用意した、青子の処理能力に驚いたに違いない。
 だがその困難な二つを成し遂げた青子は、今遂に必殺の魔弾を発射せしめたのだ。
defensio防御
 唱えられる一小節の詠唱。
 だが自動で防御する、術者を取り囲む形の防御膜ではない。水銀は全てケイネスの眼前に壁として、いや盾として立ちはだかったのだ。
「いっけー!!」
「小癪な!!」
 叫ばれる気炎と気炎。
 激しく激突する魔弾と水銀盾。
 青子の放った魔弾は掘削機のように水銀の岩盤を削り取る。
 だが水銀は削り散らされた傍から、展開された盾の足元に集まり吸収されていく。
 修復される壁を削りきれるか、壁を維持し続けられるか。戦いは今互いの処理能力を競いあっていた。
「―――はぁ、ダメか」
 青子の落胆した声が上がる。
 水銀の盾はその形を保ち続け、青子が用意した三十六発の魔弾は撃ちつくした。
 軍配は時計塔の天才ケイネス・エルメロイ・アーチボルトに上がったのだった。
「ふむ見事だったと賛辞を贈らせてもらうか、蒼崎の娘よ」
「そりゃ、どうも」
 それを上回った自分は更に凄いってことね。と内心毒づきながら青子はその世辞を受け取る。
「対象から距離が離れれば離れるほど攻撃が単調になってしまう。我が無敵の月霊髄液ヴォールメン・ハイドラグラムにかような弱点があったとは私も驚きだ。それを戦いの中で教えてくれた君には感謝に耐えない」
「こっちは骨折り損だけどね。あれだけの魔弾防がれちゃうなんて…。決まったと思ったんだけどなー。まぁ、考えてみれば当然か。私は砲台、アンタは要塞。全周囲の防御を放棄して、正面のみに注力する、そんな当然の選択を予測できなかったのが痛かったわ」
 皮肉を混ぜあった賛辞の応酬。
 戦場に突如出現した突然の休息に、ウェイバーは戸惑いながら緊張の糸を解きかけた。
 だがそれが彼の確固たる間違いであった。
「この感謝は君の死を持って返礼としよう。―――defensio防御!――spine!」
 突然の詠唱によって突然再開された戦い。
 ケイネスの詠唱に従い月霊髄液が盾として起立して、その表面に無数の棘を作り出す。
 ウェイバーにとって突然であった戦いの火蓋も、青子にとっては突然ではなく、十分に予測の範疇であった。青子もケイネスの詠唱に呼応して直に詠唱を開始する。
 だがケイネスが新たに行使しようとする魔術の正体に気付き、青子は戦慄しウェイバーを見る。
「――え?」
「ぼさっとしないで!!」
「――eject射出!!」
 完全に気を抜いていたウェイバーは、青子に視線を送られ、身体を硬直させてしまう。青子の注意喚起も虚しく、ウェイバー・ベルベットは青子から五メートル離れた位置で棒立ちになっているだけだ。
 ケイネスの直線上、青子、ウェイバーを巻き込む形で詠唱された魔術が襲いかかる。
 魔術師は盾として立たせた水銀の表面を棘として、それを十数発一斉に射出してみせたのだ。
「打ち落とせ!!」
 すぐさま意識を切り替えた青子は、回避を取り止めウェイバーを守る形で、準備した魔弾十数発を正面に向かって闇雲に打ち出す。しかも魔術刻印をフル回転させ、無理矢理新たな魔弾を作り出しながら、射出された水銀の棘を迎撃する。
 だが直径三cm程しかない水銀の棘に、野球ボール大の魔弾を命中させるなど、今の青子の実力では到底不可能だ。
「あぐッ!!」
 水銀の棘が青子の身体に突き刺さる。
 鮮血が飛び散り、体が傾ぐ。
「青子!!」
 慌てて駆け寄り膝から崩れ落ちた青子の肩を支えるウェイバー。
「うるさいなぁ。別に死んじゃいないわよ」
 青子は強がりながら、鬱陶しそうにその手を振り払った。
 だが致命傷にこそ至らなかったものの、腹部二箇所と右足に刺でできた傷は無視できるものではない。
「大丈夫なのか!?」
「まぁ、それなりに……」
 魔術刻印を受け継いだ魔術師であるなら、小さなナイフ程度の刺傷、十秒もあれば回復できる。
 ずるりと青子の体に刺さった水銀の棘が抜け落ち、生きたスライムのようにケイネスの元に戻る。
 だが問題はその十秒の間に第二射目が放たれる未来が簡単に想像できる点だった。
「ふむ、急拵えの魔術にしてはそれなりの戦果を上げたか」
 水銀の障壁を解いたケイネスが、膝をついている青子を実験動物でも見るような目つきで見た。
「課題は術者の視界がふさがれてしまうことか……。改良点はそうだね、命中した水銀を対象の血液に混ぜて中毒死させるというのも面白いかもしれん」
「こ、これが急拵えの魔術だっていうのかよ!!」
 実験動物を前に新たな実験を模索するようなケイネスの声に、たまらずウェイバーが声を上げた。
「おや生きていたんだねウェイバー君。巻き込まれて虫けらのように死んだと思っていたよ」
「なっ!!」
 だがケイネスは今気づいたと言わんばかりにウェイバーを見た。
 少年が必死の思いで踏み出した一歩も、天才魔術師にとては気に止めるに値しない塵のような出来事なのだ。ケイネスにとってこれは蒼崎との決闘であり、ウェイバーなど戦場を飛びかう羽虫でしかない。
「さて実験を再開しよう。今の手順をもう一度だ。―――defensio防御――spine――eject射出!!」
 それっきり、ウェイバーに興味を失ったケイネスは再度、先ほどと全く同じ詠唱で水銀の棘を放った。
「ッ伏せなさい!!」
 青子がウェイバーの頭を抑えつけ、地面に押し倒す。
 魔術刻印を刻まれた自らの体を盾とするように覆いかぶさって。
「グッッう」
 ドスドスという軽い衝撃がウェイバーを叩き、頭上から青子の苦痛に歪んだ声がした。
「怪我は無い?ウェイバー…」
 無理矢理覆いかぶさられ、頭を押さえつけてきた人物。
 だが圧しかかる体は力なく、ウェイバーは何の抵抗もなく体を起こした。
 そしてゆっくりと自分に圧し掛かっていた人物を窺い見て、大きな声を上げた。
「なんでお前がボクを庇うんだよ!!」
「さぁ?なんでかしら…」
 恥じているのか、憤っているのか、それはウェイバー本人にも分からない。
 ただ淡々とした口調で、苦痛に顔を歪める青子の姿はとても見ていて涙がでてくる。
 少女の細く軽い背中に刺さった幾本もの水銀の棘。
 傷付き倒れ鮮血を流している少女。
 それに対して自分は一切の傷を負っていない。
 背中を守るどころの話ではない。自分という矮小な魔術師が彼女の足を引っ張ってしまった。
 それが少年には悔しくて、悔しくて、何の痛みも受けていない自分が悔しくて息が詰まりそうだ。
「青子は攻撃の要だろぅ!!その青子が倒れちゃったら勝てないじゃないか!!なんでボクを庇ったりしたんだよ!!こんな使えない奴、盾にして次の魔術を唱えればよかったんだ!!」
 自分は役に立たない。それどころか盾にすらなれず、少女が盾になってしまった。
 それが悔しくて、恥ずかしくて、自分の無力さに憤って、少年はもう無茶苦茶だった。
「五月蝿い!!私がしちゃったことに文句つけるな!!」
 その言葉に少女が憤る。
 勢いよく体を起こして、だけれど体に走った激痛に顔を歪ませながら、少年の胸元を掴み上げる。
「役に立たないと思うなら役に立ちなさい!!私の前で死のうとするな!!」
「ッ!!」
 コバルトブルーの瞳が少年の瞳を捕らえる。
 その深い青は死を拒絶し、諦めをかなぐり捨てて、何処までも生き抜いてやるという生命の輝き。
 傷付き、倒れ、血をながしても尚、少女は生命として当たり前の意思を掲げ続ける。
「つぅ」
 少女が傷口を抉られる痛みに歯を食いしばって耐える。
 水銀の棘が抜け落ち、主の下に戻ったのだ。
「勝敗は決したと思うのだがね!!」
 二人にケイネス・エルメロイの勝ち誇った声が届く。
「その状態でもなおも戦おうというのなら、決闘の慣例に従いトドメを以って勝利としよう。だが命を惜しむというのであれば、条件次第では降伏を認めよう」
 それは敗者の弁など聞かない一方的な通告であった。
 勝利を確信している魔術師は、魔力の動きにのみ注意を払いつつ、堂々と言葉を続ける。
 十メートルの距離、それはケイネスにとって攻撃の届きにくい距離であったが、同時にどんなに最速の魔術であっても防ぎきれるという自信の距離でもあったのだ。
「条件その一。ウェイバー・ベルベットは聖杯戦争における敗北を認め、令呪を持って自らのサーヴァントとの契約を破棄する事。然る後、残りの令呪を私ケイネス・エルメロイ・アーチボルトに委譲せよ」
 令呪を一画失っているケイネスらしい提案である。
 だがその言葉を投げかけられている二人は、強い意志で見詰め合ったままだ。
 降伏条件など聞いてはいない。
「闘う意思は残ってる?」
 小さな声で囁かれる詰問。
「――うん」
 その質問を厳かに真正面から受け止める答え。
「条件その二。魔法の一族に連なる蒼崎青子は、宿した魔術刻印を私ケイネス・エルメロイ・アーチボルトに譲渡する旨を承諾せよ」
 小声で交わされるやり取りなど、ケイネスは興味ない。どんな会話をしていようと逆転など不可能だ。
 彼はもう既に戦いの褒賞として捧げられるかもしれない、蒼崎の魔術刻印に心躍らせていた。
 蒼崎が積み重ねた刻印を暴き赤色の魔術師の前で無価値と嘲笑ってやる。
 そんな未来が彼の脳裏に踊っているのだ。
「貴方に頼みたいのは一分の時間稼ぎ」
「あぁ」
「それから十秒だけでいい。私はあの魔術師の意識から消して――。どう、できそ?」
「それで勝てるんだよな?」
「保障なんてどこにもないわよ。でもやらなきゃ勝てない。それだけよ」
「――分かった、やってみる」
「頼りにしてるわ。ウェイバー」
 その囁きと共に贈られた微笑に、今度こそ少年の心に熱く滾った炎が灯った。
 役に立たなかった少年に対する皮肉ではない、侮蔑でもない。
 少女、蒼崎青子はこの瞬間からウェイバー。ベルベットに運命を託したのだ。
「返答はいかに!!」
 鋭く声を響かせて、魔術師ケイネス・エルメロイ・アーチボルトが選択を迫る。
 その問いに、今ウェイバー・ベルベットが立ち上がる。
「まずは君かウェイバー。して返答はどうするね?令呪を差し出すか否か?」
「………」
 少年はいつも誰かの影に隠れていた。サーヴァントの影に、青子の意思の裏に……。
 彼の敵はいつも周りが連れてきて、少年はそれに狼狽するばかりだった。
 向かい合って視線を交わす敵は、彼とは比べ物にならないほどの難敵だ。
 状況に合わせ、急遽新たな魔術を構築してみせるなど、彼には到底不可能な所業だ。
 それでも少年、ウェイバー・ベルベットは両足に力を込めて、自分の敵と向かい合っている。
「返答したまえウェイバー!!」
 待ちかねた怒鳴り声。
 先ほどの彼であったら、それだけで心が折れていたかもしれない。
「先生、ボクは自分が契約したサーヴァントを裏切れません」
 だが彼はゆっくり、落ち着いた口調ではっきりと、元講師の提案を拒絶した。
「死に急ぐか。よろしい、ならば君はこのまま処刑しよう」
 水銀の棘による刺殺ではなく、鞭による斬殺を選択したケイネスは、その距離を詰めようとする。
「だけど決闘である以上、勝者には褒賞があってしかるべきです!!」
 ケイネスがピタリと歩みを止める。
 ウェイバーがケイネスの興味を引くことによって、間合いを詰めるという意識を刈り取ったのだ。
「褒賞…ねぇ。君は一いったい私に何を差し出せるというのかね」
「令呪を賭けます。ボクの死後、先生がボクの遺体から令呪を剥ぎ取って下さい」
「は、何を言うかと思えば、そんなこと言われるまでもない」
 素直に譲らないのであれば、殺して奪い取る。それはケイネスにとって改めて言われるまでもない当然の成り行きである。
「無理にでも認めてもらいます。だってボクはこれから決死の魔術行使をするから!!」
「――――」
 呆れて言葉を失うケイネス。
 彼程度の三流魔術師が魔術を行使するなら、それは不意をついたものであるべきだ。
 それをわざわざ宣誓して使うというのであれば、それは受け止めてみせろという挑戦なのだ。
「そのような見え透いた時間稼ぎに付き合うつもりは…」
「行くぞ」
 ケイネスの言葉を遮ってウェイバーはガリッと力いっぱい自分の人指し指を齧った。
 血を流すことを目的とした自傷行為なのだが、指を齧ってやるなどという真似を一度もしたことのないウェイバーは、爪の内側からも出血する程に力いっぱい指を噛んだ。
「―――はぁ、宜しい。一度だけ元教え子の挑戦に応えてあげようではないか。きなさい」
 魔術の触媒として魔術師の血は一級の触媒だ。
 それを使用してもなお、ウェイバーの魔術は自分の足元にも及ばないとケイネスは理解していた。
 そして一度上がってしまった舞台の幕を、無理矢理打ち切るのはスマートではない。
 だから彼、ケイネス・エルメロイはそれに付き合う事にしたのだ。
 だが彼は知らない。ケイネス・エルメロイはウェイバー・ベルベットに心底恨まれており、ウェイバーはケイネス・エルメロイの性格を嫌と言うほど熟知している事を。
 ウェイバーの血だらけの指が短く稲妻模様を描く。
 血は魔力と反応し、空中になぞられた奇跡を描く。
 詠唱は只の一言。
 遥か昔、北欧神話の主神オーディーンが刻んだとされる力ある文字。
 ウェイバーは今ありったけの魔力を込めてルーン魔術を解き放つ。
「ソウイル!!」
「なっ!!」
 眩い閃光が放射、いや暴発する。
 太陽の光を意味するその文字は、夜の闇に閃光弾を投げ込んだように眩く魔術師の目を焼く。
 銃弾すらも防ぐ月霊髄液の自動防御も、光の早さには叶わず、ケイネスはその目を焼いてしまった。
「あ゛あ゛あ゛あ゛!!」
 ケイネスが咆える。
「――defensio防御――solid堅牢に――castle wall壁を
 抉るような目の痛みに雄叫びを上げながらも、ケイネスは見えない目で月霊髄液による防御を強化していく。それは全方位を想定した防御膜であり、天才の魔力を余すことなく注がれた礼装は、今やその強度を城壁のそれと同程度の硬さまで密度を練り上げていく。
「くぅあ」
 だが被害を被ったのはケイネスだけではない。ウェイバーもまた自らの魔術によって瞼だけでは防ぎきれない光で目を焼いてしまっているのだ。
 元々ルーン魔術を専攻していないウェイバーにとって、ルーンなど門外漢もいいところだ。だからありったけの魔力と大量の血を使用して、光の魔術を暴発させた。これが一流の魔術師であるなら、煙草の火で文字を描き、なおかつ光に指向性も持たせていたに違いない。
 未熟もいいところだ。
 お互いに目を焼いてしまってはどうにもならない。
 だが彼は誇らしげにその名前を叫ぶ。
「青子!!」
 そう此処にはウェイバー・ベルベット自身の体を盾として、閃光の暴力から守られた魔術師が一人。
 時間は魔術を発動してから約束通りキッカリ十秒。
魔術刻印起動マジックシールスタート
 青い光が帯電する。
魔術回路接続マジックサーキットリンク
 掲げられた腕を砲身に、城壁を打ち抜けと輝きを増す。
魔弾形式ツアーブラウン
 対人を想定するなら余りに過剰な威力の魔弾が装填され唸りを上げる。
収束投射スターマイン
 後に破壊の魔女とまで呼ばれる蒼崎青子の魔弾が青の閃光となって射出される。
「ぶち抜けぇぇぇえええええ!!」
 咆哮と共に銀の城壁に襲い掛かる流星。
 その余りに膨大な熱量に月霊髄液がざわめき立つ。
 流星との接触面にあたる水銀は蒸発し、跡形もなく消し飛んで行く。
 最強の対人礼装として作られた月霊髄液にとってそれは想定外の衝撃だ。
 銃弾は防ぐ。魔力による強化を受けられるなら、大砲だって止めてみせる。
 だが流星を受け止めるなどという想定は月霊髄液にはされていない。
 いやむしろそんな想定をする方が阿呆なのである。
 誰が対魔術師戦用にこんな規模の大魔術を想定するものか!!
『バチン』
 何かが焼き切れる音と共に、水銀の城壁は崩壊した。
 礼装として形を保っていられなくなったのだ。
「で、どうするの―――続ける?」
 魔力砲による照射を取りやめた蒼崎青子が両手をケイネス・エルメロイに問いかける。
「………」
 ケイネスの手札には礼装はなく、青子の手には未だ必殺の砲身が掲げられていた。
 勧告とすればこれ以上無いほどに威圧的だ。
「ほらウェイバー、勝ったんだから勝者として何か言いなさいよ」
「あ、あぁ」
 だが青子の魔術を間近で目撃したウェイバーは呆れていいのか、驚いていいのか、何とも言えない表情で戸惑いを表した。
 確かに勝った。他人の手を借りたとは言え勝ちを掴んだ。
 だが蒼崎青子という少女は何を想定してあんな大規模な攻撃を習得しているのか?
 まさか月を打ち落とす気ではないだろうかと疑ってしまう。
 そのよく分からない感情を口にしようとして「出でよランサー」ケイネスの第二画目の令呪使用を告げる声が耳に届く。
「させるか!」
 その前にサーヴァントごと焼き払おうと、青子の砲身に魔力が再点火される。
 全ての出来事はスローモーションに、一切の出来事はゆっくりとコマ送りのように……。
 パスンと小さな穴が魔術師の胸に空いた。
「主よ!!」
 突然呼び出されたサーヴァントが戸惑いの声を上げる。
 青子も一瞬目を点にしてから、猛然と怒りを露にしながら再点火した砲身を虚空へ撃ち放った。
「衛宮切嗣!!」
 青子とウェイバーが協力したケイネスとの戦いは、魔術師殺しの異名をとる衛宮切嗣のスナイピングによって、実にあっけなくその幕を下ろしたのだ。





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