運命の青
-第七話-







「ほら、起きなさいよ」
「う、うぅ」
 弱々しい呻き声と共に、頬をペシペシとビンタされたウェイバー・ベルベットが目を覚ます。
「青子……?ここはどこ」
 ライダーが召び出した戦車の上で目を覚ましたウェイバーは、新都大橋の上から、見たこともない場所にいることに戸惑っている。大橋の上でも、その場所から見下ろしていた倉庫街でもない。そこはひと気の無いうち捨てられた団地の残骸みたいな場所だった。
「ケイネスっていう魔術師が指定した場所よ。ここで今から決闘するの」
「決闘!?何で!?僕が!?」
 目が覚めるなり、いきなり殺し合いを迫られた少年は、突然放り込まれた状況に訳もわからず右往左往している。
「大丈夫よ、私も一緒に戦うから」
「一緒に戦うって……、さては青子、ボクが気を失くしてる間に何かしたな!?」
 いや〜っと照れたように髪を弄る青子。その仕草をする彼女は年相応の少女であり、同年代のウェイバーにとっては、ドキリと胸の鼓動を強く叩くものがある。ただしそれは日常の中、平常時に行われた場合に限る。
 戦場に放り込まれる原因を作っておいて『やっちゃった』と照れ恥じるのであれば、その可愛らしい仕草も彼にとっては単に頭痛の種だ。
「何を今更慌てておるか。戦うと決めた以上、どんな戦場であろうと腹を括って前に進むのが男であろうに」
 朝駆け、夜襲、奇襲。
 そこが戦場であるならば、それが例え睡眠中であったとしても、兵士はまず自身の槍と兜を手にとらなくてはいけない。状況判断はその次、もしくは隊長からの指示待ちである。
「でもなんで、魔術師同士で戦う状況になってるんだよ、この馬鹿ぁ!!」
「ホント、色々とあったのよ」
 若干涙声になってライダーと叫ぶウェイバーを、何処か遠い目をして青子が諌める。
 だが青子は、ウェイバーとの関係を疑われたから、ついカッとなって喧嘩を売ってしまったなどという事情を説明する気は全くない。
 なので、青子はそれ以上の説明を省くように戦車から軽やかに飛び降りた。そして数歩進んだ所で軽く身体をほぐし始める。
「腹を括れ坊主。お主も時計塔の魔術師を見返すのだと息巻いていたではないか」
「――それは、そうだけど……」
 ライダーの言葉に不承不承、自分の意気込みを思い起こすウェイバー。
 だが、それでもいまいち納得できないのが、聖杯戦争という戦いのシステムなのである。
 聖杯戦争をチェスに例えるなら、マスターとはキングだ。たとえ兵士ポーンが盤上に残っていたとしても、キングを取られればゲーム終了。よってキングとキングのぶつかり合いなど、正気の沙汰ではない。もしキング同士で戦う事があるとすれば、それは兵士ポーン同士の性能で此方が負けている時と、どちらかのキングが一方的に勝てると確信している時だけなのだ。
「なに、初陣で首級を上げろとは言わんさ。――だがな、せめて惚れた女子おなごの背中くらい守ってみろ」
「べ、別にボクはアイツの事なんか好きじゃないぞ!?」
 ライダーに耳打ちされた言葉に、真っ赤になって反論するウェイバー。
 それを青子は『何話してるの?』といった感じで、身体をほぐしながら窺い見た。
 青子とウェイバーの視線が合う。何の事情も知らないリスのように首を傾げて、青子はウェイバーを見返している。その勝気で真っ直ぐな瞳を見ているだけで、体中の体温が上昇していくのを少年は感じていた。自分の顔がどうなっているかなど、確かめたいとも思わない。
 だが震えていた足腰に、力が入っていくのをウェイバーは感じていた。
「―――できる限りの事はやってみるさ」
「うむ、それでこそ余のマスターである」
 大層嬉しそうに笑って、ライダーはグシグシと少年の頭を撫で付けた。
 ウェイバーは自らの足で戦車を降り、青子の真横まで進みでる。
『準備は良いようだな小娘、それにウェイバー・ベルベット君』
 すると嘲るような声が、廃墟と化した集合団地に響き渡る。
 その声と共に、十メートル以上を開けて敵サーヴァント、ランサーが現界した。
 正面に立っているだけで、敵サーヴァントに見られているだけで、ウェイバーはもう既に生きた心地がしなかった。十メートルの距離など意味はない。どんなに素早く魔術を起動させようとしても、あのランサーが槍を投擲してきた瞬間ウェイバーの人生は終わってしまう。
 まるで、射撃場の的にでもなった気分だ。ただ心臓を撃ち抜かれて、次の的に交代するだけの消耗品。
 だけど彼の隣には、やたら自信過剰の半人前の魔術師……いや魔法を伝える一族、蒼崎青子がいる。
 後ろにはライダーも見守っていてくれる。
 青子の自信はもしかしたら、魔法が使えるという根拠があるのかもしれない。黙って見守るライダーも、この距離ならば、例えランサーが槍を投擲してきたとしても、割って入り槍を防いでやれるという、能力に裏付けされた根拠があるのかも知れない。
 コツコツ、威圧的に踵を鳴らして響かせる足音。
 その音に従って、ランサーが横に一歩だけ退いた。
 暗闇の中から現れる、自分の仇敵、ケイネス・エルメロイ・アーチボルト。
 ウェイバーには彼のように、誇るべき家柄も、魔術回路もない。才能すら及びつかないだろう。
 だが、それでも、この場から逃げ出さないのは、とるに足らない、ちっぽけな少年の意地だった。
 惚れた女子の前で恥ずかしい真似はできない。
 その失笑を買うだけのちっぽけな意地こそ、少年ウェイバー・ベルベットの両足を支える全てだった。



※  ※  ※  ※  ※  ※



 ケイネス・エルメロイ・アーチボルトにとって、本日行われた初戦は、彼が歩んできた栄光の人生から考えれば、あり得ないほどの失態であった。
 能力値評価されたサーヴァントの実力ではなく、実際にサーヴァント同士を戦わせ、主観的な能力判定を行う。その目論見でいえば成功だといえるだろう。彼は研究職の人間らしく、サーヴァントがどの程度の存在であるかを本日の戦いを以って正確に見抜いた。
 そして彼が従えるサーヴァント、ランサーのクラスにて召還されたディルムッド・オディナが持つ宝具『必滅の黄薔薇ゲイ・ボウ』は、一度傷を負わせれば、永久に癒える事のない傷を負わせる代物ものだ。その槍の一撃を最優のサーヴァント、セイバーに刻んだ。そこまでなら、文句のつけようは無かった。
 サーヴァントの実地評価に、サーヴァント戦でも一定の戦果を上げもした。だがそれは彼が呼び出したディルムット・オディナの戦果であり、ケイネスのものではない。だから彼は、一時五体のサーヴァントで溢れた戦場において、期を逃さず令呪を持って、ランサーにセイバーを討ち取るよう命じた。
 だが結果は出来の悪い教え子が呼び出したサーヴァントに横槍を入れられ、令呪一画を有耶無耶にしたに過ぎなかった。三回しか使用できない貴重な令呪の空費。それはサーヴァント評価、及びセイバーへの手傷だけでは到底釣り合いのとれない失態であった。
 だから彼、ケイネス・エルメロイ・アーチボルトは本日中に、自らを侮辱した田舎の女魔術師を誅戮すると決めたのだ。
 念話で自らのサーヴァントに言葉を語らせ、ライダーのサーヴァントに二対二の決闘を申しこんだ。それをふてぶてしくも受けた小娘に、人目に付かない決闘場を指定した。それが今から三十分前の出来事である。
 そして今、彼の前には尊大な態度で立つ小娘が居た。
「先ずは逃げなかった事を褒めてあげよう。いかに田舎娘とはいえ、魔術師として決闘を受けるだけの心構えはあったようだ」
「どうも。アンタは声を聞いた時からいけ好かない奴だと思ってたけど、想像通りだわ。最っっ高に嫌いなタイプよ」
「私に対する数々の暴言、君の命で贖う事になると知りたまえ」
「上等!!こっちはその後退気味の髪の毛全部毟って引導渡してあげる」
 ビッと指差してくる小娘。その動作に魔術的要素は感じられない。
 あれは単なる挑発行為なのだろう。
「――――ふん、威勢だけの小娘が……。まぁいい、ではルールの確認だ。戦闘はサーヴァント同士の一騎打ちと、マスター同士の戦闘。勝敗条件はどちらか一方のサーヴァントが打倒された場合と、マスターの死亡。まずこの条件に異議はあるかね」
 こうして向かい合って戦う決闘である以上、一方的な戦闘ルールの規定はケイネスの望む所ではない。なるべく公平なルールを相互議論で規定してこそ、議論の余地なく勝利した事になるのだから。
「無いわ」
「――――ボクも、それで平気だ」
 即答した青子と、元講師の言葉を精査したウェイバー。
 それは性格の違いに因る返答だったが、同時に魔術因子にも関わる返答だとケイネスは看破した。
 元教え子ウェイバー・ベルベットは、特筆すべき一切の才能を持たない少年だ。更に魔術の実践においては、劣等生の評価を受ける。必然彼の魔術は、入念に準備を重ねた簡易礼装頼りの魔術が主軸となる。故に彼は、数少ない自分の魔術が最大限に活かせるかどうかを逡巡したのだ。
 対してもう一人の少女は、一切の思案をしなかった。
 これはどんな系統の魔術と相対しても、全てに応用が利く魔術を習得しているか、余りにも応用が利かない、一点特化型の魔術を習得しているからに限られる。このどちらかであれば、逡巡など不必要だ。そして感情をダイレクト反応させるあの娘の性格を考慮するに、一点特化の魔術である公算はかなり高い。
 そうでなければ何も考えていない大馬鹿者だ。
「では最終確認だ。そちらは二人一組で、私は一人で闘う事になるが、これには私も同意している。まぁ、戦場を此方に指定させてくれた返礼だとでも思ってくれたまえ。もっとも、屑が幾ら束になろうとも屑である事に変わりはないがね」
 嘲るような笑い。
 戦場を魔術師に指定させるという事は、存分に下準備をしても構わないと言っているようなものだ。
 魔力を叩き込むだけで発動する攻撃術式に、特定の魔力を感知して自動で発動する防御術式。それら一切の仕込みを認めているに他ならない。
 だが、このプライド高く、高慢な男ケイネス・エルメロイ・アーチボルトは、その一切を準備していない戦場を選択していた。教え子と田舎娘相手に万全を期すのを、彼のプライドが許さなかったのだ。
「全く一々嫌味を言わないと喋れないんだから。絶対にモテないタイプよ、アレ」
 嫌そうな顔をしながらウェイバーに語りかける青子。語りかけられたウェイバーは、あの男に降霊科学部長の娘、ソラウ・ヌァザレ・ソフィアリという女性が許婚として居る事を知っていたが、それを忘れた振りをして、「――そうかも」と同意したのだった。
 ヒクリと青筋を立てるケイネス。だが彼と、彼の許婚の事情など全くしらない、青子はケイネスの様子になど全く気付かず話を続けた。
「それよりもサーヴァント同士の戦闘ってのは、マスター同士の戦闘にサーヴァントが割って入らないように、戦わせておくって認識でいいのよね」
「ほう、以外と理解があるじゃないか。残念だよ、君が時計塔で学んでいれば、平凡な魔術師程度には仕上がったかもしれないなぁ」
「冗談、姉貴が見限るような場所、私だって興味ないわよ」
「姉?」
 その言葉に、ピクリとケイネスの眉じりが反応した。
「失礼した。私とした事がこれから殺し合うのに、名乗るのを忘れていたようだ。――アーチボルト家九代目頭首、ケイネス・エルメロイ。さぁ、君も誇るべき家名があるなら、死なぬ内に名乗っておきたまえ」
 今更ながらに、これから殺しあう相手の名前を知っていなかったケイネスは、時計塔に在籍していたという姉の存在に興味を抱き、家名を聞き出そうと自ら名乗ってみせた。
 名乗り返された家名に心当たりがあれば、そこから扱うであろう魔術は推察できる。もし名乗らないのであれば、それは誇るべき家名が無い凡庸な魔術家系なのだと断じられる。
「ム、――」
 だがそんなケイネスの思惑を知ってか、知らずか、目の前の少女は言葉を詰まらせた。
 ウェイバーはケイネスを知っているので、特に名乗ろうとはせず、これは青子の問題だと沈黙している。
 時計塔における蒼崎橙子の名前。それを喚起させる蒼崎の姓を、青子は時計塔の魔術師相手に積極的には名乗りたいとは思えなかったのだ。蒼崎橙子の名前に怯えるにせよ、憎悪を抱くにせよ、名乗るという行為は、姉の名前に纏わる何かを引き受ける事に他ならない。だから青子は言葉に詰まったのだ。
「ええい!!知るかそんなもん!!私の名前は蒼崎青子、覚えておきなさい!!」
「ッ、蒼崎とは、あの蒼崎なのか!?」
 今度はケイネスが言葉に詰まる番であった。
「えぇ、一体どの蒼崎かは知らないけど、橙子に関わる蒼崎を指しているなら、その蒼崎よ」
 こんな反応が返って来る事実を鑑みると、本当に姉貴は時計塔で碌な事をしてこなかったのだな、と青子は呆れた風にため息をついた。だが、蒼崎橙子の存在を連想させるからといって、自分の名前を名乗り渋るのは、なんだか橙子に遠慮しているみたいで、蒼崎青子には許せなかったのだ。だから名乗った。
「フハッ、まさか蒼崎の縁者と巡り会うとはなぁ。偶然掘り当てただけの矜持なき魔術師め、どちらの家名がより優れているか、ここで証明してみせようではないか」
「なによ、やっぱりアンタも姉貴に恨みを持ってるくちなの?」
「―――――」
 青子の問いかけに沈黙するケイネス。
 時計塔は魔術を学ぶ上での最高学府であるが、その中でも天才と評される者は幾人かいる。
 かく言うケイネスもその天才の一人である。そして蒼崎橙子も誰もが認める天才であった。
 互いに研究職である橙子とケイネス。分野の違う二人を一概に比べることなどできはしないが、蒼崎橙子という魔術師は、時計塔から最高位の魔術師にのみに贈られる色の称号『赤』を授かっていた。
 魔法を伝える家に生れながら、第五魔法『青』に相応しくないと家に放逐された哀れな魔術師。
 魔法の後継者であった頃のツテを利用して、時計塔に潜り込んだ田舎娘。
 それが蒼崎橙子に対するケイネス・アーチボルトの評価であったのに……。橙子はケイネスと関りの無い所で、僅か三年程の時間の内に『赤』の称号を授けられ、同じく天才の称号を戴いていたケイネスを、あっさりと抜き去ったのだ。
 それをこのプライドを固めて出来たような男が、何も思わない訳がない。天才と褒めた讃えられる度に、僅か三年ばかりの期間の内に自身を抜き去った天才を、ケイネスは思い起こした。天才という賛辞の言葉が、彼にとっては蒼崎に劣る天才という意味に変わってしまったのだ。
 機会があれば難癖をつけて殺してしまいたいと幾度も考えた。研究事故に見せかけて殺す方法を何度も頭の中でシミュレートした。だがそうして蒼崎橙子という存在を意識しているという事実が、彼には最早耐えられなくなったのだ。蒼崎橙子を殺してしまえば、それは『赤』を戴く魔術師に対して、何らかの劣等感を抱いていたことを、認めてしまうということだ。
 橙子が戴く『赤』を不服として、決闘を申し込む。その決闘に勝利する様を何度も想い描いたというのに、そんな勝負に勝利してしまっては、時計塔全ての魔術師に、あぁやっぱりケイネス・エルメロイはあの天才に劣等感を抱いていたのだなと認識されてしまう。
 だから彼は蒼崎橙子という魔術師を、特別視しないという方法でしか、復讐できなかったのだ。
 だが今、ケイネス・エルメロイ・アーチボルトは合法的に蒼崎の家と競う機会を得たのだ。
 どちらが、互いを意識した訳ではない。
 お互い偶然同じ戦場に立っていて、戦場に立つ魔術師は殺し合う運命にあるというだけの話しなのだ。
 だからこの戦闘は、ケイネスが手に入れた思いも拠らぬ幸運であった。
「蒼崎の家系に生まれた者よ、君に問いたい」
「――――」
 蒼崎を名乗った瞬間、蒼崎という家系の一部として認識されていることに、少々苛立ちながら、青子は視線で答えられることならと返答した。
「マスターでもない君は、一体何故この聖杯戦争に関わる。――私を倒すのは令呪を奪って、新たにサーヴァントと契約する為か?」
 その質問は全く意味を持たない質問であった。もしマスターに選ばれなかった事を不服としているなら、彼女はすぐ隣にいる出来損ないの魔術師から令呪を奪えばいい。二画に減った令呪など、決闘をしてまで狙うに値しない。だから、これはケイネスの時間稼ぎなのであった。
 完全に見下していた小娘。もしアレが魔法を継承しているのだとしたら、一体勝機はどれほどなのか?
 橙子はルーンの魔術を研究していた。そしてあれは人形師になった。だが、あの蒼崎を名乗る娘が人形を用意している様子はない。ならばルーンを主体に闘うのか?否否、問題の本質は魔法を継承しているか否か、しているならば第五魔法『青』とはいったいどんな特性なのかが問題なのだ。
 それらの疑問を思考する為、ケイネスは質問という形式で時間を稼いでいるのだ。
 もうしばらく偵察に徹して、魔法の有無だけでも確認するべきであったと、後悔が湧き出す。
 撤退とサーヴァントによる不意打ちを視野にいれつつ、蒼崎を決闘で打ち倒す幸運をふいにするのかという葛藤が、更なる天才の証明として聖杯戦争に参加した魔術師の仲でせめぎ合う。
 だが。
「聖杯に興味はないわ。私はただ協会の依頼書の中に魔術師殺し衛宮切嗣の捕獲があって、ターゲットが聖杯戦争に参加しているらしいから、此処にいるだけよ」
「ハ――ハッハハハ!!」
 その答えにケイネスは腹を抱えて大笑いをした。
「なによ」
 短く言葉を投げて魔法の一族が睨んでくる。だが、ケイネスは必死に対策を練っていた自分が、如何に愚かであったかを今思い知った。
「アインツベルンに雇われたフリーランスの魔術師、またの名を魔術師殺し衛宮切嗣。ターゲットの生死は問わず、魔術刻印の破壊も可。――まさか、そんな依頼に釣られる魔術師が本当に現れようとはねぇ。いい事を教えてあげよう蒼崎の娘。その依頼は魔術師殺しの意識を散漫させる為だけに、私が出した依頼なのだよ」
 聖杯戦争に参加すると決めたケイネスは、手始めに始まりの御三家の調査を開始した。それは戦場に赴く者として至極当然の一手であったが、その過程でアインツベルンがあの悪名高き魔術師殺しを招いているという情報を掴んだ。だが魔術師殺しと呼ばれるに至ったその能力を、集めた情報の中から見抜けなかったケイネスは、適当な手段として衛宮切嗣という人物に懸賞金を掛けたのだ。
 魔術師の間で恐れ恨まれる魔術師殺しに懸賞を掛ける事は、彼の立場を以ってすればそれほど難しいことではない。魔術師を狩る事を生業にしている魔術師殺しの元にも、懸賞金の情報は伝わるだろう。その程度の手間で、魔術師殺しと呼ばれる存在が自分を狙う魔術師の影に警戒したなら、それは安いものだ。
 そしてケイネス自身魔術師殺しなどというハイエナに負ける気は一切無かった。だからそんな効果が見込めるのかよく分からない一手を指したのだ。ケイネスの衛宮切嗣に対する評価はその程度に低い。
「つまりアンタが依頼者で、殺しちゃうと依頼料が支払われないって事?」
「その心配は君に不要だとおもうがね、まぁいい、答えてあげよう。懸賞金を掛けるにあたって、報奨金は全額協会にプールされている。私が死んでも問題なく支払われる手筈になっている」
 もっとも、聖杯戦争を勝ち抜くつもりであるケイネスは、その過程で魔術師殺しを殺してしまうだろう。ならば一時的にプールしているに過ぎない金は、全額彼の懐に舞い戻ってくる。
「ふーんつまり、私はいけ好かない依頼者をぶん殴って、かつ衛宮切嗣を捕えると貴方から金を巻き上げられるんだ……」
 嗜虐的な笑みを浮かべる青子。まるで恐喝だと思ったが、それも構わないと思える位に、いい加減彼女はケイネス・エルメロイという存在に対して腹を据えかねていたのだ。
「身の程を弁えない小娘が……」
 魔法の前にはどんな神秘も無意味だ。全てを超越するからこその魔法。
 だから撤退も視野に入れ、頭の中で戦術を組み立てていたケイネスであったが、蒼崎青子は衛宮切嗣を狙うと言った。それは保険の保険、役に立たないケイネスのトラップとして、彼女蒼崎青子は聖杯戦争に参加した事を意味する。ならば恐れる道理はない。
 同等か、それ以上と見積もり始めていた蒼崎の実力を、ケイネスは今再び完全に見下している。
「その小娘相手に惨敗するのが、アンタという魔術師よ」
 全ての問答は終わったと、睨み合う両者。その影でウェイバー・ベルベットはひたすら戦場となる地形を頭に叩き込み、自分の手持ちの魔術カードを確認していた。
Fervor沸きたて,mei我が,sanguis血潮
 ケイネス・エルメロイの詠唱に従って、彼の遥か後方に置かれた壺から水銀の塊が這い出る。
 三十分という時間を設けて、ケイネスがライダー陣営と向かい合ったのはこの為である。
 彼が誇る最強礼装の一つ『月霊髄液ヴォールメン・ハイドラグラム』。
 それを許婚のソラウに手配して貰う為の時間こそ、あの三十分であったのだ。
Automatoportum自律 defensio防御: Automatoportum自動 quaerere索敵: Dilectus指定 incrsio攻撃
 ポーカーで手役を次々と揃えるが如く、一秒毎に『月霊髄液ヴォールメン・ハイドラグラム』による攻守は完璧になっていく。
 蒼崎によって傷つけられたケイネス・エルメロイ・アーチボルトの名誉は、蒼崎の血によって回復する。
『―――回路タービン接続セット
 目線まで掲げられた青子の腕に刻まれた魔術刻印が起動する。
 体内を循環し、回転する自らの魔力に、青子は絶好調と、不適な笑みを浮かべる。
 彼女に礼装はない。魔法も使う気はない。蒼崎青子は自分の魔術こそ最強の手段だと知っているからだ。
 西部ガンマンのように距離を開けて向かいあう両者。共に堂々と向かい立つ両者とは対照的に、なるべく意識から外れるようにと、ウェイバーは静かに魔術回路のスイッチを入れた。
 全ての準備が整った。
 それはこの場に居る誰もが理解していた。
 二人は示し合わせたように腕を突き出し、戦端を開く言葉を口にする。
「Scalp!」
「魔弾展開!」
 今此処に一流の魔術師と半人前の魔法使いに拠る、異端の戦闘の幕が宣誓と共に斬って落された。




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