運命の青
  -第五話-







「ぅぅ寒い」
 夜、深山町と新都を繋ぐ冬木大橋の欄干の上、蒼崎青子は両腕で身体を摩りながら、その細い足でしっかりと直立して立っていた。前に落ちれば河に、後ろに落ちればアスファルトに叩きつけられるであろう不安定な足場。重力軽減魔術を習得していない青子にとってはただ立っているだけでも命がけだ。
 彼女の右側には頭をこちら側に向けて欄干に全身でしがみ付いているウェイバーと、その隣には酒瓶を片手に胡坐をかいている彼のサーヴァントがいる。
「ライダー、早く、早くおろしてーー」
「まぁ待て、王たる者がそう安々と戦場に飛び込んでしまってはその価値が貶められる。先ずはじっくりと、コロシアムの観覧席で剣闘士たちの戦いぶりを眺めるのが王である」
 ライダーの眼によると、どうやら下の海浜公園に隣接する倉庫街で、一組のサーヴァントが武勇を競い合っている最中らしかった。
 のサーヴァントが呼び出した、クラスライダーの象徴たる騎乗物『神威の車輪ゴルディアスホイール』。それを使って、眼下を一望できる欄干の上に飛び乗ってから、ウェイバーもライダーもずっとこの調子である。
「坊主もそんな風にしがみついとらんで、少しは青子を見習ったらどうか」
「そんなの、無理に決まってるだろ!!」
 こんな場所で立ち上がるだなんて、想像するだけでも恐ろしいといった具合で、ウィエバーは一層強く欄干にしがみ付いた。
「あー、私はね……」
 ぽりぽり、と頬を掻く青子。
 吹き付ける海風は、河口を遡って加速し、容赦なく青子を落下させようと煽りたてる。できれば彼女もライダーのように座りたかったが、それができない理由があったのだ。
『――まさかお尻が冷えるから座れないなんて言えないしね』
 冬の夜風に冷やされた太い鉄筋アーチ。その上に腰を降ろすのは、女にとって氷の上に座るのと大差ない。
 しかも今日の彼女の服装は黒のミニスカートに、黒のロングソックスという、絶対領域の眩しい出で立ちだ。元々、トランク一つ分の衣服しか持ち合わせがなかった青子は、遂にこの日、真冬の夜にミニスカートを履かなくてはいけないローテンションに当ってしまったのである。身に付けた白のコートの丈も上半身までしかカバーしてくれない。
 そんな乙女な事情が彼女の両足に力を込めさせているのだ。
「ほれ坊主、いきなり立てとは言わんから、その様に目を閉じて震えているばかりではなく、先ずは顔を上げて目を開け、真っ直ぐ前を見ろ。それができて見える世界もある」
「うぅ〜、うぅ〜」
 震える己の身体を何とか律しようと苦闘するウェイバー。
 それを見て、青子はふとした疑問を投げかける。
「――ライダー、貴方ってやけにウェイバーを焚き付けるわよね。何か理由でもあったりするの」
「何、大した理由などありはせん。単純に誰かが成長していく様を見るのは気分がいいという話しだ。―――自己も他者も、その先を望むからこその、人の生き様よ」
 ぐいっ、と酒瓶を煽るライダー。その言葉は征服王と呼ばれる彼に相応しい口説こうせつである。
 あぁ、そういえば、アレキサンダー大王には息子が居たんだっけと、遠く煌めいている港の明りを眺めながら、青子はぼんやりと感慨に耽っていた。
「ええい、もうやけだ!!」
 意を決したウェイバーが顔を上げる。
 その姿を見てライダーもまた満足そうに、彼に話しかける。
「どうだ坊主、そこから・・・・見える光景は絶景であろう?」
「―――――」
「絶景かどうかは置いておくとして、これだけ高いとやっぱり壮観よね。―――でも、寒いからロマンス成分はマイナス評価」
 圧巻の光景に黙りこくってしまったウェイバー。
 その代わりに青子が見下ろした風景を眺めつつ答えた。埠頭の明り、遥か彼方まで延びる灯台の光り。あの漆黒の海の向こう側まで人の営みが続いているのかと思うと、青子は胸に疼く痛みを感じずにはいられなかった。
「ねぇ、アンタもなにか感想言いなさいよ」
 その痛みを押さえつけようと、青子は足元で欄干にしがみ付いているウェイバーを見た。
 すると、不思議なことに少年と少女は目が合ってしまった。
「「…………」」
『ん?』
 ちょっと待って、と青子は無言で考え始める。
 ウェイバーは青子の方に頭を向けて、欄干にしがみ付いている。そして彼はライダーの教え通り、無言で視線を真っ直ぐ正面に向けている。そう景色ではなく、正面へ。
 その時、一際強い風が、大橋を吹き抜けた。
 瞬間、青子と視線を合わせていたウェイバーの鼻から、『ブッ』と鼻血が吹き出た。
 バッ、とスカートを押さえて、ウェイバーから離れるように後退る青子。
「ちが、ボクは何も見てない!!」
 緊急事態故に、急遽鉄骨の上で両手離しをできる域にまで達したウェイバーは、大慌てで両手を振って下心を否定した。
「ハッハハどうだ坊主。それが前を見据えて先に進む者だけが得られる特権だ!!どうだ、絶景であったであろう!!」
「ラ、ライダー、お前!!」
 何も見ていないという、被告人の主張と、検事でも弁護士でもない、傍聴人の『見えただろう』という野次。
 この場一切の裁量を司る、裁判官兼被害者は、足を振り上げて『有罪ギルティー』と断じた。
「―――ッ!!―――ッ!!―――ッ!!」
「痛い、痛い!!無言で蹴るな落ちる!!落ちる!!ダメ、落ちちゃうぅぅぅぅううう」
 ガッシガッシと、スカートを押さえながら、容赦なく蹴り踏み続ける青子。
 ミニスカートを穿いているのに、注意を怠ったとこなど、一切を棚に上げて、羞恥心は手心を加えず踏み蹴り続ける。
「あとな坊主、ついでにこれも覚えておけ。――たとえ進んだとしても、常に最良の結果が得られるとは限らないという事だ」
「なに勝手にいい感じの話しに纏めようとしてるのよ!!」
 青子が吼える。
 どんな風に話を語ろうとも、所詮は覗き覗かれただけの話しなのである。
 焚き付けたライダーにも罪を償わせるべく矛先を向けると、ライダーは突如として立ち上がった。
「む、いかん。ランサーの奴め、決め技に訴えおった」
 キュプリオトの剣を鞘から抜き放ち、何も無い空間を断裂させるライダー。その奥から、雷撃を纏った蹄がのっそりと進みでる。それこそ、ライダーがライダーと呼ばれる証明であり、彼が頼りとする宝具『神威の車輪ゴルディアスホイール』であった。
「あ、ちょっとこら話し終わってない!!」
 欄干の上で気絶したマスターをヒョイと肩に担ぎ上げて、戦車に乗り込むライダー。
「そうは言っても、余は戦場に赴かなければならんしのぅ。――して、どうする青子よ。来るか、残るか」
 ライダー陣営にあって、一切の制約を受けていない蒼崎青子は基本的にその意思を百パーセント尊重される。だれも彼女の意思を捻じ曲げようとはしないのだ。
「戦うんでしょ?だったら連れてきなさいよ」
 今現在彼女の選べる最高の移動手段は、ライダーが駆る戦車のみである。
 よって青子はグッと怒りを飲み込んで、連れて行けと応じる。
「流石はワシが見込んだおなごだ。肝が据わっておるわい!!」
「フン」
 鼻を鳴らして、恐ろしく高い欄干の上から、空中に浮かぶ戦車へと飛び移る青子。
 元々三人を乗せて欄干の上まで運んだ戦車である。現在ウェイバーはライダーの肩に乗せられたまま気を失っているので、スペースにはかなりの余裕がある。
 青子は不機嫌そうに戦車の囲いに肘をついた。
「ぃよし。――いざ駆けろ、神威の車輪ゴルディアスホイール!」
 雷光を轟かせて、征服王の呼びかけに呼応する宝具。
 今夜空を駆ける宝具に乗って、一人のサーヴァントとそのマスター。
 そして最新の魔法使いが戦場に降り立とうとしていた。
 彼女がもたらす結果を知る者はまだ居ない。





第六話へ