運命の青
  -第四話-







 蒼崎青子には不満があった。
 冬木市を訪れてからはや五日目、一つ前のトチった仕事を含めれば青子はもうかなりの日数、久遠寺邸を開けていた。一応小まめに有珠と電話で連絡は取り合っているし、共同防衛する三咲の土地に侵入者が来たという話しも聞いていない。
 久遠寺有珠を青子は信頼しているし、防衛と集団殲滅に特化した彼女の『お伽の国』ならば、たとえ一流の魔術師が七人協調して戦いを仕掛けてきたとしても、総て返り討ちにしてしまうだろう。土地のバックアップがあるなら、有珠が築く城壁は完璧だ。
 城門に侵入を許した時点で始まった、橙子との戦いは例外中の例外。
 そんな戦いの心配よりも青子が気に掛けているのは、あの広い屋敷にあの草十郎と有珠が今この瞬間も二人っきりという事実の方だ。
 かつて久遠寺邸では、一般人をも巻き込んでプロイキッシャーが発動した事がある。多分草十郎の方から、有珠に手を出すような事は無いと思うが、有珠はあれでも魔術回路以上に乙女回路を満載した娘なのだ。
 そのプロイキッシャーの発動条件は思春期の乙女の片思いなのだと言う。その話を聞いたとき、青子はそのプロイをうっかり発動させてしまった人物よりも、そんな物を所持していた久遠寺有珠という少女の方にこそ驚愕したものだ。
 そんな彼女が、二人っきりという状況下で、あの満載した乙女回路を攻勢に用いたなら、あの無害な草のような青年も野獣に変わってしまうのではないだろうか?
 そんな居心地の悪い想像が絶え間なく浮かんでは青子の頭の中を掻き乱し、彼女の機嫌を段々と悪くさせていた。
 そして、そんな彼女の機嫌を益々と悪化させているのが、ウェイバーという少年が召還した、ライダーと呼ばれるサーヴァントの存在だった。
「見ろ坊主、凄いぞ」
 少年の肩を掴んでブラウン管テレビを覗かせる大男。
「このB2という戦闘機だ。これを十機ばかり購入したいのだが、どうか」
 彼が召還されてから二日というもの、ライダーはこうしてビデオや書物で軍事知識を蓄え、ふとした拍子に図書館から強奪してきた詩集を読みふけっているのだ。
 青子としてはもう速攻で敵のマスターとサーヴァントを見つけ出して、バーっと倒すのだと考えていたのだが、そこは魔術師同士の知能戦である。殆どマスターとサーヴァントが観に徹して動こうとしない。
一刻も早く金を稼いで帰りたい青子にとってはもどかしくてしょうがないのだ。いっその事、もう全部投げ出して帰ろうと何度も考えたが、そんな真似をするには蒼崎青子という少女のプライドは余りに高く、静希と有珠に対しての見栄というか何というかが邪魔をしていた。
「のう、お主はどう思う。戦闘機を買うべきか、それよりも輸送機と戦車を大量購入した方が良いかの?大空を駆けたいという欲求もあるが、やはり大地を踏み拉いての征服だしの、戦車も捨てがたいのだが」
「―――って、私にその話しを振るなぁーーー!!征服も、世界制覇も先ずは聖杯戦争に勝ち残んなくちゃ始めらんないんでしょ!!だったら早く他のサーヴァントを倒して来なさいよ!!」
 何も事態が進展しないままの五日目。青子が間借りする部屋の一室で、真剣に世界征服を目論んでいるサーヴァントに対して遂に青子がキレた瞬間だった。
「ふむ、しかしのう。何の策もないまま出ていっては、余はともかく、坊主の方がアサシンに殺されてしまうしのう」
 そうなのである。アサシンという厄介なクラスの所為で、敵は真正面から粉砕するといスタンスの青子が、二日間も部屋に篭っているのはこの為だった。
「――もう、帰りたい。帰って大きなお風呂にじっくり浸かりたい」
 ベッドの上で膝を抱えてうな垂れる青子。
 そうなのだ、現在このマッケンジー邸には五人の居住者がいる。日本人ではないマッケンジー夫妻は別段浴槽に気を使ってはおらず、一般家庭にあるごくありきたりな風呂なのだ。その小さな風呂を五人で回すのだから、必然一人当たりの入浴時間は限られてくる。それは久遠寺邸の大きな風呂を知ってしまった年頃の青子にとって、苦痛以外のなにものでもないのだ。
 因みにライダーは毎日の入浴を拒否したが、こうして元ウェイバーの部屋、現青子が使用する狭いこの部屋で、入浴をしていない男がブラウン管に齧りついているというのは圧倒的に許せなかったので、青子はライダーに入浴を強要した。無論、似たような理由でズボンも履かせている。
「ハッハハ。戦場で不便なのは当然であろう。余も坊主も不便を堪えておるのだから、そなたも少しは我慢を致せ」
「分かってるわよ、それ位」
 三人は魔術を含んだ聖杯戦争の話しをするので、必然夫妻に聞かれないように、青子の部屋に集まる機会が殆どとなっている。だが就寝の時間になると、青子は容赦なく二人を部屋から蹴り出す。
 大男と、少女のような少年はいそいそと一階のリビング、フローリングの床の上に布団を敷き、ライダーは布団に、ウェイバーはソファーにという生活を青子は強いているのだ。
 その所為でウェイバーは、ライダーをマッケンジー夫妻に友人として紹介し、かつフローリングの上に布団を敷いて眠る行為を、『おかしなことじゃないんだ』という涙ぐましい催眠まで夫妻に掛けているのだ。流石に青子もこれ以上我侭を言う気にはなれない。
 だが、まぁ、其処には青子の知らないこんな会話があったりする。
『なぁ坊主、別に宮殿を用意しろとは言わないが、せめて王を床に転がすというのはどうにかならなかったのか』
『しかたないだろう。ボクの部屋は蒼崎の奴にとられちゃったんだし、アイツをここで寝かせるのは男として色々とアレだし……』
『うむ。その心意気は見事だが、どうせ男を目指すというなら、ほれ青子寝室に侵って夜這いを掛ける方が十分に男らしいのではないか?』
『な、何言ってるんだよライダー!!』
『これ、そんなに大きな声を出すな。起きてくるぞ』
『ライダーが変な事言うからだろ』
『なんだ、夜這いは厭か?』
『当たり前だろ!!』
『そうか、一応余のマスターだからの、断りはいれたぞ。――――よし!!では余は夜這ってくるのでな、坊主はここでおとなしくしておれ』
『ちょ、待て待て待て!!』
『なんじゃい、五月蝿い奴じゃのう』
『なんだじゃないだろう!?なんだよその夜這ってくるってのは!!』
『む、夜這いの作法が知りたいのか?――そうだのう、先ずは寝ているおなごの上に跨る、そして起こしてだな、抱いてもいいか聞くといい。恐らくこれが坊主に向いた方法だろう』
『だから、そういう事を言ってるんじゃないの!!夜這いを止めろって言ってるんだボクは!!』
『………………駄目か?』
『決まってるだろう!?』
 といった具合の会話を、ウェイバーとライダーは青子の預かり知らぬ所で毎夜繰り広げているので、それなりに楽しんでいるのかもしれない。
「アサシンが―――やられた」
 先ほどから黙っていたウェイバーが突如声をあげる。
 彼が黙っていたのは、現地調達した使い魔の視界を使って、斥候に従事していたからに他ならない。
 ピクリと、その情報を聞いた二人の戦闘狂の肩が動く。
 青子を戦闘狂と呼ぶのは些か御幣があるかもしれないが、ウェイバー・ベルベットと比べれば、障害は全て破壊する彼女のスタンスは十分に戦闘狂だ。
「よし、では出陣「しない」」
 だが、膝を叩いて立ち上がろうとしたライダーを青子は短く止めた。
「何故だ。お主もあれだけ戦いたがっていたではないか」
「あぁそれ、均衡状態がもどかしくて、戦いたかっただけよ。もうアサシンに憚らずに動けるのが分かったら今夜はいいわ。もう夜遅いし」
 ふぁあ、と欠伸をする青子。明日から自由に動けるなら、こんな時間から頑張る必要などない。それだったら、これからたっぷりと寝て次の夜に備えるべきだろう。
「出かけるなら、どうぞ。でも私はもう寝るから」
「ふむ、では我らはどうするマスターよ。征くか、備えるか」
 矛先を向けられたウェイバーは、少しだけ悩んで「今日の戦闘はこれで終わりだと思う。みんな今頃、青子と同じように拠点でぐっすり休んでるはずだ。ボクらだけ、哨戒行動をとるのは無意味だと思う……」と自信なさげに答えて、ライダーを見た。
 だが、稀代の戦術家はそれを、良いとも悪いとも、言わずただ笑っている。 
「では今宵は備えることにするとして、む―――で、あれば明日は坊主の初陣か」
 ライダーの表情は、まるで我が子の初陣の日取りを喜ぶ武人の父といった感じだ。
「ならば色々と済ませておく必要があるな。――うむ、では青子頼めるか?」
「―――何をよ?」
 またコイツは突拍子もない事を言い出すんだろうな、と身構えながら青子はライダーを睨み見た。
「うむ、―――青子よ、こやつを男にしてやってはくれまいか。ほれこの通り!!」
 ペコリと胡坐をかいたままウェイバーの背中を張って押し出し、未熟なマスターの為に頭を下げるライダー。
 戦場を知る前に女を知る。
 その風習は古来より世界中の至る場所で確認される習わしだ。
「らららららら、ライダー!!おま、おま、お前ええええええええ」
 だがそんな頭を下げてまで頼み込む王の願いも、晒される当人にとっては全くもって、信じられない事態だ。
 同年代の異性に、第三者が勝手に『コイツ、チェリーなんだぜ』と暴露されて慌てない少年が居るだろうか?否いない。
「―――セット」
 短く告げられる詠唱。掲げられて青子の右腕には魔術刻印が煌めいている。
「うお!!こりゃあいかん」
「ちょ、待てライダーお前だけ逃げようとするな!!」
 あたふたと、部屋の扉に向けて逃げ出そうとする、主人と従者。
 その背中に怒りの轟雷が鳴り響く。
「―――二人とも出てけぇええええええ!!」
 因みに蒼崎青子の顔が赤いのは、異性に童貞なのがばれたくない男心のように、女心もまた、未経験であることを知られたくはないからだ。
 故に彼女は怒鳴るしかないのだ。





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