運命の青
  -第三話-







 冬木市深山町の片隅にある雑木林で、一組の男女がコソコソと隠れて何かをやっていた。
 夜の雑木林で、人目を憚って隠れ、一つの共同作業に勤しむ男女。もしこの二人が雑木林に入って行く後ろ姿を第三者に目撃されたなら、若いカップルのアバンチュールでスリルに満ちた肉欲の探求を始めるのではないかと疑ったに違いない。
 だがその男女が、蒼崎青子とウェイバー・ベルベットであり、この場所がそれなりに太い霊脈の上となれば話しは大いに変わってくる。二人は魔術師であり、霊脈の上で鶏の血を使って陣を書いているともなれば、それは必然魔術に関わる何事かである。
 因みに共同作業と言ったものの、実情はこうである。
「だから、なんで勝手にアレンジ加えるんだよ!?」
「え、だってどうせならもっと地脈のエネルギーを吸い上げる形にした方がいいでしょ?私これでも土地のオーナーだし」
「ダメ、ダメ、ダメ!!聖杯戦争の召還はもう形式化されているの!!この召還は失敗しなければ成功なんだから、下手に手を加えるな!!」
 叫んで青子の描き加えた箇所をすぐさま訂正するウェイバー。
 そう共同作業といったものの、一事か万事この調子なのである。
 言葉での説得を諦めたウェイバーは、実際にサーヴァントを召還してみせればこの半人前の魔術師は理解してくれるのではないか?そうだ一見は百聞にしかずというではないか!!という結論に至りサーヴァント召還の瞬間に青子を立ち合わせたのだ。
 だが彼は早くもこの結論に至った事を後悔し始めていた。
 その溢れる自信はいったいどこからくるのか、サーヴァント見たさに立会いに同意した青子は、だけれど手助けという名を借りた妨害ばかりしてくる。そしてその妨害は紛う事なき善意によってなされている事が理解できるので、ウェイバーも強くでられない。
 鶏を入手して、青子と出会ってから、この召還場所に至るまで、二人は一つ屋根の下でまるまる一夜を過ごしている。この間に多少の相互理解は果たされているのだが、その顛末は特に詳しく語るに及ばない。
 手持ちの金が無く、泊まって行きなさいという老夫婦の勧めに従った青子は、客間がないマッケンジー邸で、当然のようにウェイバーを部屋から蹴り出して、毛布一枚を与えてリビングの床に転がした。
 おかげでウェイバーは全身が肩こりにあったかのように痛んでいる。
「ふぅ、こんなものかな」
 額の汗を拭って、満足げに自らが描いた召還陣を見下ろす少年。少女青子の方は、一々ウェイバーが口出しするので、一歩離れた場所でむっとした表情で完成した召還陣を睨んでいる。因みに少女という表現を使えるようになったのは、ウェイバーが見る人に大人びた印象を与える青子の中に、自分とあまり変わらない若さを一日かけて見た為だった。
「それじゃぁ呼び出すからな?」
 聖遺物を所定の位置にセットして、青子の目を見る。彼女は何も言わず黙って頷いた。
 意を決して決意を飲み込むと、心臓が一際大きく跳ねた。
 だが戦いに臨む少年の心象は、その心臓の跳ね返りを淀ませることなく、詠唱を開始した。
閉じよみたせ閉じよみたせ閉じよみたせ閉じよみたせ閉じよみたせ。繰り返すつどに五度。ただ、満たされる刻を破却する」
 自己の改変。
 只奇蹟を執行するだけの回路へと自らを変貌させるその行ないは、世界の一切が見えなくなるほどに没頭する詠唱だ。それも歴史に名を刻んだ英霊と契約を結ぶのだから、その詠唱の長さたるや、彼ウェイバー・ベルベットの、半生を紐解いても例がない。
 だがそんな栄光へ続く檜舞台へ足を掛けたというのに、彼の意識は没頭しきれず、どこか俯瞰した意識の中、蒼崎青子という少女を意識していた。
 口は淀みなく詠唱を続け、手応えも次第に確かなものへと変わっていく。
 なのに、頭の片隅で、常に冷めた意識が、『どうして蒼崎青子を連れてきたのだ?』と絶えず彼に問いかけているのだ。
 全神経を一つの魔術に没頭させる詠唱は、魔術師にとって絶対的の隙の一つだ。それもこれだけの長詠唱、後ろから心臓をぶち抜こうと青子が企んでも、彼はなんの抵抗もできないだろう。ならば、こんな無防備な場面に彼女を連れてくるべきでは無いはずだ。
 万全を期して聖杯戦争に臨もうとする覚悟があるのなら、どんなリスクであろうと避けて通るべきなのだ。だが、現実には彼の後ろには、彼女がいる。
 もしかしたら、召還したてのサーヴァントを見せて、蒼崎の女を驚かせてやりたいという欲求が働いたのかもしれない。自分を周囲に認めさせるという目標を掲げ聖杯戦争に参加したのだから、魔法を継ぐ者を驚かせるというのは、最高に幸先がいい滑り出しなのではないかと考えたのかもしれない。
「――告げる。
 汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。
 聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ――」
 あぁ、だけれど、それでは説明の付かない感情が幾つもあるではないか。
 衛宮切嗣なる人物の捜索を一向に諦めようとしない彼女。自分はそんな余計な事に付き合ってやる義理など無いのに、必死に彼女を家に引き止めた。せめて自分が召還を終えるまで動き出さないでくれと。
「―――誓いをここに。我は常世総ての善となる者、我は常世総ての悪を敷く者――」
 魔術師である彼女の腕に、聖痕が宿ってしまわぬようにと祈りながら、マスター同士争うことのないようにと願い、震えていた事実は一体何処に行けばいい?
「――汝三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ――――!」
 吹き荒れる暴風と、眼を焼く眩い閃光。
 生きたままでは届く事はないと言われる、遥かな最奥から、威光を纏い、伝説を帯として、今偉大なる英雄が降臨する。
 だが、その究極に近い奇蹟を目の当たりにしても、彼の悩みは解決することは無い。
 なぜなら彼は、未だ初潮を終えていない乙女のような少年で、魔術師としての生き方と、自覚のない一目惚れを両立できるほど、器用ではなかったのだ。


※   ※   ※   ※   ※


「問おう。汝が我を招きしマスターか」
「そうだ、ぼ、ボクがお前のマスターだ」
「うむ、じゃあ契約は完了、と」
 昨日丸一日かけて、青子にからかわれ続けたウェイバーは、一定の耐性を付けたらしく、彼の苦手とする全身筋肉の大男を前にしても、それなりに虚勢を張って答えを返せた。もちろん、後ろで興味深そうに彼が呼び出したサーヴァントを見ている青子の存在があったことも、否定はできないだろう。
「で、坊主アレは一体誰だ」
 大男、イスカンダルが熊の指のように太い指で、後ろに立つ蒼崎青子を指した。
「ん、私?」
 自分を自分で指差す青子。
 そういえばサーヴァント側からしてみれば、召還されて目の前に二人の魔術師が居るのはおかしな事よね、と思い至り軽く自己紹介をしようとして、口を開く。
「私は……」
「えっと彼女は……」
 だが、その思いに行き当たったのはウェイバーも同じであり、丁度同じタイミングで口を開いてしまった。
 む、と口を紡ぐ青子と、慌てるウェイバー。
 彼女の方は紹介するなら、紹介しなさいよというスタンスでの沈黙なのだが、少年の方は機嫌を損ねてしまったのではないかと、気が気ではない沈黙に襲われている所だった。
 そんな二人の魔術師の様子を見てとったクラスライダーに該当する大男は、青子にずいっと近づいて、上から下までフムフムと眺めた。
 ウェイバーなら気が動転してしまう距離であったが、彼女はひるみもせず、嫌そうな眼で黙ってサーヴァントを見返した。それはまるで匂いを嗅いでくる大型犬を、面倒くさいながらきっちり相手にするご近所さんのような応対である。
「ふむ、気が利いているではないか、マスター!!」
 先ほどウェイバーの事を坊主と呼んでいた、ライダーが突然彼の方を向いてマスターと呼んだ。その顔は上機嫌そのものだ。
「へ、なにが?」
 だがライダーが突然上機嫌になった理由に、さっぱりと心当たりがつかないまま、ウェイバーは自らが呼び出したサーヴァントに、大きな手の平で背中を叩かれている。
 青子もウェイバーの何がこのサーヴァントの感嘆を買ったのだろうと、大男の影に隠れてしまっている少年を、身体を傾けて窺っている。
 だが、そんな二人の混乱を余所に、ライダーは呵呵大笑といった具合で、自らのマスターを褒めちぎる賞賛の言葉を贈った。
「戦の前に女を抱き、英気を養う!!中々に戦の道理が分かっておるではないか」
 ブチン、と世界が青く凍った。
 それは少年、ウェイバー・ベルベットの心象であり、彼が呼び出したサーヴァントは、これから襲ってくるであろう、恐怖の予感を微塵も感じていない。むしろ、召還されたばかりの王に、姫を用意する話せるマスターと契約できて大満足だと大笑いしている。
 ゴクリと、自分でもこんなに大きく喉を鳴らしたのは生れて初めてだと思いながら、ウェイバーは恐る恐る、蒼崎青子を窺い見た。
 彼女は色の無い瞳をして、石のように固まっていた。
 多分、サーヴァントの言っている言葉の意味が上手く理解できていないのだろう。耳に聞こえたが、脳の処理は未だ終わっていないといった様子だ。だが、一切の感情が排されたその表情の下では、マグマよりもなお熱い怒りが沸々と煮えたぎっているのが、少年には理解できたのだった。
「ひゃの!?ですから、だから!!ですね!?」
 飼い犬の責任は飼い主にある。
 蒼崎の怒りの矛先がこちらに向かないように、なんとか自らのサーヴァントを嗜めようと試みるが、少年の口は、氷の上のタイヤよりも盛大に空回りしている。
「まったく何を言っておるのだお主は。それよりも、ほれ、早く寝所に案内致せ。流石に余もマスターの用意したおなごを草の上に押し倒したりはせぬ」
 そうにこやかに笑って、青子の肩を抱こうとした時、青子の怒りが頂点に達した。
「死ねぇぇぇえええええええええええ!!!!」
 天を突く程の見事な捻りで解き放たれた、青子渾身のコークスクリューアッパー。青い軌跡を描いて放たれたそのパンチは、気安く体に触れようとした不埒者の顎を芸術的に撃ち抜く。
 浮き上がる巨体。
 征服王として名を馳せた真名イスカンダルと呼ばれる英雄も、まさか二千年以上の時を経て女子が男子だんしの顎を殴るようになる日がこようとは思いもよらなかったのだ。
 マスターの剣となり、楯となって戦うサーヴァントが、綺麗に殴られる様子を見ていたウェイバーは後にこの夜の出来事をこう語る。
『ライダーの奴は噴火寸前のキラウエア火山に、ダイナマイトを満載したトラックに隊列を組ませて、火口に突っ込ませたんだ』と。
「帰る!!いい、ウェイバー!?アンタは私の事をちゃんとそのデカブツに説明して、しっかりと躾しておくこと!!――分かった!?」
「はい、分かりました!!」
 それっきり、踵を返し、夜風を切って去る青子。その心中は穏やかではない。
 サーヴァント、なるほど確かに恐ろしい存在である。並みの魔術師では相手にもならないだろうし、一流の魔術師でも米粒ほどの勝機を見出せるかどうかである。
 だが、相手がいかに強大であろうと、その人物がいかに偉大な王であろうとも、乙女に対してあれだけデリカシーのない態度をとるのであれば、それは鉄拳制裁なのである。
 それが蒼崎青子の生き方なのだ。
「おいちちち。――おい、坊主。アレは一体なんなのだ」
 獅子のたてがみみたいな髭をさすりながら、ライダーが起き上がる。
 さり気なく、マスターから坊主へと自らのサーヴァントに格下げされていたが、ウェイバーはそれを気にする余裕もなく、怒りの鉄拳が自分に向かなかった事をただ喜んでいた。
「ボクの協力者。衛宮切嗣っていうマスターの一人を狩ってくれるらしいから、協力しているんだ……」
「それはまた、随分とおかしな関係じゃのう」
「――言うなよ。自分でもわかってるんだからさ」
「うむ、だったらよい。余も坊主の方針に従おう」
 バンバンと背中を叩いてくる馴れ馴れしいサーヴァント。
「なんだよ。子供扱いするな」
 体をよじって抵抗するウェイバーだったが、ライダーはマスターの意向を無視して、構わずそれを続ける。
 衛宮切嗣という、恐らくマスターに選ばれているであろう魔術師を狩るのだと青子は言った。それに協力することは一見メリットがあるようにも思えるが、実は大した意味はない。むしろ他のマスターを失ってしまったサーヴァントが、青子と契約してしまう可能性を心配した方が戦略としては正しい。
 だが、彼のサーヴァントはそういった総ての事情を考慮した上で、まぁよかろうと少年に従っているのである。
「しかし坊主、アレはいい女だが、モノにするにはちと手間だぞ」
「な、何を言ってるんだよお前は!!」
 真名イスカンダル。
 三十四という若さで死去した彼の目は、蒼崎青子という少女は十分に略奪するに値する女として写っていた。だが、同時に総てを略奪しなければ気が済まない彼の性質は、肉体を奪っても心を得られない事を直感で見抜いていたのだ。
「フッフッフ。楽しくなってきおったわい。――時代を越え、あらゆる猛者どもが集うこの戦場に、一人の男として挑む甲斐ある女も見つけた!!全く、心躍る戦場ではないか!!」
 あらゆる魔力が猛る満月の夜に、彼の征服王は金色に輝く、まるで器のような月に向かって吼える。それは彼の総身を焦がす、胸の高まりによるものだった。





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