運命の青
  -第ニ話-







「そんなに怯えないでよね。別にとって食べるわけじゃないんだから」
 部屋に放り込まれたウェイバーを見て、嘆息する青子。彼の怯えようといったら、飢えた狼を前に、両手を組んで祈る子羊そのものだ。
「だ、だ、だってぇ」
 震える少年。
 彼には覚悟があった。
 他の魔術師とサーヴァントを殺し、聖杯を掴んで頂点に立つ断固たる意思が。
 だが、こうして怯え震えてしまうのは、彼にとって致し方ないことなのだ。
 要するに、完全武装をした兵隊が、だけれどお化けは怖いんです!!といった具合なのだ。
 つまり、殺す意思はあります。死に身を投じる覚悟も終えました。
 だけれど蒼崎には関わるのは話が違うじゃないか!!というのが彼の主張なのである。
「それで、アンタはあの馬鹿姉のこと知ってるの?」
「ばっ……」
 鋭い目付きをして、あの蒼崎橙子を馬鹿と斬って捨てた青子の暴言に、ウェイバーも釣られて馬鹿と言いそうになってしまったが、慌てて両手で口を押さえて、何とかその言葉を飲み込んだ。それは時計塔に在籍する学生の条件反射だった。
「厳密には知り合いじゃぁないです。時計塔で何度か――遠目で見たりしただけで、特に話したりだとかはしてないです」
 基本的に自らの研究室に篭りきりの蒼崎橙子であったが、彼女もれっきとした人間である。食事の時などはふらりと研究室から出てきた。眼鏡をしている時ならまだいい。眼鏡をしている彼女は人当たりよく、赤い服の魔術師と、黒い服を着た僧侶のような男と一緒に楽しげに会話をしている姿を何度か目撃した。
 だが、眼鏡を外した彼女が自らの研究室から出てきた時はそれこそ悪夢だ。皆、石化の魔眼に掛かったかのように、ピクリとも動けない。ウェイバーはその両方を目撃した事があるのだ。
「橙子と貴方は関係ない?」
 そしてだからこそ分かる。蒼崎青子と名乗る少女が、恐怖にへたり込んでいる少年を見て詰問している様は、明らかに後者の眼つきと似通っているのだ。
「はい。ありません」
 故に彼は、目を合わせる事もできず、ただ下を向いて頷くしかなかった。
「そう、ならいいの」
 そう言って青子はベッドの上に腰掛けた。
「え……」
 思わず顔を上げて青子の顔を見るウェイバーだったが、そこに先ほどまでの恐ろしい―――気にくわなかったら殺すといった具合の威圧感はなかった。
「私もね、こんな場所にまできて姉貴に関わるのは御免だったしね。アンタが姉貴の知り合いだっていうなら、とっとと荷物纏めて町を出たわ」
「町を出るって……」
 ふと青子の気軽な口調に違和感を覚えるウェイバー。
 確かに蒼崎橙子は恐ろしい存在だが、彼女が来ているという理由だけで六十年に一回の周期でしかやってこない聖杯戦争をこんなにも簡単に諦められるものなのだろうか?
 いや、そもそも、彼女の第一声からして既に事態はおかしいのだ。
『お腹減ってるの、何かご馳走してくれない?』
 果たしてこれから聖杯戦争に挑もうとする魔術師が、他の魔術師を掴まえて食事を奢らせたりするだろうか?そんな真似をする位なら、通行人に簡単な魔術を掛けて金を巻き上げた方が、遥かに低リスクだなとウェイバーは考えた。
「その、蒼崎さんは何しに冬木に?」
「いいわよ青子で。姉貴の事知って怯えてる奴に蒼崎だなんて一括りで呼ばれたくないわ」
「じゃぁ、その、青子さんは一体何をしに?」
 ファーストネームを呼んで構わないと言われたウェイバーだったが、『さん』を取れなかったのは、彼が未だ恋愛という精神疾患の病、その到達点を手にしていなかったからに過ぎない。要するに、この少年には、同じ部屋でベッドの上に腰掛ける女性を呼び捨てる度胸が致命的に足りていないのだ。
「あ、そうそう、貴方名前は衛宮切嗣じゃぁないわよね?」
 質問に質問で返されてしまった。だが彼はそれを指摘できる程、命知らずではない。
「僕の名前はウェイバー・ベルベットだけど……」
「うんそうよね。ターゲットは見た目からしてオッサンらしいし、こんなもやしが魔術師殺しな訳ないか」
「身体付きは関係ないだろう!?一流の魔術師に必要なのは魔術回路を効率的に運用できる性能こそが重要であって、筋肉なんて全くの無価値じゃないか!!」
 異性にもやしと評されて、思わずあの蒼崎に対して腹を立ててしまったウェイバーだったが、それは彼女も一部同意でき主張であるらしく、特に反論はしなかった。というより、彼女の姉と魔女も、術者の肉体に対して全くの無頓着であるからだ。
「んふふふ」
「な、何だよいきなり笑ったりして」
 だが青子は邪悪な笑みを浮かべて、声を上げた反論者を見た。
 その視線にぐっと息を飲み込み、身を竦ませるウェイバー。
「――――もしかして、拗ねた?」
「そんな訳あるか!!」
 今度こそからかわれたのだと気付いて、顔を真っ赤にして顔を荒げる少年。
 その姿は片思いを指摘されて慌てる中学生そのものだ。
 意地の悪い顔をして、少年の初心な感情を満喫した青子は「ごめん、ごめん」と笑いながら手を振って話を切った。
「まぁ、私の目的は単純よ。協会から魔術師殺しの衛宮切嗣に対して懸賞金が出てるから、さっくり捕まえてお金を貰うだけの仕事をしにね」
 真面目な顔で、実に間の抜けた事をいう青子を、ウェイバーは呆然とした表情で見る。
「というわけで、もしこの土地に管理者が居るんだったら、狩りの許可が欲しいから軽く挨拶したいんだけど、そこら辺の事情貴方分かる?」
「あ、あぁ土地の管理者なら遠坂っていう家があるけど……」
「そうなんだ。――あ、もしかして渡り付けられたりするの?だったら許可とか貰っておいてくれない?私、狩りの方に専念したいから」
 んっ、と両手を組んで伸びをする青子に、少年ウェイバー・ベルベットは素直で率直な思いを口にした。
「お前、馬鹿だろ」
 気持ちよく伸びをしていた青子の身体が、ピタリと止まる。
「――――、はい?」
 面白おかしくからかっていた少年の突然の反抗に、ギギギと錆び付いた螺子を回すように、顔を向ける。向けた顔は彼女にとって同時に照準でもあり、聞き間違いでなければ直にでも鉄拳が少年の顔目掛けて飛んで行くだろう。
 だがこの町を取り巻く状況を正確に理解しているのは少年の方であり、どちらがピエロなのかと聞かれれば間違いなく青子の方が圧倒的多数で選ばれる事だろう。
「いや、いや、いや、聖杯戦争。聖杯戦争だよ!?」
「何よ、その聖杯戦争って」
 全力で君の方が勘違いをしているんだと、自らの顔の前で手を振るウェイバーに、睨むような視線を投げつける青子。だが……。
「だから、これからこの冬木市は聖杯戦争をやるの!!七人のマスターが七騎のサーヴァントを召還して戦争をする所!!――ほら!!」
 自らの聖痕を掲げて青子に見せ付けるウェイバー。
「―――えっと、だからなによ」
 だが、聖杯戦争なるものが行われると知らずにこの町を訪れた青子は、いまいち事の重大性が理解できていないらしく、何故か拗ねたような表情をしている。
 いや、だがその拗ねた顔はどうやら、自分が物凄い赤っ恥な事をやらかしてしまったという自覚から来ているらしかった。
 だがその無知さ加減は命を掛けるつもりでやってきた、ウェイバーにとって卒倒ものだ。
 もし聖杯を手中に収めたとしても、聖杯戦争が何であるかを理解していない蒼崎青子にとっては『何それ』程度の物でしかないということなのだ。
 これでは周囲に自分の実力を認めさせてやると、息巻いて冬木市までやって来た彼の方がピエロになってしまう。
 この瞬間、彼は生れて初めて、他人に懇切丁寧に教えを授けるという行為に没頭した。
 これからこの町でどれ程大きな戦いが執り行われるのか、そのサバイバルゲームの勝者になる事が如何に困難で、如何に名誉なのかを、自分の持ちうる全ての知識を総動員して、目の前に座る魔法を伝える一族に教授した。
 その結果が、「つまり衛宮切嗣はマスターとして参加している可能性が高いから、超強力な使い魔に注意しろってことね!!」である。
 ウェイバーは自分の無力さに両手を広げ、仰向けの体勢で盛大に倒れた。
「ちょ、ちょっと何か間違ってた!?」
 あたふたと混乱する青子。
 この結果はウェイバー・ベルベットの講義が分かり難かった訳では勿論なく、蒼崎青子という人物の、常に敵を真っ直ぐに見据える性格による。つまり、彼女の思考は如何に敵を打倒するかのみに注がれていたのである。
 勿論講師の目論み通りの結果を得られなかった理由はそれだけではない。
 魔法という到達点から始まった、蒼崎青子という魔術師として生き方は、他の魔術師よりも圧倒的に魔術の見聞を狭めさせ、その見識を久遠時有珠という余りに特殊な魔女が助長させたという現在進行形の経歴がある。つまり、数少ないウェイバーの落ち度をあげつらうとするなら、一般的な魔術師に語るのと同じ認識で語ってしまったという事に、原因を見出せないこともない。
 だがそんな事情を、神ならざる人の身で理解しろというのが、土台無理な話しだ。
 なにより、蒼崎青子という半人前の魔術師が、サーヴァントと比類しかねない実力を持っており、実は青子が妥当な戦力分析をしていたなどと、ウェイバーは知る由も無い。





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