運命の青 -プロローグ-






「おかしい……こんなの悪夢よ」
 駅のホームで一人の女性が折りたたみ財布を目一杯、これ以上広がりようのない位に広げながら自らの窮状を呆然と嘆いている。
「えぇっと、ちょっと待って冷静になって状況を整理しましょう」
 女性は電車から駅のホームに降りたって、自らの財布を開けた瞬間からそうして固まっているので、同じホームにいる人間は疎らだ。一緒に電車を降りた他人は、何を迷うことなく改札へと向かい、駅で電車を待っていた他人はそのまま電車に乗って行ってしまった。だからそこに取り残されているのは、今現在彼女一人きりだ。
「私は協会の仕事を請けて三咲町から出てきた。うん、それはいい。問題ないわ。交通費だって十分な額を草十郎から借りてきたんだし、食費や宿泊費だってちゃんと計算した」
 ブツブツと一人思案に耽っている女性だが、今名前を挙げられたその草十郎なる人物がこの場に居たら、きっと『ちょっと待ってくれ』と不満を言ったに違いない。
 両者の間には借りたという認識と、無理矢理不良債権を買わされたという決定的な認識の違いがあるからだ。だがその事を指摘する人間はこの場所にはいない。
「え、でもやっぱりあれ?目標が予想外に見つからなかった所為?」
 女性が立てた当初の見積もりでは、サクっと終わらせてサクっと帰るつもりであったのだが、予想外に対象の補足に日数を掛けてしまった所為で、食費と宿泊費が見積もりよりかさんでいたのである。
力ずくで事を運ぶのが得意な彼女であったが、まだまだ自分の実力を客観的に見積もるには圧倒的に経験が不足していたのだ。
 つまり、見つけてからは予想外に早かったが、見つけるまでが異常に時間が掛かってしまったというのが事の真相である。
「あれ、でも協会から払われる報酬がこれだけで、なんか色々壊しちゃった修繕費の請求がこれだから…………うわ、赤字ね。どうしよう、大見得切って草十郎に『利子つけて返すわ』なんて言っちゃったのに」
 頭の中で算盤を弾いていた女性は、計算結果に愕然としている。これは最終利益の話であるから未だ清算はされていないが、財布の中身と同じく未来に希望の欠片もなかった。
「まずい。まず過ぎる。お金を稼ぐ為に働きに出たのに、赤字をこさえて戻るなんて、有珠にどんな嫌味を言われるか分かったもんじゃないわ」
 三咲町までとりあえず電車で行けるところまで向かって、後は適当にヒッチハイクでもしながら帰ればいいやと、楽天的な思考をしていた長い髪をしていた女性は、そういえばまだお昼食べてなかったな〜、なんていうこれもまた楽天的な思考の末、電車代に全てを注ぎ込んでしまった空の財布を開いて、漸くようやく今この瞬間に現状を正しく理解したのだった。
「何か……何か一発逆転の特大ホームランは無いわけ」
 足元に置いていたキャリーバックから紙束を取り出して、必死にパラパラと捲りだす。
 一縷いちるの望みを託し捲られるその紙束は、彼女が願いを託すに値するに足る神秘的な紙束だった。
 紙の一枚一枚はそれぞれ別の木々から一枚ずつ作りだされ、一本の木から作り出された大量の紙は、いわば兄弟のような関係で遠く離れた世界中と結ばれている。そして最初に作られた紙に誰かが情報を書き込むと、別け隔てられた紙に内容が転写される仕組みだ。
 それを五十枚程束ねた物を彼女は捲っているのだ。いわば個人所有の依頼伝言板のような物だ。魔術協会で受理された依頼はこうして速やかに、末端の魔術師まで届くのである。
 ちなみに彼女が持っているのはアジア地域限定の依頼が降りてくる物だ。
「あ、これなんか良いんじゃない!?」
 天啓を見た少女のように喜んで、女性は一枚の紙を破り取る。
「なになに、魔術師殺しの捕獲もしくは抹殺。刻印の保存は問わずか」
 完全に彼女向きの仕事であった。詳しくはより詳細な情報を確認しないと分からないが、
その女性が天啓だと感じた確固たる理由がそこにはあったのだ。
「うん、冬木市よね。此処」
 紙切れに書かれている情報には魔術師殺しなる人物が、冬木市を訪れる公算が高い、もしくは既に潜伏している模様と書かれており、女性が見上げる駅の掲示板には大きく冬木という文字が踊っていた。
「よし、じゃぁいっちょこの運命に乗ってみますか!!」
 そうしてまだ少女の幼さを若干残す女性は、少しお腹減ったなという思いと、無一文では帰れないという見栄をキャリーバックと一緒に引き摺りながら、軽い足取りで改札へと向かった。


 それは青の魔法使いと呼ばれる彼女が、これからこの町で何が執り行なわれるのか知らないまま訪れてしまっただけの物語である。
 物語の大勢に影響はなく、ただ只管ひたすらに傍観者に徹しようとした魔法使いの物語。
 時にして1990年の物語であり、後に冬木市に住む魔術師達から第四次聖杯戦争と呼ばれることになる物語の顛末である。





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