聖者の血を杯に
第9話








「いいぜ、その話乗ってやる」
 そういって獰猛な笑みを浮かべて、ランサーは右手を出した。
「あぁ、裏切らないよ」
 本当にそれだけの思いを込めて、強くランサーの手を握り返した。
「さて、詳しく話そうと思うんだけど……朱い月も参加して、きっと俺だけじゃ巧くやれない」
「わかった」
 バゼットさんの容態を心配しつつ、三人で話し合い始めた。
 概要はこうだ。
まずは誰が運ぶか、最初ランサーが運ぶと言い出したが、遠野の屋敷の場所をしらないことと、サーヴァントは冬木を離れるべきでないという理由が致命的だった。俺が運んでも良かったのだが、現在はサーヴァントとしての役割を抱えているのと、運ぶ手段が無いので不可。
すると自動的に朱い月が運ぶことになるのだが、運ぶ方法をどうするかが方法が問題だった。最初車を使えばいいと考えたのだが、そもそも朱い月は免許を取得していない。いや、運転できるだろうが実績のないドライバーに重傷者を運ばせるわけにはいかないし、何よりこの方法は、車を略奪することを前提に進んでいた。
 ならばと、道行く運転手に魅了の魔眼で暗示を掛ければいいとなったが、魅了の魔眼とはそんなに便利な代物ではないらしく、遠野の屋敷まで運べと暗示したところで、暗示の被害者は?マークを浮かべるか、とりあえず思い当たった場所に向かうかのどちらかだと言う。
そして煮詰まった議論がたどり着いた最終的な結果が……。




「それじゃぁ、バゼットさんのこと宜しくね。くれぐれも見つからないように慎重に、だけどできる限り急いで。秋葉の方には俺のほうから連絡しておくから……まぁ朱い月なら大丈夫だとはおもうけどね」
 バゼットさんを両腕で抱え、胸元に抱きかかえた朱い月に話しかける。
洋館の屋根の上、彼女はこの場所からバゼットさんを抱えたまま一気に遠野の屋敷まで駆けて行くことになった。ひたすら直線距離を、最短ルートでいく作戦だ。
 いや、作戦とは呼べないのかもしれない。これは朱い月の『能力』にただ頼っただけのものなのだから。
「ふぅ。私はお前のことのほうが心配だよ」
 呆れたような顔で俺のことを見返す。確かに心配されているようだが、
「大丈夫、無茶はしないよ。他のサーヴァントと戦うような事はしないし、死ぬような無茶も犯さない。だから、さ。早く帰ってきなよ、元気になったバゼットさんを連れて」
「そのような杞憂案じるだけ無駄よ。お主は平気で無茶をしおるし、死地にも警戒なく首を突っ込みおる。私が案じておるのは、志貴。置手紙一つでこの冬木までやってきたお主があの小娘に連絡をつける危険を案じているのだ」
「…………あ」
 そのことをまったく考えてなかった。
手紙一つ書いて家出同然で冬木市まで来てしまった俺が、どんな声して電話すればいいんだろう。
きっと怒るんだろうなー。
帰ったら即、家族会議というか、裁判というべきか、吊るし上げと素直に表現するべきか……兎に角心臓に悪いことが開催されること確定の身分の俺が電話をする……あ、あれ?足が震えだしたぞ??
「ま、まぁ何とかなるんじゃないかな?」
「ならんだろうな」
 うぅ。冷静で的確な真実の言葉が恨めしい。



※  ※  ※  ※  ※  ※




「ランサー。別れの言葉は良いのか?」
「ちょっ」
 もう出発するぞ?と意味をにじませて、先ほどから一言も話さないランサーに問いかける朱い月。その普段通りの言葉をたしなめようと声を上げたとき、ランサーの手が俺の言葉を留める。
「敗者に掛ける言葉を戦士は持ち合わせちゃぁいねえんだ」
 酷く重たげな、まるで自身の生涯を語るかのようにランサーは言葉をかける。
「だが俺は、こんなところでくたばるようなマスターに召還よばれた覚えもねぇ……だから、」
 左耳についていた鉱石のピアスを取りランサーは続ける。
「お前、一つしかこいつ持って無かったよな?貸してやるよ、二つあって始めて発揮するまじないだ。…………ぜってえ返しに来い」
 力なく置かれたバゼットさんの手を解き、その中に銀色のイヤリングを握らせる。
指が力強く、大切にソレを握り締めた。
その強い意志に突き動かされた指をみたランサーは笑っていた。
「ようし、いっちまえ!!とっとと怪我治して来い!!」
 バゼットさんからそっと離れて、大きな声で陽気に叫ぶ。
その声に満足したような表情で、朱い月は飛び出す。
「バゼットさーん!!俺の家族に宜しくねーー」
 すでに遠くにある背中に大声で叫ぶ。
その背中は、月に向かって飛ぶように、離れていった。




※  ※  ※  ※  ※  ※




 バゼットさんが重体の今、ランサーは霊体になれない。
ランサーが霊体に戻った場合、再構成にかかる魔力はバゼットさんが負担することになる。
サーヴァント一体を構成する魔力だ、尋常な量ではない。
それだけの魔力を、魔術回路の支えによってどうにか生き伸びている状態のバゼットさんに負担させるくらいなら、細く、長く、存在しているほうが賢明らしい。
「そうすると、ランサーは着替えなくちゃいけないだろうけど…………はぁ」
 溜息をついて、目を覆う。
この惨状に目も当てられないからだ。
「うっし、これでいいだろ」
 バゼットさんの荷物を漁ってたランサーが立ち上がる。
身に着けたYシャツのボタン上二つをあけ着崩し、腰の辺りまでしか届かないスーツのズボンを履き、シャツを中途半端に仕舞い込んだ姿のランサー。
どっからどう見ても、ただのヤンキーだ。
「あぁ、うん。似合ってるよ、似合ってはいるよ?」
 あのヤンキースタイルを見て、だれがケルトの大英雄だと気づくだろう。いや、気づかないほうがいいのかもしれない。もし、俺がケルト人の末裔だったとして、夢物語にこの男の伝説を聞かされて眠る子ども時代を過ごしたとして、この男の、いまの姿をみたら百年の夢も直ぐに覚めるに違いない。
 それに、この部屋の有様もある。
いくら服が無いからとはいえ、この稀代の英雄様はこともあろうにバゼットさんの荷物をひっくり返えしたのだ!
辺りにはもう色々と散乱していて、これは見られたくないだろうというものがふんだんに散りばめられていた。主に、布とか、布とか、布とか……。
きっと洗濯するといった発想が無かったのだろう。一纏めにしてあった使用済みが、そりゃあもう気持ちいい位に散乱している。
そんな見られたくないものを、一番見られたくないであろう人間に漁られたのだ。
あの乙女バゼットさんがこの事を知ればどんな顔をするだろうか?
はぁ、想像しただけで欝になってくる。
「何してんだ?とっとと行くぞ」
 被害者の服を何食わぬ顔で着ている輩が、部屋の惨状をそのままに、窓から外へと飛び出していってしまった。
放置された部屋の惨状を見渡したあと、溜息を吐いて俺も窓から外へとでた。



 午前中に荷物を取りに来た部屋に、どんな巡りか、夜半の刻、再び戻ってきてしまった。
個室と公共を隔てるクラシックな扉を前に溜息をつき、志貴の中では未だSFの領域をでない未来的な機械に、紙の鍵を咥えさせる。
ガチャリ。赤いランプが緑に変わり、施錠が解除された音がなる。
鍵を回収し、しげしげと見るが、ホテルの名前とロゴが印刷されているだけのただの紙切れにしか見えない。周囲にアナログと評される人間だからなのだろうか?学生でありながら携帯電話を所持していない志貴にとっては、セキュリティーを司る基本的媒体が金属性のものでなく、紙であることに不安を感じるようであった。
志貴は自分にとって全くの埒外らちがいな扉をあけ、二つあるベッドのうち一つに腰掛ける。
 疲れた、精神的に凄く疲れた。
チェックインした時も、荷物を取りに戻ったときも、隣には朱い月がいたから良かったものの、いざ一人で……というか、ランサーと一緒にホテルの正面自動ドアをくぐる時は非常に気まずかった。何しろ学生服姿と、ヤンキー風貌な外国のお兄さんだ。場違いも甚だしい。
 そりゃ、学生服とお姫様も十分に場違いだろうが、庶民の視線の大半はお姫様に注がれていたみたいだからその時は全く意識しなかった。
それがどうだろう?お姫様がヤンキーに取って代わっただけで周囲の視線は侮蔑と値踏みの容赦ないものに変わったのだ。確かに盆や暮れの休みじゃ無いんだ、今このホテルに泊まっている人間はビジネスホテルの利用を敬遠するような上流意識の凝った人間なのだろう。
だからあんな眼ができるのだ。
あの蔑むような視線が…
「ん、どうした?連絡を付けるんだろ」
 厭な思考に陥っていると、突如上から声がかかる。
顔を上げる、ランサーだ。冷蔵庫に常備されていたであろう缶を空けグビグビと豪快に喉を鳴らしている。上げていた視線を後ろの方へと向ければ既に空き缶が無造作に二本転がっている。
「いやぁ〜たまらねぇな。酒が飲み放題に寝床はふかふかときてやがる」
 あの缶はお酒だったのか…。志貴が何故か納得していると、ランサーは手に持った物を飲み終えたのか床に捨て、冷蔵庫から新しく酒を取り出そうとしている。
「ん?お前ぇも飲むか」
 割と本気に問いかけてくるランサー。その姿に志貴は小さく吹き出し、やがて笑い出す。
マスター不在の状況で、敵とも味方とも付かない俺と一緒にいるのに、酒だそうだ。
その物言い、こいつは紛れもなく歴史に名を刻む稀代の大英雄様だ。
可笑しくて、可笑しくて。先ほどまでの妙な気分は吹き飛んでいた。
「うん。そうだね、一杯だけもらうよ。連絡してからになるけど」
 受話器を取り上げ、空で打てる数少ない番号をプッシュする。
その様子に「そうかい…」と、察したような表情を残して変わった銘柄のビールを漁りだす。
 ほんと、どうかしている。
この街にきてからどうも変だ。情緒が不安定というか、感情がコントロールできないというか……
耳元では電子音が一回、二回と響く
どうしてだろ?何故自分は……
別のホテルでの出来事が鮮明にフラッシュバックする
猛獣に喰われたホテル・・・・・・・・・・の様子が……
 どうしてだろう?
何故自分は此処に存在する人間を■■したいと思ったのだろう?







第10話へ