聖者の血を杯に
第8話








「容態は、だいじょうぶ?」
「慰め程度の止血はした……が、治癒治療には疎い」
 見れば、バゼットの外傷は二つ。切り落とされた腕と、切り付けられた背中。
特に腕からの出血が酷い。腕一本丸々落とされているのだ、動脈がどうだのと騒いでる暇もない。適当な布切れを拾い、脇の下から肩にかけて折らんばかりの力で締め上げる。
「ッ〜〜〜〜〜!」
 よかった、意識はあるみたいだ。
「次は背中を……」
 七ッ夜でバゼットさんの服を裂き、怪我の具合を確かめる。
「……これじゃぁ」
 想像以上に酷い。肩から背中に掛けてざっくりやられてる。
「助けたいのなら、吸血鬼化も一つの手段だ」
「わかってる。わかってるから、」
 やめてくれ。
朱い月の冷淡な、事もなさげな口調が疎ましい
あぁ、わかってるから、わかっているから、言わないでくれ。
これ以上、吸血鬼は見たくないんだ!…もう、あんな……
「……ッ!」
 考えろ、考えるんだ。
これだけの傷だ、止血するより、縫い合わせたほうが早いかもしれない。
その上で然るべき治療施設に連れて行けば。
馬鹿な!事情をどう説明するんだ、一般人に。いや、そんなものはどうとでもなる。では連絡は、連絡方法はどうする?この建物に電話はないぞ……くそ、携帯だって持っていない。いいや、考えるな。考えてる暇があったら手を動かせ、二つのことを同時に出来るほど器用じゃないだろ俺は、治療だ、出来る限りの治療を。



「手前ぇらああああああ!!!!!!!!!」
 扉を開けたランサーが槍を構えて突っ込んでくる。
「かまっている暇はない!!」
 叫ぶと、朱い月がランサーを力ずくで組み伏せていた。
「糞、手前ぇら!バゼットを」
「五月蝿い!かまっている暇はないんだ、少し黙ってろ!」
 治療を、治療を、治療しなくちゃ
「……いや、待て。ランサー!手当て出来ないか?いや、違う。違う。ランサーを離して。よし、あぁもぅ!槍を構えないでくれ。そんな暇があるならバゼットさんの手当てをしろ……あぁ分かった、退く、退くから!」
 血まみれのバゼットさんの下から退き、数歩下がると飛び掛るようにランサーはバゼットさんに駆け寄った。
魔術の心得があるのか、ランサーは流れてしまったバゼットさんの血で周囲に何事か、文字を書いていく。
「……ふぅ」
 その様子を離れてみて、ようやく自分がいかに動転していたかに気づく。
冷静に処置できていたのは腕のみだ。背中の傷は処置は素人作業もいいとこだ。
ぬらり、と塗れた両手を見てみる。
なるほど、血塗れのバゼットさんに、両手血塗れの俺。ランサーがどんな勘違いをしたかは、容易に想像が付く。
なのに、ああやってランサーが懸命にバゼットさんの治療をしてくれている、自分の勘違いに気づいたからだ。
ランサーが朱い月に組み伏せられた時点で、俺達がバゼットさんを殺すつもりだったのなら、ランサーを殺して、とどめを刺している。
侵入者のように令呪が目的なら直ぐにでもランサーを使役している。
……まったく、頭の回転がお早いことで、


「どう、大丈夫そう?」
 ひとまずの治療を終えたのか、肩で息をしながら座り込んでるランサーに話しかける。
「ん、あぁ、ひとまずな。止血して、癒しのルーンを掛けて眠らせてるからな当分はもつ」
「あぁ、よかった」
 ふうっと、溜めていた息を吹き出す。
どうして人間ってのは緊張すると息が詰まるんだろうか、まったく。
「で、誰がバゼットをこんな目に合わせやがった」
 グルルっとまるで牙を剥いた猟犬のようにランサーの顔が獰猛なものへと変わる。
「男が一人、単独犯だったんだけど……その前に、聞きたいことがある」
「ん、あぁなんだ?」
 話の腰を折ってしまったせいか、獰猛な顔つきから、普段目にする顔へと戻ってしまった。
「バゼットさんは今までに令呪を使ったことはある?」
「ないはずだが…」
「はず?バゼットさんの令呪、元の形は知らないけど多分一画減ってる。」
「っ、バゼットを殺った奴だ。そいつが令呪使ってなに命令したかわからねえが、俺のマスター権が酷く曖昧になってやがる」
「やっぱり」
 命令していたか。あの時、令呪が光ったことは覚えているのだけれど、どんな命令をしたのかは覚えていなかった。と、いうより戦闘の記憶自体酷く曖昧なのだ。
本当にあの時自分が戦っていたのか確証がもてない。
「命令内容はこうだ、」話を一歩引いて眺めていた朱い月が割り込んでくる。


『―――主変えに賛同しろ―――』


 その言葉のフレーズに確かに既視感デジャヴュを覚える。
過去に確かに聞いたはずの言葉並びと発音。過去から今へと頭の中身を引っ張られる奇妙な感覚。
そう、十分と経過していない出来事を俺は既視感として捉えている。
「う、……っあ」
 足がぐらつく、地面が崩壊する。
頭の中身を湯煎にかけるみたいにゆっくり、ゆっくり溶かされ回される。
「……シキ?」
 問いかけられる疑問/(who are you
椅子に縛り付けられ、眼球を固定され、自分とよく似た赤の他人の人生を映写機の壊れた映画館で鑑賞させられる不快感。
カタカタと嫌な音を発てて回り続けるコマ割のフィルム。
断片的にしか写さないくせに網膜をザックザックと抉るように見せ付ける/(who are you
網膜が灼かれる。
鼓膜が甲高い声を上げ続ける。
who are you / who are you / who are you / who are you
頭の中を蛆が這い回るような、呪詛の群れ。
余りの不快感。懸命に拭おうと手を出鱈目に動かすけど、不快は頭蓋の中、手が届くはずもない。(who are you / who are you / who are you / who are you who are you / who are you / who are you / who are you who are you / who are you / who are you / who are you
「シキ!?シキ!」
「ぐっぅ、ううぅ」
 記憶にない世界がグルグルと回る。
ザック、ザック、ザック、ザック、ザック、ザック
知らない、世界。誰かの視点。
自分はここなのに、脳内に写る世界は別のモノ。
目まぐるしく、移り変わる視界。
それは比喩抽象でもなく、目まぐるしい世界。
「あ、あああああああああああああ!!」
 本当に目まぐるしい。
くるくるくるくる、グルグルグルグル、ぐルクるくルグる
あぁ、頭があふれそ……
「私を視るんだ」
 あ、あぁ
よろめく体を支えられ顔を覗き込むように、瞳の奥を覗いてくる。
「私の眼をみるんだ」
 朱い月の眼。揺れていて、愁いを帯びた極彩色の瞳。
「あっ、あああああああああ」
 すがり付く。
朱い月の腕をめ一杯掴み、腕の中で大声で泣き出す。
「うぁあああああ、あああああああああああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」
 秋葉が死んだ。翡翠が死んだ。琥珀さんが殺されて、先輩が吸血鬼に殺されていた。
人がたくさん死んでいた。大切な、とても大切な人たちが、みんな死んでいた。
シオンがレンが、有彦が晶ちゃんが皆が皆等しく死んでいた。
目まぐるしく変わる世界。見せ付けられる世界。
等しく、等しく
悲しく、絶望的な世界で
■■■■■■・ブリュンスタッドが死んでいた。


「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛、うあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」
 壊れてしまう。今目の前の存在にすがりつかなければ俺の存在は容易く折れてしまう。
だから、めいっぱい声をあげ、悲しみに潰されぬように、朱い月にすがりついていた。




※  ※  ※  ※  ※  


 悪夢から覚めたのか、魅了の魔眼の力のためか、ようやく俺は泣くことを止めた。
今ではどうして泣いていたのかその理由すら不明だ。
だから先ほどまでの出来事は正しく夢だったのだろう。今の自分に一切の影響を与えることなくかすみのように消えてしまうだけの幻想。
跡に残ったのは精々シャツがべっとりとまとわり付く不快感と舌に残った鉄のような味だろうか……。
「ありがと、うん。もう大丈夫」
 言って立ち上がる。
落ち着いた心持ち、先ほどと比べるまでも無く自分は落ち着いてる。いや、達観しているというのか、これは。そう、まるで地獄から這い戻ってきたが故の境地。
「これ以上死人を出したくない。バゼットさんを治療できる場所に連れて行く」
「あ?どこだそりゃ。いっとくがこの町の病院は全て教会の息がかかってやがる。そんな場所にバゼットは連れて行けねぇぞ。本人だって望んじゃいねぇはずだ」
「わかってるよ」
 聖杯戦争を行う上での審判員は教会の人間が担当する。聖杯戦争を総括するような力を有している訳ではないが、異形どうしが戦う上で無くてはならない役割を負っている。
つまり監視と隠蔽。
 何度となく行われてきた戦争を隠蔽するために、当然抱き込まなくてはならない公的機関が幾つか存在する。そして病院は抱き込まれている可能性のトップランカーで、抱き込まれていて当然の機関だ。ここを頼るのはバゼットさんの為にも避けてあげたい。
「もっと安全な場所がある。腕は確かで、実績も多分あると思う。何より身内だ」
 ランサーの表情が思案する表情を見せる。
恐らく、罠の可能性とバゼットさんへの配慮。
「そしてなにより、切断された腕を完全に接合する腕前を持っていると思うよ、ほんと完全にね」
「場所は?」
「三咲町、―――――――――俺の家だ」







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