聖者の血を杯に
第7話








 良くない予感はあった。
夕闇に急かされるように屋敷に向かったのは、確かな痛みがあったから。
バゼット・フラガ・マクレミッツは外来の魔術師。それも魔術協会が送り込んだ魔術師である。だから彼女には森の奥にある屋敷が与えられ、彼女はそこを拠点として使っていた。
 だがそれは、斡旋した側がバゼットの寝床を知っている事に他ならない。
思えば空き家だというのに、調度品は整えられ、ベットのシーツは新調されていた。
バゼットの言うところの電気、水道、ガスとやらは止まっていたが、不潔感は一切なかった。今になって思えば、斡旋者はあの場所を是が非でも使い続けて貰いたかったのだろう。
バゼットならこの程度の環境を整えてやれば、使うと予測立てしたのだろう。

――――迂闊だった。

「バゼット…死ぬんじゃねえぞ」
ラインがまた、ズキリと痛んだ


/Interlude


 聖杯戦争の監督者である『彼』が私を推挙してくれたのは嬉しかった。
協会内で下世話な疑惑や、下らない嫉妬の的にもなったりはしたが元々居場所の無い場所だ、どうでもよかった。
それより『彼』が私を冬木に招いてくれたことが嬉しかった。能力を評価されたことが嬉しかった。居場所の無い私を必要として、招いてくれたことが嬉しかったのだ。

 令呪が現れた時は胸が一杯になった。
『期待に応えられる』
無口で寡黙で、教会の人間。
数回しか会ったことは無いけど、数回も会うなんて奇妙な運命
そんな『彼』の期待に応えられる。彼が評価した通りの人間になれる

 召還したいサーヴァントは大英雄で、幼い頃から憧れていた『彼』だった。
術式と共に廻りだした魔法陣。緊張と共に呼び出した『彼』。
前日まで、召還したら掛ける第一声はどうしようとか懸命に考えていた私の思考は『彼』を前にした瞬間、緊張で固まってしまった。
用意した言葉。マスターの威厳を得る言葉。
色々な言葉が、一瞬にして遠いものへとなってしまった。
目の前に、あの『彼』が存在すことに私の胸は締め付けられたのだ。


『彼』に呼ばれ、『彼』を呼んで始まった聖杯戦争は……


/Interlude out



「は っは はっは  は っガ」
「理解できないといった顔だな。――――ふむ。令呪に選別されなかった私の替わりに召還を行なってくれたのだ。説明はしよう?」
 男は血塗れた女を見下ろしながら手の中の腕を・・掴んだまま感慨もなさげに、僅かの感情も挟まず職務のように話し出した。
「君には話していなかったが、私は過去、聖杯戦争に参加しているのだよ」
「は っは は は っ は は」
「聖杯まであと一歩の所まで勝ち進んだのだが、負けてしまってね」
「―――――づゥ!」
「此度こそはと考えていたのだが聖痕はあらわれずじまい……弟子には刻まれたたというのに…まったく。それでも君は十分に私の役に立ってくれたよバゼット。この様な言葉は嫌われると分かっているのだがね言わせてくれ『君には感謝している』」
「〜〜〜〜〜〜〜〜!!!」
「君が呼び出すサーヴァントは見当が付いていた。今後、ランサー・・・は私が有効的に使わせてもらうとしよう」
 腕をなくした女性は、死に瀕した命で、『今』理解してしまった。
未来に続くことのない今の時を、傷つかなかくてよかったことを、この世界に悔いを残すように傷つけられてしまった。


『裏切られた』、と。
 女性は涙していた。
裏切られた―――そして『彼』の手にある自分の腕だったものを見て、『彼』を裏切ってしまったことにまた涙した。
小さく、自分を抱きしめるように、悔しさで、悔しさで,女性は、裏切られてしまった少女は泣いていた。


『ハシバミの少年を裏切ってしまった…』




「名残惜しくはあるが君には退場していただこう。公けには動けないのでね、私は」
 振り上げられた剣をただ悔しさで睨み上げる事しかできなくて、それでも睨んでる目には涙が流れていて、そんな自分を鑑みると、何か、無様だなぁ、と。


振り下ろされる剣。
振るう彼は背信者を屠るよう無慈悲に無表情に、

「―――――ぁ、――ランサー」
「ヤメローーーーー!!」






剣は、







剣は。







弾かれた。



※  ※  ※  ※  ※  ※



 良くない予感はあった。
郊外の森。屋敷の近くに付くと、エンジンの切っていない巨大なバイクが止まっていた。
誰も尋ねることの無いこの場所で、用事を済ませたら直ぐにでも跨れるよう置かれたバイクはどこか変だった。

だって、この先の屋敷に用でもあるように映ったから。



「…………これ、持って。それからこの場所から今すぐ離れて、隠れる」
 ホテルから持ってきた手荷物と眼鏡を朱い月に渡す。
ナイフを抜き、気配を殺して目前の屋敷を睨みつける
どんな些細な気配、魔力の流れであろうとも一切見落とさぬように、木々の陰を歩きながら屋敷に向かう。
「……シキ」
「〜〜〜!!―――――なっ、何?」
気配を探りながら進んでいるのに朱い月の接近にまったく気づかなかったことに驚きつつ、小声で、何事かと尋ねる。
「サーヴァントなら五百メートル周囲にはいない。屋敷の中には人間が二人。一人はバゼットでもう一人が襲撃者。風に血の匂いが混ざっておる」
「!!」
的確に状況を説明してくれるお人。流石だ、呆れるしかない。
「急がないと」
うだうだ進むのは止めだ、バゼットさんが危ない。
木々の陰に隠れるのを止め、一気に直進する。
目標はランサーが叩き割った窓。
加速した勢いをそのままに、壁を蹴り上げ、垂直に上昇。
窓の淵にクルっと一回転しながら、タンっと降り立つ。
進入した先はむせ返る血の匂いと、舌に絡みつく鉄の味と
そして、剣を振り下ろす侵入者の影。


「ヤメローーーーー!!」

 届かない!!
経験が告げると躯はナイフを弾丸のように打ち出していた。

ギン!

「何!」
 ナイフはバゼットにあたる直前の剣に命中。
予想外の衝撃に驚いた侵入者は剣を戻し、備える。
「失せろ」
窓枠を全力で蹴り、バゼットと進入者の間に割ると、勢いをそのまま大振りの蹴りに乗せる。

 ガード
両腕と剣を交差させた相手の防御の上を叩く形になった。
だがそれでいい。
いくら防いだといえ、あれだけの衝撃だ。当然吹き飛ばせる。
「ぬぅ」
壁際まで一気に後退した侵入者は驚いたように俺を見た。
「ナイフ!ランサーではないサーヴァントだと!?」
蹴りを見舞ったのと同時に落ちているナイフを回収し、構え、バゼットの前にたつ。
見ればバゼットは血まみれで、腕を無くしていた。
「ナイフを使う。三騎士ではない。召還に失敗していたか……」
「黙れ。クラスなんて関係ない、バゼットを傷つけた、バゼットの腕を奪った。貴様は死ね」
腕を振り上げ駆け出す。
「ック!」
反応し切れない侵入者が苦し紛れに剣を投げる。
事も無い一撃。首を捻るだけで避せる。
避ける剣。
だが、剣は後で倒れているバゼットに向かう。
踏み込んだ躯。振り上げた腕。加速のついてしまった俺の肉体は停止をしらない。
一度加速の付いた者を止めることなどできない。


 マスターが死ねば、サーヴァントは現界できない。
すぐに世界との接点を絶たれることはないが、緩やかに消滅する。
その事実は、サーヴァントの足は止めることはできなくとも、動揺させることはできる。


「鳴呼、まったく」
 俺の首元を通り過ぎる剣。バゼットに向かう剣。死に呈のバゼット。
彼女に避わす術はなく、剣を防ぐ救いの手も彼女には存在しない。


 ……それでも、この漏れるため息は

「見苦しい」
 わずかな苛立ちをもって剣を叩き落す。
「な、」
侵入者が驚愕に染まる。
サーヴァントを狙うように投げた黒鍵。
その実、サーヴァントが回避する事を見越してのマスターへの一撃。
その狡猾なる熟練の一手を、この正体不明のサーヴァントは只の体術で地に貶めたのだ。



※  ※  ※  ※  ※  ※



 ありえない!
仰天する思考をどうにか落ち着けたかったが、無理だ。思考が切り替わらない
十年前の戦争で様々なサーヴァントと相まみえ、戦い抜いた自分がこうも驚嘆するほどに、このサーヴァントは異質な動きをみせたのだ。

 己を殺そうと迫ってきたサーヴァントは、放たれた黒鍵の真の狙いに気づくと、後方へと宙返り、滞空の間に奔る黒鍵を叩き落した。
これはあり得ないことだ。
肉を受け、世界を舞台として戦う以上、霊的存在であるサーヴァントも世界に規定された法則に縛られる。その戒めから逸脱したいのであれば、魔術・宝具といった物理法則に取って代わる論理ロジックを打ち立てなければならない。
それがサーヴァントの異常性であり、魔術師の異質さでもある。
では、このサーヴァントは?
一切の魔術論理も、宝具の巻き起こす超常の現象も、その一切を行使せず容易く世界の楔から逸脱するこのサーヴァントは?


『このサーヴァントは何者だ』




※  ※  ※  ※  ※  ※




 バゼットの近くに降りる。
すると再び開いてしまった距離を好機と見たのか、侵入者は一目散に窓から外へと飛び降りた。その様子にさしたる危惧もなく、彼、遠野志貴は小さく頭を振って溜息混じりに侵入者の後を追う。
足元に転がったモノに一瞥をくれることも無く



 一刻も早く侵入者を追いたかったのだ。負け犬など放って、侵入者を速やかに殺しにいきたかった。それでも、叫ぶといった手間を食ってしまったことに軽く舌打ちしながら侵入者を追う。

 窓から飛び出し、駆け出そうと力を込めた途端に予想外。
そこには腕を持ったまま逃げることなく立つ侵入者の姿があった。

「潔いのか?」
「やれやれ、不意を打たれるとどうもいかん。己が手の内をつい忘れてしまう」
 ニヤリと能面のような張り付いた笑顔で、愉快そうに笑う侵入者……気味が悪い。
常に人を嘲ることで己が存在を確立し、優位的立場から足掻く愚者を冷笑する人間だ。
そして、その顔を隠すことなく俺に向ける。
「そうか、そうか、死にたいのか」
武器を携えたこの吾に、たかが人間が牙を剥くでもなく、嘲笑を向ける。
「いいだろう、その身体無様にちぎれて死ね」

 左足を前に、右足を後ろ。
肉は折るように折り曲げ、地べたと平行を描く。
構えたナイフを後方へ、竹が如く、弓が如く、腕をしならせ、躰を張る。
さぁ、バラす準備は整った。

 後は……


「―――主変えに賛同しろ―――」


「む……」
 侵入者の手の中の手・・・・・が、確かな力を持って起動する。
それは輝き、サーヴァントを律する絶対命令権の光。

「く、っくく。」
 無表情に、だが愉快そうに口元を歪めながら無防備に近づいてくる。
そして正面に立ったそいつは……「さて、二つ目の令呪だ……が!!
「返して貰うぞ」
逆手に握った七ッ夜を奔らせ(線を)左腕を叩き落とす。

 正直、失望していた。
聖杯戦争に関わろうとする気狂いが、どんな手の内を持っているか興味があった。
戦争に参加する以上奥の手の一つや二つ持っていて当然だ。なければ参加する資格なぞない、早々に去るべきだ。だから先手をわざわざ待ったと言うのに、あぁ、まったく……。
こんなモノに頼るだなんて……失望の極みだ!!

「っつ!!」
 侵入者は斬られてからの反応は早かった。
間合いを一気に離し、残された右手で服の中に仕込んだモノを投げてくる。
隙に背を向け逃げ出し、止めてあるバイクまで一気に駆け出す。
なるほど、この一連の行動は無駄が無く好印象なのだが、生憎と先ほどの失望が余りに大きかった為、血が騒がない。

「死体をバラすか」
 気だるげな身体を動かしながら、(−飛来物をかわす−)侵入者を追う。
あぁ、遅い。なんて遅い奴なんだ。
兎のほうがまだ走り方を知っている。亀のほうがまだ走る気概を知っている。
なんて無様な走り
腕が一本ないからって、そんな出鱈目な動かし方じゃ……ほら、追いつく。

 気だるい腕を振り上げて、
刃を侵入者の脊髄に向けて振り降ろすな・・・・・・!!!

 迫る危機に大きく右に跳ぶ。/ガスガス

 見えない!感覚に任せて大きく後ろに跳躍/ガスガスガスガス

 なんだ!なんだ!!何なんだ!!!いったい何が!
心臓に直接訴えかける圧倒的な威圧感。
感じるがままに逃れようと、
全力で後方へ飛ぶ・・   /  ガスガスガスガスガスガスガスガスガスガスガスガスガスガスガスガスガスガスガスガスガスガスガスガスガスガスガスガスガスガスガスガスガスガスガスガスガス

「痛っつつあー」

 転がるように着地してから、何事かと見回す。
そこには乱立する剣の群れがあった。
周囲を警戒するよう見回し気配を探っても、あの圧倒的な威圧感は消えていた。
残された剣の山、それに触れようと手を伸ばすと、すぅっと霧のように消えてしまった。



「…………なるほど、奥の手か」







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