聖者の血を杯に
第6話








「はい、じゃこれに着替えて」
 真っ白なYシャツを差し出す。
バゼットさんから貸し出されたそれは、使っていないのか肩や腕の部分がキッチリ糊づけされ、皺なんて微塵も浮かんでいない、新品よりも清潔なシャツだった。
しかし皺一つ無いシャツとは裏腹に、朱い月の機嫌は波打っていた。
シャツを受け取る仕草は不機嫌で、瞳もそれに准じて似たような色をしていた。

「出て行け」
「はい?」
「着衣を変える。出て行け」
「―――――――はい」
 ここは和やかな会話をと思ったのだが、睨まれてしまったので何も言えず、そそくさと部屋をでていく。
「さっきは調子に乗りすぎたかな。反応が冷たいし、これは踏んだか?」
 もちろん朱い月の地雷をだ。

 朱い月は身内、顔見知り程度の関係性があれば危害を加えるようなことはしない。
だが他者、詰まるところの、道行く面識無き人達に対して朱い月は無類の冷たさを誇る。
もう容赦が無いのだ。徹底的ではないが完膚なきまでに、といったところだろうか?
とにかく、俺に対する今の対応は、道行く人その一歩手前だ。

「しかし、何がいけなかったんだ?」
 記憶と考えを巡らすがさっぱり分からない。
朱い月が今のような態度に出るのは非常に稀なのだ。だから情報が少ない。
「ま、考えてもしょうがないし、明るく楽しく元気に行きますか!」
無意味に拳をかざし決意表明。

「何を騒いでおるのだ、まったく」
 後ろには着替え終わった朱い月。
「えっと、もしかして見てた?」
「明るく楽しく元気にと叫んでいたことか?」
 うっわー見られてたよ。決意表明の部分丸々。
結構恥ずかしいです。
「何をしておる、早く出かけるぞ」
 壁に額を押し当て落ち込んだままの俺を置いて、さっさと一人で行ってしまう。
「待って、まって」
 情けない声を出しながら、玄関抜け外へとでて行ってしまった朱い月を追う。
ランサーに夕方には帰る旨を伝えてあるのでバゼットさんにはこれでいいだろう。

 駆け足で朱い月を追う。
朱い月が一人で黙々と歩く時の歩調は早い。
それこそ競歩程度のスピードでは歩いても追いつけないほどなのだ。
だから駆け足。歩くでは遅く、走るでは大袈裟。  
競歩では後一歩足りないんだよな、なーんて分析しながら朱い月の隣に並ぶ。

 すると彼女は歩調を緩めてくれるのだ。
別に俺の息が上がってるわけではない。
だけど、ゆっくりと歩いてくれる。
何も言わず、黙って黙々と歩きながらもスピードだけは緩めてくれる。
そんな気遣い。
不機嫌な時でさえ気を回してくれる優しさを彼女は持ち合わせているのだ。
それを世界中の人たちに知っていてほしい。
真祖として畏怖を受けるのでなく、優しい一人の女性なんだと知ってもらいたい。

「まずは服を買いに行こう、それからホテルで荷物の回収。問題無い?」
「異論は無い。だが店の当てはあるのか?」
 考えてなかった、どうしよう。
見知らぬ町で洋服専門店を探すのは手間だ。
そうなると候補は大型デパート、そこに組み込まれた洋服店がいいだろう。

「とりあえず駅前、そこからなら簡単に見つかるよ」
「では急ぐぞ」
 あぁ、また歩調が早くなった
やっぱり何かが尾を引いてるな、こりゃ。
愚鈍と評される頭脳を駆使する。
うん、やっぱり分からん。どうやら女性の扱いに俺は不慣れらしい。

 こうして前途で多難なデートが始まった。



※  ※  ※  ※  ※  ※



「理解できん。なぜこのような動き難い物を纏わねばならん」
 それはね朱い月。店員さんの趣味だからだよ、


 時間にして約十分ほど前に婦人服売り場に着いた。そこまではいい、問題無い。
問題はここからだ。

 装飾品から洋服、靴に至るまで自身の姿に無頓着な朱い月は服を選ぶ術を持たない。
だから「シキ、貴様が選べ」と言われたところで、俺には女性の服を選んであげられる程のセンスは所持していない。
当然、洋服選びは店員さんお任せコースになってしまう。

 ここまでは許容範囲、許容が出来る範囲内なのだ。
ここからが完全に問題だった。

 長く、人目を惹く綺麗な金髪。
その髪の持ち主がこれまた黄金比もひれ伏すプロポーションを所持し、容姿は絶世を十重ねてもお釣りがくるほどの美女だったらいやでも視線を集める。

 簡単に言えば目をつけられていたのだ。
朱い月が婦人服売り場に足を運んだその時から、

「すみません、彼女の服を見繕ってもらえませんか?」
 一人の女性定員にそう声をかけたのが失敗だった。
瞬間、売り場にいたすべての定員が集合し、まったく同じ言葉を唱えていた。
「「「「はい!お任せください。」」」」

 それからは悲惨だった。

 次々と繰り出されるお勧め商品。
それを淡々と着こなし文句を仰る着せ替えDole
別の階で営業していた写真館の人まで駆けつけての大騒ぎとなった。

「商品並び替えの為、婦人服売り場はただいまの時間の営業を停止しております」とアナウンスが流し、シャッターを降ろしてくれたのがこの店唯一の善意だった。



※  ※  ※  ※  ※  ※



「シッキム紅茶」
「あ、俺コーヒーをブラックで」
 かしこまりましたと注文をうけたウェイターが下がる。

 足を休めたくて喫茶店に朱い月を誘った。
そうすると、「ならばあの店がよい」と言われたので、この店で腰を落ち着けている。
鴇羽色を基調とした店内は、柔らかい雰囲気で出来ており、静かに語りあう様な場所だった。

 結局デパートは、いつもの服に似通った白いセーターを購入することで落ち着いた。
代わり栄えはしてないが、それでもそれなりの値は張ったので着心地は上場らしい。

「足とか疲れなかった?」
「特に疲労は感じん」
 やっぱりか、どうして女性は洋服を買うのに疲労しないのだろう?
どうして付き合う男は疲労してしまうのだろう?
永遠の謎だ。
「大変だったね、服を選ぶってだけなのに。いつもああなの?」
「いや、服を買ったのはあれが始めての経験だ」
「じゃあ今まで洋服とかどうしてたの」
「琥珀が用意をしてくれた。いつも妾の要望通りの物を揃えてくれるのだ、あのような侍女を召抱えているお前は果報者よ」
 別に俺個人で雇っている訳ではないし、朱い月が要望した服を揃えるのは彼女にとっては容易なことだろう。
「ちなみに琥珀さんにはなんて頼むの?」
「動きやすさを重視してくれと頼んだ」
うん、絶対楽だ。


「失礼します、シッキムティーとコーヒーブラックお持ちしました」
「あ、はい」
 それぞれの手元におかれる
「それではごゆっくり」

「ねえ……、ランサーの真名ってなんだと思う?」
 ソーサーに口を付けながら問う。
いくら協力関係にあるとはいえ、サーヴァントの真名を聞くのはためらいがある。
向こうにも、隠し通したいことは山とあることだろう。それに、間違って聞いてしまえばこちらも名乗らなくてはいけなくなる。この眼のことも含めて……
だから朱い月に問うのだ、サーヴァントの正体を一目・・で看破する彼女に。

「あれの名はクーフーリン」
「クーフーリン?」
 誰だろう?初めて聞く名前だけど……。
「知らないのか?」
「恥ずかしながら」
 自分のがくの無さに少々恥じるものがある。

「北欧に伝わる伝承にケルト神話なるものがある。その英雄譚サーガに登場する英雄がクーフーリンだ」
「……もしかしてけっこう有名なの?ランサーって」
「大英雄と評しても大げさではないのだろうな」
「へー」
 これでも武勇関連の歴史には強いと思っていたんだが、なるほど世界は広い。
それに、思えばあの槍捌き尋常ではなかった。
くるくると手先、指先で踊る紅い槍。
突き出す槍の一撃は恐ろしく伸び、戻りも早い。『薙ぎ』と『掬い』の攻撃も俊敏で、信じられないほどの力が込められていた。きっとコンクリートを容易く打ち砕く程のだけの力が。

「あれと組めたのは僥倖だった。サーヴァントとしての性能、存在としてのクーフーリン。総てを鑑みてもシキ、お主は絶対にアレには勝てぬ」
「…………」
「精々利用しろ。消すなら背中から一撃で、舞台に上がれば勝ち目はないぞ」
「……裏切れって?」
 悲しく言い返す。
「先の話だ、シキが決めればよい」
視線を伏せ一口、紅茶に口付けた朱い月はそのまま眼を閉じて黙ってしまった。
「―――――」
 判ってはいる。
それが正しい判断だってことも、朱い月が心配してくれていることも。
俺が弱いってことも……。

 相手は英雄なのだ。
俺には魔眼があるし、七夜の戦闘技術も多少備わっている。
けれど相手は英雄なのだ。
ただの学生が勝てる相手じゃない。

 元々、朱い月は聖杯戦争に興味をしめさなかった。
宝石の爺さんに従う形も気に食わないと言っていた。
だから、俺が一言。「帰ろう」と口にすれば、俺と朱い月の聖杯戦争は終わる。今すぐにでも……。
だけど、俺には戦う理由があるし、朱い月も渋々ながら戦う目的を見つけてくれた。
歴史に名を残す英雄達と戦うなんてまるで正気じゃないが、それに見合うものが得られると信じている。

「戻ろう。あまり街中にいるのは良くない」
 見れば外は夕焼けで、魔術師たちが動き出す時間が始まる。
「戻ろう。バゼットさんのところに」
「…………ふん」







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