聖者の血を杯に
  第5話








 ひとしきりの事態を収拾した後、皆で朝食をとることになり、バゼットさんが「私が用意します」と宣言したので、皆で用意された食事を摂ろうということになった。
踵を返し、奥のキッチンへと消えてくバゼットさん。
その後姿を見送るランサーが、諦めたような表情を浮かべているのに俺は戦慄を覚えた。
そう、あの表情は、長い間凄惨自らの舌で味い、耐えてきた猛者の表情だ。

 その表情、それが意味するものとは?その答えを俺は必死で考えた。
そして導き出された一つの回答。
それはこのテーブルに並ぶ料理の危険性を示唆したものではないかと。
 バゼットさんの発言、行動、仕草、を考慮すると導き出されるバゼット女史の性格は、『大雑把、短気、少女』以上の性格から考え出されるバゼット女史の家事スキルは、絶望的だ。
性格の一つに少女が混ざってはいるものの、それは内層心理の奥深くに埋没しており、表層部は鉄壁の仮面に覆われている為、バゼットさんの行動には全く影響を与えず、慰めにもならない。

 そんな性格の彼女が、火も水も満足に使えないこの場所で朝食を用意するのは、無謀を通り越して絶望だ。
そう結論付けた途端、俺の七つの大禁戒の一つ、『Remenber梅サンド』がギャーギャーと警報を鳴らし出したのである。
 蘇る恐怖、その名は『梅サンド』
地獄の池よりも赤く染め上がった食パンを前に、体が拒絶反応を起こす。
しかし横を向けばそこには翡翠の期待に満ちた目。
……いや、これ以上はよそう。心の傷が広がる。
自身の心の平穏を死守するため急遽思考を停止させる。
しかし刻まれた、そう最早原始の恐怖に匹敵する暗い影がヒタヒタと迫ってくるような気がしてならない。
 心の奥で警告音が鳴り響く。「これは地獄開幕か?」と全身が緊張し始め、席につき朝食を待つ俺は、表面上は這い寄る混沌に気づかない振りをし、平静を装っていた。
しかし、内心は恐怖に渦巻いており、それはもう断頭台で刃が落ちる未来に必死に耐える罪人の様に、ガタガタと震えていた。


 ゴトリ、そんな音を起て俺の前に置かれたのは、処刑執行の刃物でもなんでもなく、高級レストランで使用されていそうな純銀製のナイフとフォーク、百円ショップで売ってそうな缶切、そしてメインディシュの鯖の缶詰だった…………何故だ、悲しくなった。
 そう、俺は一拍子おいて、事実を確認した瞬間、俺は深い悲しみに陥ったのだ。
缶詰に対し震えてた自分に、うまくリアクションをとれなかった自分に、そして「あぁ鯖かー」と安心してしまった自分に……。

 ランサーは既に諦めの境地に達しているのか、缶詰めをギコギコと開け始め、朱い月にいたっては缶詰めを開けたこともないのか、唯々缶と見詰め合うばかりだった。
深いショックから立ち直った俺は、隣に座る困惑した御方に開け方を教えてやろうと思った途端、
朱い月が不思議そうに聞いてきた。

「シキ?私は鉄など摂取しないのだが」
俺だって、鉄なんか食べないよ……。



 俺は缶詰が人間の食べ物であることと、空け方を朱い月に伝授し一息つく。
それでも目の前にある、鯖の缶詰を開ける気にはなれず、ほかの事をぼんやりと思案していた。
一人にあてがわれた缶詰は二つ、朱い月は俺が開けてやった缶を既に食べ終えたのか、新たな缶をギコギコやってる。
その微笑ましい光景を意識におきながらこれからの予定を反芻していた。
 荷物に洋服、それと町の哨戒と並べてみると予定はかなり詰まっている。それにホテルに向かうにしても朱い月の胸元には穴があいたままだ。
代用品を考え、『俺のTシャツはどうだ』と思ったが駄目だこれもホテルに置いてある。

「どうしようかな、ほんと」
「何か問題でもありましたか?」
「あ、いえ、なんでもないですよ」

 思わずいき詰まった思考が口から漏れてしまい、それを敏感に感じ取ったバゼットさんの気遣いを慌てて断っておく。
バゼットさんは、「そうですか」と何事もなかったかのように自分の缶詰へ向き直り食事を再開しだす。
 悪いことしちゃったかなー、思考にバゼットさんの事が混ざりだす。
そして浮かんだ一つの妙案。いける!!

「嘘です、何でもあります」
「はい?」
 自分が考えたとは思えない妙案に興奮して、おかしな文法を使ってしまう。

「バゼットさん!」
「は、はい」
 正面に座るバゼットさんに、乗り出すように懇願する。
「バゼットさんの服を俺に下さい!!」
「は?」
「できればシャツとか貰えればベストです!」
バキッ!!

 果たして何の音だろう?こう、横合いから缶詰のような硬いもので頭を殴られ、勢いで首の骨が悲鳴を上げたような音だったが?
思考をまとめようと努力している途中で、俺は壁に叩き付けられる。
「痛ってー」
 朱い月に対して抗議の声を上げる。
返答に高速で鯖缶が飛んでくる。メキッと壁にめり込んだそれは完全なる威嚇行為だ。(本気で投げたら壁を全て突破します)
素直に両手を上げて hold up をとる。
犬でいうなら腹見せてもう好きにして状態だ。

「シキ、貴様には何か特殊な癖があるのではないかと常々疑っておったのだが、まさか女の服を所望するとはな」
「まて待て、何の話!?落ち着こう、きっと大きな誤解がある」
 新たな缶詰による二射目が用意されている。

「貴様のことだ、バゼットの服、妾の及びもつかないことにつかうのであろうな」
「使いません、使いません、完全に誤解です。」
 首を全力で振っての否定の意も全く伝わらない。
それに俺には女性の服の活用法なぞ27通りしか思いつかない。

「とにかく、手に持った缶を放して!!誤解を解かせて!!」
 誤解を解けなければ、缶がめり込むのは壁ではなく俺の顔になるだろう。
「仕方ない、申し開きを聴こう?」
 何とか照準は外れた、しかし再び銃口が向けられる可能性が残っているので、安心はできない。
「えぇーと言い方が悪かった。俺はホテルに荷物を取りに行くのに朱い月の格好じゃ拙いから、バゼットさんの服を貸してもらえたらいいなーと思ったのですよ、はい」
 人間、興奮状態と妙な緊張状態になると言語が乱れるものなのです。

「そうか、ならよい」
 あっさりと信じてくれる。
別に驚くことじゃない。
朱い月は俺の言葉を全面的に信じてくれる。
俺も朱い月を裏切るような真似は絶対にしない。
ただそれだけの事だ。


「あーなんか首に変な違和感が残ってる」
 ゴキゴキっと首を回すが、違和感はまだ消えてくれそうにない。
「すまない、誤解してしまった」
「俺にも非があったからさ、気にしないでよ。確かに誤解を生むようなこと言ってた」
「そうか」

 これ以上の問答は俺たちの間には存在できない。ここで終わってしまうのだ。
「さて、そこで笑ってるランサー、バゼットさんを正気の世界に連れてきて」
 俺が缶詰でDEAD OR ALIVEを演じてる様を、ひとしきり笑ってくれやがりましたのだこの野郎。
バゼットさんは朱い月と同系列の勘違いをなさったようで、トリップしてしまったのだ。
「あーはいはいと、おいバゼット、起きろ」

 揺さぶられる振動に、ピクッと動いたと思ったら、一瞬にしてバゼットさんは再起動を完了した。
「わかりました、シャツを貸せばよいのですね」
「えぇそうです。お願いします」
 話が早くて大変助かる。これで全てが一件落着と落ち着きを取り戻すだろう。
「私も魔術協会に属する魔術師です。シャツの一枚や二枚、どのようなことに使用されようとも気にはしません」
 風向きが怪しい。
「使用済みですか?未使用ですか?」
 完全アウトである。

 聞きにくいことを、憧れの先輩に彼女がいるのか確かめるくらいに聞きにくいことを、勇気と勘違いを持って聞いてきた!!
使用、未使用。それは嗅ぐのですか?それとも着るのですか?と質問されるのに等しい。
どちらを選択しようとも、俺の特殊性癖疑惑は一気に加熱するのだろう。
正に修羅の道!!
再発、社会的DEAD OR DEADである。

「ランサー、部屋に戻るから誤解といてシャツ一枚持ってきて」
「なんで俺がそんなことしなけりゃいけないんだよ」
 もちろん俺が疲れてるからだ。

「自分のマスターだろ、それに朱い月の服に穴空けたのお前なんだからな、それくらいやっといてよ」
「わーったよ、あとで部屋に届ける」
「え、何がです?」
 責任の一端を担っているので何も言えないランサーと、何も理解していない人を残して部屋をでる。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 どっと疲れたよ、もう。
二度寝でもしようかな、でも朱い月が着替えたらすぐにでも出かけたいし。
思考をうろうろと巡らせながら、部屋に入る。
部屋を出るときに窓を開けて出たので、カーテンは揺れてベットには光が差している。
実に睡眠欲を誘う条件だよな。
グラリと、一気に傾いた思考と言う名の天秤に身を任せ、ベットに寝転ぶ。
気持ちいい、なんか幸せだよ。

「シキ」
 呼ばれた、名を呼ばれた。

「なにかな、マスター」

 ベットから上半身だけを起こし答える。

「寝るのにはまだ早いぞ」

 差し込む朝日は心地いい色を放ち、言葉を撫でやかなものにする。

「もしかして二度寝をしたことがない?」

「疲労が回復したのになぜ寝る必要がある」

 知らないのか、それはいけないことだ、この心地よさを味わったことがないなんて。

「一緒に寝てみれば分かるよ」

「そうなのか?」

「そうだよ」

 何も知らない小鳥に、空を飛べる可愛らしい小鳥に、風の心地よさを教えてあげたいと思ったように。

どこにでもある幸福だと感じれる事柄を、僕は朱い月に教えて“生きたい”。

音もなく静かに寝転ぶ麗しの君。

「これでよいのか?」

「目を瞑って」

 瞳に瞼が下りる。

「太陽の暖かさと、風の心地よさを味わうんだ」

「……よくわからん」

「そうか、わかんないか」

 一緒になって寝転ぶ。

マットを伝わる感触に下ろしていた瞼を上げる眠り姫。

多くの童話、神話に描かれてきた眠り姫はどんな夢を見ていたのだろう。

眠りから覚めた世界はどう映ったのだろう。

それは夢見に見た美しい景色だったのだろうか。

それは夢に劣る世界だったのだろうか。

でも、たとえどんな世界に目覚めたとしても、お姫様には沢山の祝福と幸福を僕は送りたい。

貴女に出会えてよかったと。

「シキ、御主は幸福なのか?」

 突然訊かれた。
多くの人が迷ってしまうその質問に僕は、

「人生がってこと?」

「それでかまわん、こたえよ」

 辿ったのは血が流れた道、色々と背負ってきた道だけど。
それでも

「幸せだよ」

 素直にこう口に出せる

「何かを感じられるのは幸せなことだと思うんだ」

「何か?」

「そう何かだよ」

「朱い月との間にさ、あやふやなんだけど、確かなものを。形はないけど、感じられるものを。言葉にするのはとても難しいけど、伝わる。
 そんなものを感じたときや、共有したとき、僕は堪らなく幸せになれるんだ」

 形は無い。
目に見えない、耳に聞こえない、鼻で嗅ぎ取れない、舌で味わえない、手に伝わらない。
およそ五感の全てで感じ取れない事柄だけど、それでも何かを明確に感じたときに、僕は幸福になれる。

「朱い月は幸せなの?」

「ふむ、考えたことなど無いな」

 ガイアに属する彼女は私情……ではない、自己と呼べるものが無かったのだろう。
月の王、その究極たる存在は、生まれた瞬間から究極であり、そこへ至る過程がごっそりと省かれてしまっている。
 幼少期には誰もが体感する段階、即ち、芽吹く意識、育つ自己、比べる対象。
それら全てが欠けてしまった月の王様には他者が理解できず、他者との比較によって育つ自己が、育つことは無かったのだろう。
そんな彼女に自意識の究極とも呼べる幸せなど、考える事などできるわけもないのだ。

 他者との協調性をもてない。それは生きていくには余りに不都合だ。
不都合、いや不備だ。
朱い月と同格の対象を用意しなかったことで起きた事態なら、それは不都合ではなく、不備と呼称できるだろう。

 過去に存在していた彼女は、まるで壊れかけの永久機関のように永遠と存在し続けるだけの生命だった。
なんて矛盾、なんて欺瞞。
世界、ガイアが求めた機能。ガイアが招いた王は一人孤独に生き続ける、そんな悲しい存在だった。

「だが、私はきっと幸せなのだろうよ」

 だから、ぽつりと漏らしたその答えは驚きだった。

「ほんと?」

 だから思わず聞き返してしまったのだろう。

「シキに幸せの定義があるように、妾にも定義はあるのだぞ」

 苦笑、その笑い慣れてない笑顔は可笑しいか?と聞いてきた。

「是非聞かせて」

 知りたくてしりたくて、直ぐに問いかけた。

「ふん、ヒミツだ」

 その微笑んだ答えに

「ひでぇー、教えてって」
「駄目だ」
「いいじゃんこっそり教えようよ」
「何だそれは、教えているではないか」
「駄目?」
「駄目」
「――――――――ぬぅーん。てりゃー」
「あ、こら何をする!」
「教えてくれるまでこのままだから」
「よ、よせ―――止さぬか」
「言うまで、だめー」
「妾は言わんぞ。決して言わんぞ」
「別にいいよこのままだから」
「なっ!―――――あ、ダメ――――よせ、止めろシキ」
「タッタラランっと」
「やめっ!―――――――――――――あう」








 僕は満足していた。

だからそっと祈るのだ。
貴女が笑顔でいられますように、だってこんなにも僕はその笑顔が好きなのだから。







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あとがき反転<ここから>
果たしてこの二人、聖杯戦争やる気があるのでしょうか?
あと、作者も
<ここまで>