聖者の血を杯に
  外伝








/1

 今日、朱い月に聞いてみたいことがあった。
それは夢での出来事、俺がミハエル・ロア・バルダムヨォンとしての意識を内包して彼女と邂逅し、語りの時を共有した時、ふと疑問に思ったこと。
それは俺の意識がロアに内包されていたのか、俺がロアの意識を抱していたのか、そんな主観によって導かれる哲学のような疑問ではなく、少々気になった事を問いたいと思っただけだ。

「さて、頃合かな」
 時間を見計らって座っていた噴水の縁から立ち上がり、手に持った缶コーヒーを傾け、全て飲み干す。
かれこれ一時間、冬の公園で頃合を待っていた体はすっかりと冷え切っていたが、缶コーヒーのおかげで体の芯まで冷えることはなかった。
そして一時間という時間は、あの時に感じた疑問を疑問点とするまで煮詰め、暖めることができた。

 空の缶を近くの屑カゴに放り込み、羽織ったパーカーのポケットに両手を突っ込みながら朱い月のマンションへと歩き出す。
朱い月が住むマンションは、彼女を尊ぶ一派が買い取り、朱い月以外の入居者は現在いない。そんな幽霊屋敷じみた建物だが、悪い噂は一つとしてたたない。
いや、たたないように配慮されている。入り口脇に置かれた郵便受けには、それぞれ架空の人名を張っているし、勧誘やセールスなどの人たちは無意識のうちにマンションを避けるようになっている。

もういっその事、屋敷でも建てたら?と提言したこともあったが、朱い月に「いらん、邪魔だ」と一蹴された。
まあ、物を持たない朱い月が部屋数を気にするとは思えないし、広いということはそれだけ管理維持が面倒とゆうことに繋がる。そうなると人を雇わなくちゃいけないんだろうけど、あの気まぐれなお人に、人を雇うなんてことができるとは思えない。


「――――ふぅ。」
白い息を吐いてみる。
いつのまにかマンションの入り口前まできていた。
「――――はぁ。」
今度は月に向けて嘆息の息を吐く。
俺が頃合だと断じたのは時間を計ってのものではない。あの煌々と輝く上弦の月、その位置をみて頃合だと思ったのだ。
「あぁ、今夜も月が綺麗だ」
朱い月と出会ってからの日々は特にそう想えるようになった。




/2

「ねえ、朱い月?」
「なんだ」
 読んでいた古めかしい本を、栞も挟まずにパタンと閉じ、顔をカーペットに座る俺に向ける。
「あーえっと、なに読んでるの?」
まさか本から顔をあげるとは思ってもみなかったから、変なことを聞いてしまった。
「金枝篇」
端的にそうタイトルを述べた朱い月は、持った本をひょいと投げてきた。
パシっと掴んだものの表紙を見てみれば『The Golden Bough』と書いてある。
「え、これってあの金枝篇?」
「他に金枝篇などあるまい」
呆れたような声をだす朱い月。
だけど今は、手の中にある本に対して感嘆の息をあげるので精一杯だ。
「えっと、読むと呪われるんだっけ、これ?」
右手で掴んだまま、あれやこれやと、色々と傾けて見てみる。
「何と勘違いしておる。それはただの本だ」
「呪い、ないの?」
「無い。それは魔具でもなければ呪いの本カースドブックでもない。人と機械が刷り上げた変哲なき本だ」
「なんだ、つまらない」
いっぺんに興味を削がれ、落胆する。
目の前のテーブルに本を置き、変わりに自分で淹れた紅茶のカップを手に取る。

 朱い月が今気に入っているのはアールグレイだ。
彼女の紅茶の好みは不定期に変わる。この前まではセイロンが好きだったし、その前はダージリンが良いと言っていた。
だが、朱い月は自分で紅茶を淹れることは決してしない。
その役目はいつも俺に回ってくる。
初めて紅茶を淹れた時は、葉の扱い方がよくわからず、まるで緑茶を淹れるような感覚で紅茶を作っていた。それをどこか渋そうに飲んでくれた朱い月に、このままではいけないと、琥珀さんに師事し、紅茶の淹れ方を教えてもらった。
覚えてからは、朱い月の渋い顔を見ることもなくなった。
それどころか夜中に「紅茶が飲みたい」と屋敷に電話をかけてきたこともあった。
あの時は、秋葉に散々言われながらもマンションにむかったものだ。




/3

「それで私に何用だ、志貴?」
寄りかかっていたベットから立ちあがった朱い月は、挑発的な目で俺の前に座りなおした。
「大したことじゃないんだけどね、」
その視線に頬を指で掻きながら答える。
「よい、言ってみよ」
「それじゃ、お言葉に甘えまして。
―――――――ねぇ

――――――世界、滅ぼさないの?」





/4

「誰の言葉だ?」
睨むように、そう、問われた。
「おぬしの言葉ではあるまい。誰のだ」
「ミハエル・ロア・バルダムヨォン」
彼女はつまらなそうな口調で、
「司祭か、」
そう吐き捨てた




/5

「ほう、我が無意識領域に入ったのか」
「うん。酷い目にあった」
 経緯を摘んで話すと、朱い月は感心したように目をしばたたかせた。
酷い目とは勿論十九・・分割のことだ。あれは夢の目覚めとしては最悪だった。
「なるほど、それで先の言葉か」
「そ、ちょっと気になってね」
ロアの言葉が真実ならば、かつて彼女は人類抹殺を目論んだことになる。
その成否は今の時代をみれば明らかなのだが、現代に降りた彼女が再び目的を遂げようとするのか、その意思があるかを聞きたかった。

「…………逆に問おう。志貴、どうすればヒトを世から抹殺できる?」
 不意だった。
色々と公園の噴水で、問答の想定はしていたのだけど……なるほど、聞かれれば中々に難しいことである。
「それは俺、個人の力で?」
「いや、我が力をつかってだ」
俺と朱い月、火力面で言えばダントツに抹殺の手数は増えるのだが、
「月落としは駄目なんだよね?」
「駄目だ」
ようやく朱い月が意図することが判った。
 つまりは、いかに人間だけ・・を殺すか、それを聞かれてるのだ。
例を挙げるなら、俺の最大能力は直死の魔眼、その死点であるのに対し、朱い月の最大能力は月落とし。これは、俺の能力を『対人・対単一存在』と枠にはめてやるならば、朱い月の能力は『対惑星』とカテゴライズされることを指している。
これでは余りにムラがありすぎる。自然に対する被害をどれだけ抑えるかそこが問題なのだ。

「そうすると、爪で裂いて回るとか、かな」
 朱い月なら、腕の一振りで百人はいけそうなものだが、
「無理だ。世界がどれだけ広いと思ってる」
駄目だった。
というか、よくよく考えれば随分とアホらしいことをいったものだと感心したくなる。
だってそうだろう?ボーリングのピンじゃないんだ、そうそう都合よく、人間が朱い月の前に並んでくれるはずが無い。精々、主要都市の壊滅程度だろう。
「だめかー、……じゃぁ、ありきたりだけど吸血鬼の倍々ゲームは?」
小説や漫画によくあるあれだ。吸血鬼が人間の血を吸い、吸われて吸血鬼になった人間が別の人間の血を吸うっていうあれ。
「教会が黙ってはおらんだろう、それに魔法使いもおる」
「あー、どうだろ駄目かな」
先輩や先生が出張ってくるなら成功しそうにないが、どこか間違えればうまくいくんじゃないかな?
「それにな、志貴。吸血鬼が公になれば、異端以外の人間も動くのだぞ?」
「アウトだな」
吸血鬼が蔓延し、存在が認められれば、人々は銃を取るだろう。
世界にはあらゆる兵器が蔓延しているのだ。細菌兵器しかり、劣化ウラン弾しかり。
某ジャスティス王朝なんか、浄化!!とかそんな名目で核を持ち出すだろうし……
「なんだ。朱い月は人類を滅ぼさないんじゃなくて、滅ぼせないんだ」
どこか安心したような声をだす。
だけど朱い月は微笑えまず、
「そうだったんだがな」
自虐的に……そうまるで過去の自分の失敗を悔いるように、苦笑した。




/6

「話が長くなる」
「いいよ、それくらい」
「志貴?私は長くなると言っているのだ」
「あー。はいはい」
 苦笑しながら立ち上がる。
気づけば朱い月のカップは空になっていた。
つまりは紅茶の代わりを所望しているのだ。朱い月が長く喋るというなら、口を潤す飲み物を用意するのは俺の役目であり、また当然のことでもある。
朱い月と俺のティーセットと回収し、台所で軽く洗う。
ポットのお湯を洗ったカップに半分くらいそれぞれ注ぎ、ティーポットにも注いでおく。
水はやかんで沸騰させるのだが、普通の水道水だとカルキ臭くなってしまうらしい(俺にはよくわかんない)ので沸騰してから三、四分経った、お湯を使うことにしている。
 ふと、台所から朱い月を見れば、彼女は読みかけの本を読んでいた。
その姿に微笑ましさを感じていると、お湯の準備が出来ていた。
カップとティーポットのお湯を捨て、カップはナプキンでよく拭く。
これは紅茶の淹れ方云々じゃなくて単純にマナーの問題だ。
あとは琥珀さんが選んでおいてくれた葉をポットにいれ、熱湯を注いでから、しばらく蒸らせば完了だ。




/7

「そうだった。ってのはどういうこと?」
「状況が変わったのだ」
紅茶を一口含んでから、朱い月は続けた。
「初期の頃は、ガイヤになるべく無傷であって欲しかった」
「ちょっと待って、そもそもどうして無傷じゃないといけなかったの?」
「保有する対象が傷んでいては駄目だ。」
「あ、そう」
なんとも、らしいお言葉だ。
「続けて」
話の腰を折ってしまったことを詫びるニュアンスを含めながら、続きを乞う。
「私がおぬしに殺され、甦り、蛇を殺し、しばらくしてからのことだ。情報の組みあげのため、アカシック・レコードを覗いたときに、私は世界の破滅を知った」
「ちょ、ちょっと待って。え、世界の破滅?どうしてわかるの?朱い月、未来はわからないって言ったじゃん。自分が読み取れるのは過去の出来事だけだって」
「そうだ、本来私に未来を読むことはできん。理由は話したな」
「う、うん」
そう、かつて『根源』の説明を受けたときに一緒に聞いた。




/interlude

「ねえ、根源って何?」
「ルドルフ・シュタイナーにでも聞け」
「誰だよ、それ」
「……ふう。一般論でよいか?」
「うんいいよ」

「根源。つまりはアカシック・レコードと呼ばれる位置存在だ」
「ふむふむ」
「ここには、森羅万象すべての事柄が記されておる」
「全てって、すべて?」
「全てだ」
「へぇ、凄いじゃん。先生ってたしか根源に辿り着いたんだよね」
「青崎のことか?」
「そう」
「奴の場合は道を辿ったのだったな」
「道?」
「根源へ至る方法は二種類ある。一つは青崎のように外に道を作りそこから至る場合と、私のように自らの内から到達する方法だ」
「朱い月って魔法使いだったの!」
「魔法は使えん。」
「じゃあどうして根源に?」
「何かを勘違いしておるな……」
「???」
「まぁ、よい。そうだな私の場合は特性だ」
「はぁ、特性……」
「特性だ。私の場合は初めから繋がっていた」
「ふぅん。俺も根源にいけるかな?」
「わからん、素養はあるようだがな」
「素養?」
「その眼は根源に繋がってるのだぞ?」
「うそ!!」
「嘘はいわぬ。…………ふむ、どうやらおぬしは内に根源を見つける者のようだな」
「へー。そういや、内と外の違いってなに?」
「――――ふぅ。外とは魔術や術式、果ては魔法にいたる奇跡を用いて根源へと至る方法だ。魔術師などはこの方法で至ろうとする」
「で、内から至るには?」
「理論的に言うならば、無意識を自覚し、失わず。その境地から無意識領域へアクセスする。といったとこか?そこが人の辿りつくアカシャの領域だ」
「へ?」
「理解はできぬよ、理解できるものならば誰も求めぬ。それに内より至るのは外より遥かに困難だ。引用するなら、駱駝らくだが針の穴を通るほどに……だ。人の身で至るのはまず不可能」
「へー、じゃぁ式って凄いんだ」
「シキ?」
「いや、なんでもない。戯言だよ」

「続けるぞ。根源とは言葉通り事象の根幹のことを指す。ここ……まぁ位置的概念が適用されるかはさておき、この場所にはあらゆる情報が記してある」
「はぁ、情報が」
「うむ。其処には過去に起こった全ての出来事、未来におこる全ての出来事、その一切が記してある。もしこれを読み解ける存在があるとするなら、それは全智ぜんちに等しい」
「じゃあ、朱い月にはこれから起こること、有り体にいえば未来予知が出来るの?」
「不可能だ」
「でも、晶ちゃんは未来予知ができるって……」
「あれは高い確率でおこる出来事を、無意識下に選別してみているに過ぎん。アカシックレコードを用いて未来を見るとすれば私は膨大な情報を飲み下さなくてはならんのだ」
「――――そうか、パラレルワールド」
「そう、過去を読むだけなら情報は少なくて済む。だが未来となると幾重にも分岐した未来を選別しなくてはならんのだ」
「ふーん」
「もう良いか?私はもう眠い、寝るぞ」
「うん、ありがと」


/interlude out




「現在、過去を幹とするなら、未来とは幾重にも枝分かれした世界樹の枝。その内から自らが歩む枝を選別し覗きみるのは不可能に近い」
人は希望ラプラスをパンドラに閉じ込めたままなのだ。未来は判らない
それは人を模した朱い月も同じなのだろう。
「だが一人、黙示録アポカリプスを読み解いた者がいた」
「十二信徒?」
「いや、――――アトラス院の創始者/ラプラスを飼い馴らす者」
「…………あぁ、なるほど」

シオン・エルトナム・アトラシア
彼女が所属する秘匿機関アトラス院。
その創始者は世界の破滅を防ぐため、アトラスを創立したと伝えられている。
ならば創始者は世界の破滅を……それこそ、ラプラスの魔のように未来を読み解いたのだろう。そして創始者は死んでいる。つまりは、
「朱い月はアトラス院の創始者、その情報を吸い上げたと」
「そうだ」
そこまで読んだのならあとは簡単だ。
推理小説を最後から読むように、犯人さえ判っているのなら経過を読む必要はない。
迷路をゴールから下るように、アポカリプスの地点から現代まで線を引けばいいだけなのだから。



「ガイアの破滅は人によって滅ぼされる。これは避けられないことだ」
「でも、今から人を殺せば間に合うんじゃ……」
「無理だ、私が眠ってる間に人間は増えすぎた。この身がヒトの敵として立てば、六十億分の無意識層、守護者と敵対することになる―――――――それに、志貴とは戦いたくないんだ」
そう言って、人類の抹殺を目論んだ人は悲しそうに呟いた



/an epilogue.




考えれば……そう、考えれば守護者がいくら束になってかかって来ようとも朱い月の敵じゃない。いくら人の無意識が束になろうと朱い月を越えることはできない

では何故、朱い月は世界の敵にならないのか?

決まってる。


朱い月が呟いた。


救世主メシア』が現れると、


彼女を完全に殺せる存在、


遠野志貴が救世主に祭り上げられると、



/ end







あとがき(新しいウィンドウが開きます)

誤字修正しました。
ルドルフ・シュナイター→ルドルフ・シュタイナー