聖者の血を杯に
  第4話





「いい加減目覚めぬか」
 ガスっと唐突に、何の前触れも無く、いきなり叩きつけられる。
 衝撃に意識が一気に覚醒させられ、不快な視界と状況が纏めて飛び込んでくる。
 状況……そう、かけ布団に包まり、カーペットが敷かれた床に転がり、我が主人が俺のことを見下ろすように立っている。それが今置かれている状況。
「おはよう、朱い月。―――――えっと」
 気分が悪い、意識が荒む、不意打ちでのこの映像は余りにも悲惨だ。
「これか?」
 探し物を渡される。
 手渡されたモノで直ぐに眼を覆い、世界の綻びから目を逸らす。いや、背ける。
 こんな世界、知らないほうがいい。
 こんな世界、隠してしまったほうがいい。
 こんな世界、直視するなんて気が狂ってしまう。
 だからせめて、平穏な世界が映るときは、忘れてしまって
「うん。おはよう朱い月、今日もいい天気だ。」
「挨拶なら今し方したであろう。どうしてわざわざ繰返す必要がある?」
 疑問と言うのか、理解できないことに対する不審とでも言えばいいのだろうか、とにかく疑問の視線が向けられる。
「そうだっけ?まぁ特に意味は無いよ……うん、無いな。おはよう朱い月」
「さっきから、なんなのだ御主は、笑いながら二度も三度も同じ挨拶を繰り返しおって」
「いいじゃない。なんだかそんな気分なんだから。」
 朱い月の手を取って踊り出したい様な、世界に向かってこの幸せを叫びたいような気分だ。
 朱い月は俺の曖昧な、問いの解にまるでなっていないような回答に、なにか諦めたような表情をして
「おはようシキ」
 どこかぎこちない笑みを、自然に返してくれるのだ。
 それが堪らなく嬉しい。
 こんななんでもない朝の挨拶一つで俺はすぐ満たされてしまう。
 だから世界が素晴らしいものに映ってしまう。




※ ※ ※ ※ ※ ※




 服を着替えたかったが、生憎と荷物はホテルに置き去りにしたままで替えが無い。妥協案としてシャワーをと考え付いたが、ライフラインの一切から見放されたこの館でそんなもの望むべくも無い。
「そういえばさ、今日はめずらしく起きるの早かったね」
 いつもなら朱い月を起こすのは俺の役目だ。
 起こさなければ彼女は昼を越えても目覚めることは滅多に無い。吸血鬼だからだろうか?自発的に日中行動することを嫌う節がある朱い月は、自宅で眠っているか、書物を読みふけるかのどちらかだ。
「五分ほど前に戸が開く気配がしてな。それで目覚めたのだ」
 あぁなるほど、自分の領域テリトリーへの侵入に敏感になっていたわけだ。
「それ、誰だかわかる?」
「姿は視認しておらんが、おそらく魔術師のほうだろう」
 根拠は?と聞き返そうと思って止めた。
 朱い月のことだ、軋みを上げない床の音で判別したり、空気の流れを感じたりしているのかもしれない。
 自分に真似できないことを聞くだけもう無駄だろう。
「ふーん、起こしに来てくれたのかな?でもそれだと声をかけてくれなかった理由がわかんないし……何なんだろう?」
「本人に直接聞けばよかろう」
「そうしますか。」
 服装を確認して、シワが付いてしまったシャツの裾を延ばしてから部屋をでる。
 朱い月を探し回って得た建物の構造を思いだしながら、ランサーが窓を割った部屋を目指す。



 戸を開け部屋に入る。
 窓が大きく取られた部屋は日差しが強く、その光量に思わず瞳孔が収縮してしまう。豊富な光に包まれた部屋は、夜とは違う風景に見え調度品は光の中でこそ栄えると、いわんばかりに高価な輝きを放っている。
 うーん、遠野の屋敷で調度品の類は見慣れてる筈なんだけど、どうもよそ様の物だとおもうと、壊しそうで触りにくいよな。
 壊してしまったら最後、俺の蝦口財布に僅かばかり残る、雀の涙より少なく、朝焼けの雫より貴重な俺の全財産が一瞬で、いや刹那の瞬間に消えてしまうのだろう。
 そう考えるとよく、この部屋で戦闘をやらかしてしまったことが、物凄く危険なことで、何一つ貴重品の類が壊れていなかったことが素晴らしい奇跡のように感じられる。
 そんな危険物に囲まれた中で、言い争いでもしていたのかバゼットさんの呼吸は上気していて、疲れたようにも見え。
 ランサーはといえばそんな様子を面白そうに観察している。
 バゼットさんは、そんな乱れた注意力の中でこちらに気がつき朝の挨拶をする。
「おはようございます志貴くん」
「はい、おはようございますバゼットさん。」
 お辞儀をしてからバゼットさんに向き直る。
 ふぅ、と一呼吸ついて息を整えたバゼットさんは、ふと気づいたように視線を奥へ、つまりは俺の後ろにいる朱い月へと向けビシィと硬直してしまう。
「どうかしましたか?」
「いえ……えぇ………何でもありません…大丈夫です…………なんでも……」
 カチコチに固まってしまったバゼットさんは、その顔色まで赤く染め始めた。
 声の調子も心細くなる一方で、まるで要領をえない、まるで迷子の子供のようだ。
「ランサー、どうしたのバゼットさん」
「かっはは。いやなにバゼットがお前らを起こしに行くなんて息巻いて部屋を出て行ったんだが、途端に真っ赤な顔して戻ってきな、どうしたって聞「ランサー!!」おおっとここまでだ、後はマスターが説明するってよ。」
 おどけたように肩を竦め一歩後ろへ後退するランサー。
 親に怒られたような、しかし悪戯を成功させた少年の様な笑みを浮かべて、バゼットさんを舞台へと引き上げ、退路を断つ。
 引きずり出された役者は、オロオロと完全に迷子化し、ひとしきり迷った後、自分の迂闊さを呪う様な苦い顔をしてぼそぼそと、小声で顛末を語りだす。
「その、お二人の起床時間が遅かったもので、つい老婆心とでも言いますか、そのような出来心が働いたといいますか……そっそう昨夜のランサーと戦闘の件もありますし、疲れているのではと思って………そう、サーヴァントの不手際はマスターが拭うものですから、私が朝の目覚めをお伝えしようと思ったのです!!」
「俺の所為かよ、」
「そう、ランサーに関するお詫びもかねてお二人のお部屋を其々探したんです。」
 見事なスルー、もう完全にランサーの所為である。
「その、それでですね……」
 いかん、声が段々と小さくなってきた。
「部屋の戸を開けたら、その……二人そろって同じベットで寝てるものですから、自分の責務を放棄して声も掛けずに戻ってきたんです。」
 すみませんでした。と頭を下げてくる
 え、ちょっと待って、何か勘違いをなさっていませんか。
「つまりは夜中に行われたであろう行為の跡を目撃してしまったバゼットは、少女のような悲鳴――――は上げてなかったな。少女より真っ赤な顔をしてこの部屋に駆け込んできたわけだ。」
 勘違いに追い討ちを掛けるように、ランサーが纏める。
 部屋に駆け込んだときのことを思い出し恥じているのか、バゼットさんは無言に頭を伏している。
このマスター&サーヴァントコンビの中で俺は完全無欠に節操無しと、あらぬ誤解がインプットされてしまったようだ。
「いや、二人が想像してるようなことは微塵もしてないから。」
 そんなお二方の勘違いをキッパリと断っておく。
 普段の俺なら秋葉にトコトン追及され、敗北をきしてしまうが今回の俺は、いつもと一味違う。なんたって清廉潔白の身分なのだ、故に胸を張って堂々と自分の容疑を否定できる。
「ほ、本当ですか」
「本当か〜」
 まったく同時に、それも同種の言葉で、ニュアンスの異なった疑問が投げかけられる。
 一人は、マスターとサーヴァントの関係を、清く正しいものだと信じたいが為。
 一人は、ただ面白がっているだけ…………むぅ
 どうやら少し雲行きが怪しくなってきたみたいだ。
「本当です。まったく以って朱い月と私は、お二人が御想像しているような行為はしておりません。なぁ朱い月?」
 後方、一人椅子に腰を下ろしてる朱い月に同意を求める。
「先程から何を話しておるのだお前たちは?」
 二人の危機をまるで理解しておられない御様子、――援護は期待できない、孤立無援、補給無しの孤独な戦いがここに始まってしまった!!
「と、とにかく同じベットで眠っただけで、なにもありませんでした!!」
 半ば妬けになった兵士が突撃を敢行するが如く、力任せに言い切る。
「嘘だな、」
 キッパリと、ランサー言い切る。
 決死の突撃も虚しく、俺の潔白を証明すべく集った兵士は軽くあしらわれてしまう……。うぅこのまま冤罪を懸けられたまま、俺は負けてしまうのだろうか。理不尽だ、余りに理不尽だ。
 もう「裁判官『秋葉』」と「検察官『琥珀さん』」主催のもと開かれる裁判の如く理不尽だ。
 有罪判決、及び実刑判決しか下さない裁判官と、ありとあらゆる証拠を入手、あるいは捏造し提示する検察官。それに次ぐ理不尽さ加減というのだからどれだけこの追求が不当なものかは、わかるはずだ。
 過去に執り行われた裁判の理不尽度(遠野で行われた回数は多いので割愛)で二位にランクインする蛮行だ。
 あ、でも。先輩が裁判官、及び執行人を勤める魔女裁判もあったな……
 訂正―――ランク三位に登録。
「ほんとだって、ランサーだって英雄なら女性と同じ布団で寝ることくらいあるだろ!」
 『英雄色を好む。』男同士そこに通じ合うものがあると信じて、俺は必死の抵抗を試みる
「そりゃ抱いた後ならな。」
 墓穴を掘った!!不味い、このままでは拙い。
 そりゃそうだ、色を好むなら抱いてるに決まってる。何を勘違いしてたんだ俺!
 このままでは過去の例の様に、なし崩し的に事が進んでしまう。
 この二人のことだから、薬剤実験、略奪、黒鍵によるリアル黒ひげ危機一髪、等々の刑罰は無いだろうが、聖杯戦争において、『色狂いサーヴァント』などと、後ろ指をさされるかもしれない。
 それだけは避けなければ、いくら使い魔と契約するためとはいえ、社会的に抹殺されかねない行為をしたことがあるとはいえ、『色狂いサーヴァント』などと揶揄されながら戦争するほど、俺のハートは強くないのだ。
……いや、レンは可愛いですよ?
「と、とにかく俺は潔白です!!」
 シドロモドロになる俺の言動に疑惑の色が強くなっていく。
 敗戦濃厚、無条件降伏、ポツダム宣言。
 訳の分からない単語がグルグルと頭の中を巡りだした。
「もう、いいじゃねえか。腹、括れよ」
 ポンとランサーの無骨な手が肩に置かれ、諭すように最後通告を言い渡される。
 も、もう駄目なのか?俺に明日は無いのか?
「シキ、いったい何を話し合っておるのだ?」
 唐突に、判決が言い渡される直前の重苦しい空気の中で、彼女の声が響いた。
「えっと、あの〜な。」
 最後のチャンスだ、逆転を狙うならこの場面しかない。
 考えろ、考えるんだ遠野志貴!!
 無い頭を振り絞れ、秋葉に小言を言われる程度の学力を限界まで使い、シオンの様に高速思考だ!!!
「じ、実はこの二人がさ、昨日俺と朱い月が―――その――夜の一幕を演じてたんじゃないかって、疑ってるんだよ。」
 考えた末、必死になって考えた末の結論がTHE他力本願、何やってんだ俺。
 直球に言うのは恥ずかしいから夜の一幕なんて言っちゃったけど、そんな言い回しで朱い月に伝わるとは思えない。それにもし語彙が理解できたとしても事態の打開に繋がるとは思えない。
「夜の一幕、演じる……シキと?―――――シキ、それは契るとゆう意味なのか?」
「うん、まぁそうなんだけど」
 何ともまぁ古めかしい言葉だ、らしいと言えばらしいのだが。『シキと?』の部分で理解に達しないで欲しい、恥ずかしすぎる。
「つまり、この二人は昨夜、妾とシキが行為に及んだのではないか、と申すのだな。」
「えぇ、まぁそうなんですが」
 また赤面を開始したバゼットさんが、詰まったように答える。
「で、実際どうなんだよ。」
 面白そうに問うランサー。
 肩をつかんでいた手は解かれており、代わりに後ろ側から羽交い絞めにしている。
「いつのまに、―――――なぁランサー解いてくれない?」
「うっせ、」
 カクンと前後に揺らされて交渉失敗。もうドナドナだ。
「でよ、月の王様、どうなんだよ?」
「悪いがシキの申してる事は本当だ。」


「昨夜はシキを抱いてはおらん」


 恥ずかしげも無く言い切った言葉は世界を止めた。
 バゼットさんは動かないし、ランサーの拘束は緩んでる。
 しかも、発言が抱かれるではなく、『抱く』である。
 もう、絶句するしかあるまい。
「いや、もうほんと――――らしいよなー」
 視線を下げ、腕を後ろに拘束されたまま、うな垂れるながら呟く、静止した世界は呟き一つ逃さずに伝え、ランサーやバゼットさんの耳にも声として届いているのだろう。
それでもそれらを確認しようとは思わない、
だってきっと俺の顔は真っ赤だから。







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