聖者の血を杯に
  第3話





「ここにいたんだ。」
 朱い月の姿を求めて屋敷中の部屋を探し回り苦労の末ようやく見つけた。
以前、館の主が使っていた部屋なのか、部屋には琥珀さんには絶対に触らしてはいけない類の調度品が数多く置かれている。
 その中に捜し求めていた人はいた。天蓋の付いたキングサイズのベットに腰掛けながら、遠く故郷に思いを馳せるような表情で窓の外に浮かぶ月を見上げている。
「今日はもうホテルに戻る?」
 静かに、その姿を壊してしまわないように、ゆっくりとした口調で問いかける。
「いや、夜はこの建物で過ごしたほうがよかろう。」
 近くにあった椅子をベットのそばまで引き、腰掛けた朱い月と向かい合うように腰掛ける。
窓の下には未だに、真っ赤な顔をしたバゼットさんと、それを必死でなだめているランサーの姿が見える。
「じゃあさ、明日の朝にでもホテルに荷物を取りに行こう。着替えとか全部置いてきちゃったしさ、その格好じゃ朱い月も色々と困るだろ?」
 服には槍の一撃によって胸の部分に穴が開いているのだ、そんな格好で街中を歩かれては堪らない。
「特に不都合は感じぬ。」
「ごめん、おれに凄く不都合なことになるから着替えて。」
 服に穴の開いた朱い月と一緒に街中を歩こうものなら、国家権力にご一報されてしまう。
「しかし、変えの服など持ってきてはおらぬぞ。」
「え、じゃあ何持ってきたの?」
「食料」
 ………あぁなんか納得。そっか血液が入っていたのか、そりゃ道行く人からホイホイと分けてもらうわけにもいかないのだから、血は持参しなくてはなるまい。
 吸血鬼が体を維持するためには、血液を飲むしかないのだ。勿論、普通の食事からの栄養摂取である程度の補給は出来るのだが本人曰く、『他の死徒どもは血を飲まなければ生命維持に関わる。しかし、真祖たるこの身は血液を必要としない、だから血を飲むのは趣向の一種なのだろう。』
 しかし趣向だからと言って血を全く口にしない場合、禁断症状に似たものが現れてしまう。その症状を力ずくで抑えることも出来るのだが、その行為は能力の低下へと繋がってしまう。
 だからといって、周りの人間から血を直接首筋に噛み付き搾取した場合、街が死徒であふれかえってしまう。血は必要だが、摂取はできない。
そんなジレンマを一発解消してくれるのが遠野家傘下、病院直輸入、秋葉公認の輸血パックだ!!―――なんか、急にテンションが上がってしまった。
 まぁとにかく、朱い月は遠野が用意した輸血パックを好んで使用している、いやあれは愛用しているといっても良いかもしれない。そしてその輸血パックを飲む朱い月の姿は、犯罪級に可愛い。
 かつて一度だけ、朱い月のマンションに合鍵を使って訪ねたときに一度だけ、朝食を摂っている姿に理性が飛んだことがあった。
 上半身だけベットから起こし、眠そうな目をしながら、夢うつつな表情で血を飲む姿を目撃した時は、俺はもう何も考えずにベットに飛び込んでしまった。
 ボンヤリとした目の朱い月を押し倒し、キスをせがもうとしたとき、寝ぼけた朱い月に思いっきり抱きしめられ、心臓の音が一気に跳ね上がった時に、首筋にカプっと犬歯を立てられてしまったときは酷くあせったものだ。
 血までは吸われなかったものの、首筋には二つ綺麗に痕が付いてしまった。
それを見た先輩に、どこでそのキスマークをつけてきたんですか?と、笑顔で黒鍵を突きつけられ問い詰められた時、俺は青いカソック姿の悪鬼羅刹を確かに見た。
五時間に及ぶ必死の弁解と、メシアンのカレー一ヶ月分で何とか無罪を勝ち得た俺は、生きていることの素晴らしさを全身で感じたものだ。
「ほんと、いい思い出だよ。」
「何がだ?」
「いっいや、何でも無いなんでも…………そうだ!服とかどうしよう、ホテルに戻るついでに買い物にでも行く?」
 破れた箇所から覗く綺麗過ぎる胸元は、健全な男子には刺激が強すぎるのだ。
「シキはこの姿では困るのだな。」
「うん、困る。すっごく困る。」
 幾ら周りに女誑しだの、節操なしだのと揶揄されようとも、節度と理性を持って行動したいとは思うわけですよ。だから周囲に刺激物を放置するような真似は出来れば避けたいのだ。
「では明日にでも、服を揃えるか。」
「そうしよう、うん是非に。」
 これで一安心と言うものだ。ほっと一息つき、椅子の背もたれに体を預ける。




 今日は色んなことがあったな、――――時計の針はもう間も無く日付を越えるだろう。夜、一日の終わりに今日あった出来事をふと回想してしまう。冬木視の町並み、出会った二人の協力者、サーヴァントの戦闘力
「シキ。」
 不意に名前を呼ぶ声に回想の淵から呼び戻される。
「ん、どうかした」
 思考を朱い月へと傾ける。何か不満があるのか、えらく不機嫌そうなお顔をしていらっしゃる。
「ランサーとの戦いの折、なぜ我が力を使わなかった。」
「あ―――ごめん完全に忘れてた」
 えぇそりゃあもう、欠片も覚えていませんでしたとも。
対サーヴァント戦において相手は、宝具と呼ばれる武器を所持している場合が殆どだ。

《宝具》伝説に名を刻んだ英雄の象徴シンボルにして、英雄が英雄たる証。
そのどれもが現代の武器とは比べるでもなく圧倒的な破壊力を誇っている。
概念や年月を全く内包していない武器なら、刃を重ねただけで破壊されてしまうだろう。

《七ッ夜》七夜の一族が使用していた七夜の宝刀。切れ味、強度、共に高い水準にあるが、宝具を相手取るとなると若干の不安は残る。恐らくセイバーのクラスに該当するサーヴァントと切り結ぶことに七ッ夜は耐えられないだろう。

「次は使え。さもなくばその短刀、砕け散ることになるぞ」
 それは忠告ではなく、ましてや脅しでもない。ただ簡潔に事実を述べたに過ぎない。
「了解、ちゃんと使います。そのときはよろしく」
 その返答に満足したのか、「うむ」と頷いて目を閉じる。
「それじゃあ、もう寝るね」
 バイバイと椅子から立ち上がり部屋を出ようと背を向ける
「どこに行くのだ、シキ」
「何所って、隣の部屋だけど。」
 隣の部屋が丁度、空き部屋だったので、そこを勝手に使わせて貰おうと考えていたのだ。
「共に寝てはくれぬのか?」
「ぇ…………っあ……そ、その……………」
 深い意味はないのだろう、いや絶対ない。朱い月はこの手の駆け引きは苦手のはずだ。単純に寝床を共有しないかと持ちかけているだけなのだ、断じて同衾のお誘いではない。
「この大きさなら二人分の幅は優にとれるぞ」
 そりゃそうだ、なんたってダブルベットよりでかいキングサイズのベットなのだから、二人といわず三人でも余裕で寝れるだろう。
「でも、ほらさ、それは不味いでしょ、やっぱ」
 もし、ここが二人だけの空間だったならば、迷わずご一緒させていただきますが、他の部屋にはバゼットさんの様な純真初心な乙女がいるのだ、情操教育上、下手なことは出来ない。いやしかし、女性側から誘っていただいている訳であるのですから、ここで引いては据え膳食わぬは男の恥といいますか……いや待て、遠野志貴これは別に据え膳でもなんでもない、その考えは間違えてる。そう、ただ同じ布団で寝るだけだ、ただそれだけなんだ。いやいやしかし、相手が朱い月ともなると、節度と理性を持って行動しようという生涯目標を維持するのが難しくなってしまう。
「どうしたのだ、シキ?」
 こちらの心の中で繰り広げられる葛藤を露ほどに理解していない真っ直ぐな疑問。
「はぁ―――いや、なんでもないよ。うん、そっか、それじゃあお言葉に甘えることにします。」
 ほんと、何でたったこれだけのことを真剣に考えていたんだろ、
「そうかでは、来い。」
 ほんと、この嬉しそうな声が聞けるなら真っ先に叶えてやるべきじゃないか、
「ん、お邪魔します」
 必要もないのに断ってからベットの中に潜り込む、まあそれが礼儀ってものだ。
示し合わせたわけでもないのに互いに向かい合う形で寝転ぶ。
「良い夢を、シキ」
 ゆっくりと、音色のこもった声が聞こえた。
目蓋が下りた瞳は静かで、呼吸は一定、寝息はゆったりと聞こえる。
波にたゆたう様なリズムは、この静寂には酷く似合っている。
そう、朱い月の寝息は…………え、寝息?
あぁ眠むってる。
さっきの言葉は就寝の挨拶でしたか、
バクバクと踊る鼓動を抑えてまで布団にもぐったってのに、……このお方は既に、スヤスヤと気持ちよさそうに寝ていらっしゃる。
「ほんと、気持ちよさそうな寝顔だな。」
 身構えていたのに、こうもあっけ無い結果に終わってしまったので、急に手持ち無沙汰になってしまった。
その空白を埋めるように手は伸び、シーツの上に砂金を撒いたように広がる髪を拾い上げ、そっと指に絡ませる。
「―――――――」
「髪を弄られてるってのに、全く起きる気配がないんだもんな」
 朱い月は寝付きが物凄くいい。
寝具に潜り、明かりを落とし、枕に頭を沈める。
その一連の動作がスイッチなのか、朱い月は直ぐに眠りへと落ちてしまう。
そうなると、大抵の事では起きることがない……いや、起きない。
但し、朱い月の名を呼ぶと直ぐに起き上がってくれるのは、らしいといえば酷くらしいのだが……。
「寝てるものを無理に起こすこともないよな、」
 胸の鼓動も、語りたい言葉も、相手が寝むっているのならしょうがない。
素直に眠ることにしますか。
手の中で弄んでいた髪を放すと、零れるように滑り落ちシーツに広がる。
その様を見送り、眠りの淵に旅立とうと全身を緩める。
あ、でもその前に
「おやすみ。―――――いい夢を」

言葉に対する反応は無い。
        朱い月は眠りの中にいる。
  それでも、
                   夢の中にいる朱い月が、
何かを返してくれたように感じるのは、
                自惚れだろうか?







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