聖者の血を杯に
  第2話





 戦う条件として、戦闘を感知されないよう結界を張れ。
それを聞いたランサーは、――面倒くせぇ、とぼやきながら割れた窓から外に飛び出していった。
 室内で戦闘する筈も無く、月明かりの下、館の正面、開けた場所での戦いとなる。
観客は当然二人しかおらず、戦う者も二人きり。辺りは閑散としたものになってはいるが、此処は紛れもなく戦場。

「先程はすみませんでした。ランサーが失礼なことを言って、」
「気にしないで下さい、挑発に乗ってしまった俺にも責任があります。」

 会話は続かずそのまま沈黙へと沈んでしまう。夜風は寒く、腰を下ろした石段は冷たい。
バゼットさんは気まずいのか、少し離れた場所に座っている。

「結界、張ってきたぜ。」
 作業を終え、ゆっくりと決闘の場へ歩いてくる。
「遅い、」
 労いの言葉もなく、ただ己の不満をぶつける朱い月。
五分も過っていないと思うけど、やはり立ったまま他人を待つというのは嫌いみたいだ。

「悪かったな、簡易だが一時間は宝具を連発したって平気な代物だ。気に入ってくれたかい?」
 眼を閉じ意識を世界に広げる。ガイアから流れ込むマナ、辺りに生える木々の息吹。
周囲を隔絶する為に張られたモノは申し分のない強度を誇っている。

『――――之なら我が力、感知される事もあるまい。』
 魔力殺しは内に対する魔力の隠蔽はなされるが、外に向けられた力までは隠し通せない。
此度の戦争では、この身は余りに特異すぎる。
我が存在が露呈すれば、全サーヴァントが結託して狙ってくる可能性がでてくる。
有象無象の雑魚がいくら群ろうが敵ではない。しかし、シキまで守り通す自身が無いのだ。

「どうした?自称、朱い月さん」
「………なに、貴様には関りなきことだ。」
そう、これは我が願い。
この身がシキを殺すことがあってはならい、私がシキの願いを妨げることがあってはならない、私はシキとこの戦場を共に生き抜かなければならない。

「結界の隠匿性は要望通りだ。――いつでもよい、かかってまいれ」
「けっ、死なない程度に手加減してやるよ。」

 互いの距離はおよそ十
踏み込みは一度きり、深く抉るように地を蹴った足は、風を超える速力を生み、十を三へと変え、間合を制す。
三、その距離は不可侵へと変わる。薙ぐ攻撃は侵入を拒み、穿つ攻撃は敵を貫く。大抵の者が、体に傷を負わせる事無く死んで逝く。
 今回もそうだと思っていた。いや、侮っていた。
前で手を組んだままの、すかした面を歪めてやるつもりで肩を狙った、その軌跡は顔を歪めるだけならば十分すぎる一撃だ。

突き出した槍に貫く感触が響く。

聖杯に導かれた奴らはどいつもこいつもイカレタ連中だ。

筋が絞まる前に槍を引き抜く。
だから目の前の女が、非常識な奴なのは当然なのだ。


 ランサーが突っ込んでくる。
サーヴァント中、最速を謳うだけのことはあり、従属者にしては中々に素早い。
だが所詮サーヴァントのスピード、然したる脅威にはなり得ない。
肩口を狙う一撃を右の掌で受ける、手に風穴が開いてしまったが大した傷ではない。
目論見が外れたのを察知したのか、矛先を手から引き抜こうとしてくる。
逃がさん、我が手より離れようとする槍を、穴が開いたままの右手で掴み、所有者ごと引き寄せる。
引き上げた獲物は呆けており、その顔を正すべく、裏拳といったか、左手の甲で頬を張る。
そしてそのまま木々をなぎ倒しながらすっ飛ぶランサー。加減を間違えたか?



「……でたらめな怪力だな、おい。顔が歪むかと思ったぜ。」

 盛大に吹っ飛ばされたランサーが悪態を吐きながら、のろのろと立ち上がる。
立ち上がるランサーの手に槍は握られてはいない。
槍は朱い月の手を貫いたまま時を止めてしまっている。
「忘れ物だ、返すぞ。」
 手を貫通していた槍を抜こうと力を込める。血は流れず、痛みを感じないのか平然とした面持ちで紅の槍を剥がす。
予備動作はない、構えもなく、手首の返しだけで槍をランサーの足元へと投擲する。
軌跡は正確に、刺さる真紅は、その全長の半分をも地に埋めている。

「次は全力で参れ……そのゲイボルグ伊達ではあるまい?」
 サーヴァントの半身たる宝具の名を看破された驚きか、対峙する朱い月を障害と認めたのか、今までの試すような空気は消えている。

「――――それは俺の真名を知った上での言葉か?」
 槍の柄を握り締め引き抜く
「クランの番犬、その力この身に示せ」

 何が鍵だったのか、何がキーワードだったのか、ランサーの気配が鋭くなる。
「………よかろう、ならば受けてみろ我が必殺の一撃を。」
キン、世界に響くような耳鳴り聴こえる、紅の槍は己が力を発揮するためマナを食らう。
その味に震えるが如く、刃は赤く光を放ち周囲の大気までをも染め上げる。
「宝具の使用は許しません、止めなさいランサー。」
 令呪を掲げ静止を掛ける。発動を止めなければ強制命令をも辞さないとかまえる。

「止めては駄目だ。こんなことに令呪を使うなんて無駄にしかならない。」
「しかし、それでは死んでしまいますよ?」
「宝具の発動を望んだのは朱い月です。それに大丈夫――――今夜はこんなにも月が綺麗なんだから。」
 眼鏡を少しだけ下にずらし世界を覗く。無数にひび割れた世界に有って唯一、綻びのない存在。
「そう、――こんなにも彼女は綺麗なのだから。」
魔槍の発する緊張が臨界まで達する。
「――――――その心臓」
言葉は言霊となり力をもつ
「――――貰い受ける――――」

 明かされる真名はゲイ・ボルグ。
四間、およそ七メートルの距離から放たれた一撃は届くはずのない距離を貫いたものとする。
矛先は伸びるが如く奔りぬく、それは心臓へと奔る一撃、命の炎が宿るとされる聖域を、千の棘をもって蹂躙する。
朱い月の白い服に、赤く、花が蕾から覚めるように、ゆっくりと、血が広がってゆく。

 己の肉体に刺さったモノを、冷めた目で見下ろす。
「心地よい、痛みだ。」
 ビシャリと槍が引き抜かれる音がする。カクンと反動で体が前後に流れるが、直ぐに背筋を伸ばしいつもの姿勢をとる。
裂けた服から覗く白い肌は、何事もなかったように既に修復されている。
「呪いごと回復したのか、……結構自信あったんだが、まったくとんでもねえな。」
「ゲイ・ボルグ、因果の逆転であったか。――ふむ、此度の戦争においてこれ程までに効率のよい武装は他にはあるまい。」
効率的だ≠ニ賛辞の言葉を述べてはいるが、絶対の自信を持って放った宝具が服に穴を開ける程度の戦果しか上げなかったのだ。
ランサーにとってこの言葉は慰めにはなるまい。

「へいへい、ありがとよ。」
「礼だ、我が力の一端味わうがよい」
 右の爪が意思を受けて伸びる。ランサーが何かを言いかけて口を閉じる。
    威圧感、それがサーヴァント、霊長の守護者たる者の口を閉ざした正体だ。
「跳べ、でなければ死ぬぞ。」

 振るわれる爪。無造作に上段から振りぬかれたそれは、赤い衝撃となって突き進む。
「はっ」言葉に従ったのか、生存本能に従ったのかは分からないが、赤い衝撃から逃れるように青い槍兵は跳ね上がる。
地を抉る一撃は土砂を巻き上げ、視界を包み込む。
「…………これが第三位の力……」
砂が晴れ、視力による確認がとれる様になると、朱い月の一振りによって引き起こされたに惨劇を目の当たりにし、呆然と呟くバゼット。
木々をまとめて薙ぎ倒し、大地には深々と五本の傷跡が残っている。
それはまさに、自然が引き起こした災害、人に抗うすべはなく、傷跡だけを刻み過ぎ去っていく疫災。

「ふぅ――あぶっねー」
 被災地に降り立ったランサーが被害状況をみて、ため息を漏らす。
「壊れたモノを直しておけ、ランサー」
「これを一人でか!?」
「当然だ」、と有無を言わさぬ返答をし、背を向けて歩き出す。
視界は戻ったといっても未だに足元は塵が立ち込めているのだ、これ以上汚れるのを嫌った朱い月は、屋敷の中に戻ってしまった。


「悪いなランサー、普段はもっと可愛げがあるんだけど……ほら、あいつ人付き合い苦手だからさ。」
「喧嘩を吹っ掛けたのは俺なんだ、気にする程の事じゃないさ。それにしても、あのお嬢さんの可愛げね〜。本当のことだとしたらお前も中々やるじゃねえか。」
 快活に笑いながら背中をバシバシと叩いてくる。
「ランサーこそ、バゼットさんとはどうなんだよ」
「いい女さ、惚れ惚れするね。肩筋張ってる割にはどこか抜けてて、気が強ぇと思ったらかなりの少女趣味ときてやがる。――そしてなにより背中を安心して預けられる。お互いマスターは最高の相棒を引き当てたな。」
「あぁ、確かに後ろの不安がなくなるのは大きいよな。」


 自分の後ろを守ってくれている安心感、相棒パートナーの後ろを守ってやる責任感。
その二つが戦場という異常においてなお、自分を真っ直ぐに立たせてくれる。
「色々とバゼットさんのこと助けてやれよ。俺、バゼットさんの可愛いところ見てみたいからさ」
「まかせな!しっかりとモノにしてやるぜ。」
「さっきから黙って聞いていれば何を、言っているのですか!!」
 真っ赤な顔をしながらツカツカと小走りで向かってくる。あの反応は幾らなんでもウブすぎだろ。
ランサーと二人で声を上げて笑いあう。そこに初対面の殺伐とした緊張感はなく、ただ十年来の親友のような笑い声だけがあった。
そしてそこに、笑いあう声に、お互いの誓いを確かに聴いたような気がした。
絶対に守り抜くと。







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