聖女の外典
第十話







 小柄な少女が戦場の真っ只中に凛々しく立っている。
 その姿はフランスに輿入れしてきた当時のものか、瑞々しい果実のように若く、その身
はまだ成熟をする事をしらない少女性に溢れている。
 その姿を目撃する誰もが、彼女の未来に期待する。
 ハクスブルク王家という豊かな土壌から芽吹いた球根が、芽を伸ばし、葉を広げ、太陽
の恩寵を一身に浴びるようになった頃、蕾をつけたその乙女はフランス王家へと贈られた。
 白百合の蕾が美しく花開くその未来を、フランスに住まう誰もが期待した。
 輝ける未来への展望、それを幼い肉体に一身に浴びる少女は、愛の返礼を万人に向けて
解き放つ。
フランスに栄光あれヴィヴ・ラ・フランス!!」
 その言葉に、フランスに住まう人々は涙する。
 ジャンヌ・ダルクがフランスという国に裏切られ、フランス王家に裏切られてもなお、
既に死した身でありながら再び祖国を救おうと立ったとき、フランスという国が歓喜に震
えたように……。マリー・アントワネットの決意は民衆を奮わせる。
 ジャンヌは権勢けんせいの維持の為、フランス国の統治機構、フランス王家によって捨てられた
が、マリー・アントワネットは統治機構を刷新する過程で、フランスに住まう民衆によっ
て捨てられた存在だ。
 民衆はジャンヌが遠い異国の地で処刑されるのを是としなかったが、マリーは民衆によ
よってフランス国内で首を落とすことを是とされたのだ。
 その彼女が再び立ち、フランスに住まう全ての人々に向け愛を謳う。
 後世の人々は、その尊い献身をいとも容易く『高貴なものは義務を負うノブレス・オブリージュ』などという言葉
で打ち切り、そこにどれ程の葛藤があったかを知ろうともしない。
 だがそれでも、それでも一度は死した彼女が『フランスに栄光あれヴィヴ・ラ・フランス!!』と高らかに謳う時、
その短い言葉を聴いた人々は、その両の目から止め処なく涙を溢れさせるだろう。
「貴女は!!貴女様は!!人々にそんな風にされてしまっても、フランスを救う、そう仰られ
るのか!!」
 膝を折り、溢れる涙を流しながら訴えかけるのは嘗て王家に仕えた騎士デオンだ。
「あら貴女は?」
「デオン!!ルイ十字勲章を賜り、シュヴァリエと名乗ることを許されたシュヴァリエ・デ
オンです!!」
「そう貴女が、あのデオンなのね」
「不敬は重々承知、今や私は祖国に剣を向ける不忠者であり、貴女様に牙を剥く野良犬へ
と身をやつしましたが、それでもお言葉を頂戴したいのです!!何故貴女様がフランスを救わ
れるのか!!人々は貴女をそんな風・・・・にしてしまったのに!!」
 シュヴァリエ・デオンはフランス王家を守護する剣である。
 だがそれでも、自分が本当はフランスを救いたいと願っている事と、王妃がフランスを
救うという行為は決定的に違う事だと知っている。
「貴女が救うという仰る人々は、貴女を処刑する事を決め、貴女様を幽閉し、その回りを
怨嗟の声で取り囲みました!!貴女様はその仕打ちに、あの美しかった小金色を喪ってしま
うはずの恐怖を感じていたのに!!」
 マリー・アントワネットはハクスブルク王家の女らしく、輝く黄金の髪色をしていた。
 だが処刑の直前、幽閉という仕打ちから彼女は髪を真っ白に変じさせてしまった。
 それは異国で、異国人に囲まれたジャンヌよりも苛烈だろう。
 自身が愛を捧げていた筈の民衆から、彼女は恨まれ、疎まれ、怨嗟の声を浴びせられた。
 人々は彼女の言葉に耳を貸さず、ただ黙々と王妃を処刑するに足る口実をでっちあげる。
 その仕打ち……襲い来る恐怖と悲嘆が彼女を蝕み続けた。
 そして恐怖の名残が、サーヴァントとして現界するマリー・アントワネットの髪色に残
っている。
「いいえ、それでも私はフランスを愛するわ」
「何故!?フランス革命は間違いなく、間違いだった!!王と貴女様の死後、フランス国内は
荒れに荒れ、政治は恐怖政治などと呼ばれ、ギロチンは休まる事無く毎日のように稼動し
続けた!!あのような恐怖の日々を作り出した国民が間違いでなくてなんどというのです!!」
 デオンは、フランス国民は救うに値しないと糾弾する。
 その糾弾は革命後のフランスを生きた……特に王家に仕えた人間の率直な所管である。
 控えめに言って、革命前夜を『緩やかな地獄』と評するのなら、革命以降は『苛烈な地
獄』といった有様だった。
 断頭台による王家の廃絶。その内政の混乱から他国からの侵攻を許し、それに対応する
為に戦費の拡充に追われた結果、財政は益々と悪化。低迷する景気を背景に暴走する民衆
は、一党独裁による独裁政治を承認。独裁政党は恐怖政治を敢行し、政敵や反対派の悉く
をギロチン送りにした。
 平等と自由を名目に、王や王妃の首を撥ねた民衆が手にしたのは、ギロチンと恐怖政治
による管理社会であったのだ。
「ですからどうか仰って下さい!!アレは間違いだったと!!あの悲劇の歴史を焼却したいと!!」
 シュヴァリエ・デオンはフランスを滅ぼしたくはない。
 だがあの時、あの時代の人々に全く恨みを抱いていないのかと問われれば、彼はそれを
否定しきれない。
 民衆は敬愛と忠誠を奉じた主人を肥料運車・・・・に乗せて引き回し、断頭台に掛けた。その結
果があの地獄である。民意などと言う選択の結果、訪れた地獄の日々の中で苦しみ蠢く
人々を眺め、デオンはあの時、それを当然の報いだと笑ったのだ。
 その罪をデオンはつまびらかに告解してしまう。
 マルタという聖人と行動を共にしていた為に、ひた隠しにしていた人間としての浅まし
い部分を、余すところ無く口走ってしまう。
 それはバーサクの呪い故か……再び巡りあえた奇蹟の為か……。
 彼は自分の内側に確かに存在する黒い部分を、敬愛する主人に涙ながらに打ち明けた。
「ありがとう」
「――――え」
 打ち明けた罪を、打ち明けられた罪を、マリー・アントワネットは、ベルサイユ宮殿に
居た頃と変わらないあの微笑を浮かべて肯定した。
「ありがとう、シュヴァリエ・デオン。貴女の苦しみは、フランス王家に対する忠節の裏
返しなのね。だから私は嬉しいわ。ありがとう、そんなにも私を愛してくれて」
 王妃マリー・アントワネットはあの頃と少しも変わらない微笑でその告解を受け入れる。
「貴女はそれを、その結末を恨んでくれても構わないわ。だって私の為に泣いてくれるん
ですもの。それはとても嬉しい事だわ。否定できない」 
 嘆き、悲しみ、膝を折る騎士前に、白百合の王妃は進み出る。
 嘆きを拭うため、悲しみを癒すために。
 その手を優しく包み込みながら、まるで魅了でもかけるように彼女は言った。
「でもその代わり、一度だけ、たった一度でいいから私と一緒に唱えて下さらないかしら」
 嘆き、悲しみ、裏切りの徒に落ちてしまった騎士に、王妃は優しくその言葉を言った。
 舌を上顎につけて、弾くようなイントネーションで、少女のような快活さで、マリー・
アントワネットは『ヴィヴ・ラ・フランス』と唱えた。
「……な、にを」
「ねぇ、シュヴァリエ。私は無為に死んだつもりは無いわ。だってフランス王妃となった
時、私はフランスの為に生きると決めたのだもの。それはフランスの為に死ぬということ
よ。じゃぁ、死ぬのはいったい何の為?」
 マリーは天性の魅惑の美声で、優しく、我が子に言い聞かせる母親に語り掛ける。
「……そんな、貴女様は……そんな」
「そうよ、決まってるじゃない。空に輝きを。地には恵みを。民に幸せを。フランスに限
りない栄光を!!さぁ一緒に唱えて、ヴィヴ・ラ・フランス!!」
 マリー・アントワネットは語る。
 自分はフランスの栄光の為に死んだのだと。
「私の事を嘆く必要なんてないわ。革命の不首尾だって、たった一度きりの事じゃない。
一度の失敗で、子に愛想を尽くす親はいないでしょ。その程度の事、フランス王妃の私が
赦します」
「うあ、あぁ!!」
 最早声にならないその嗚咽は、彼女が、フランス王妃が、こんなにもフランスの事を愛
してくれていたのかという嘆きだ。殺してしまってから、その愛の深さを知る。そんなあ
り得ない奇蹟が、こんなにも胸を締め付ける。
「だから一緒に唱えて、その苦しみも、嘆きも、全ては未来の為にあったのだと、大きな
声で唱えるの!!」
『ヴィヴ・ラ・フランス!!』
 魅惑の美声と、嗚咽が混じったその声は、歪な旋律を奏で高い空へ消えた。
 それと共に奏でられていた旋律が静かに止む。
 それは同時に飛竜を威圧していた圧力が消えるということだ。
「危ない!!」
 その美しい光景から、いの一番に立ち直ったのは、聖女である。
 ジャンヌは王妃を狙い滑空してくる飛竜を打ち払うと、そのまま小柄なその身体を抱え
て退避する。
「あら、そういえば貴女にはご挨拶がまだでしたね。私の名前は――」
「舌を噛みますよ、口は閉じて下さい!!」
 マリーを抱えたまま、彼女と共に現れた新たなサーヴァントの下へと掛けていく。
 聖女は抱えた少女の身体を下ろすと、そこに集った面々を見渡した。
「どうして音を止めたりしたのよ、アマデウス。おかげで私ったら空飛ぶ蜥蜴に食べられ
でしまう所だったじゃない!!」
「マリア、君は芸術家という人間を知らなすぎる。何でこの僕が、僕の曲を、あんな芸術
を介さない化け物共の為に、何時までも奏でてなくちゃならないんだい」
 降ろされた少女が、気だるげに指揮棒を降ろしたサーヴァントに詰め寄ると、その音楽
家は悪びれた様子も無く、寧ろ彼女の不理解をなじった。
「僕が音楽を奏でたのは君の為だ。君が登場シーンに音を出せというから、僕が出した。
そしてあの場面では、あそこでフェードアウトするのが一番美しかった」
「それじゃぁもしかして、アマデウスの考える美しい演出の為に、私は危険に晒されたの?」
「いやぁ、アレは我ながら美しかった」
「まぁ、何て人なんでしょ!?」
「其処までにして下さい!!」
 なおも賑やかにお互いを非難し合おうとする二人の会話を打ち切って、ジャンヌが現状
確認を行う。
「お二人のうち、どちらかで構いません。相手を一撃で葬れるような対人宝具、もしくは
敵を纏めてなぎ払えるような対軍宝具を所持していませんか?」
 二人は暫し顔を見合わせジャンヌに向き直ると、静かに首を振った。
「どうやら僕のは宝具は対軍に分類されるらしいが、御覧の通り攻撃用じゃない」
「私も似たような感じよ。対軍宝具ではあるのだけれど……そうね、上手くいえないけれ
ど、空を飛んでる相手を堕とすのはちょっと苦労するわね」
「見立て通りなのですね……」
 サーヴァントのステータスを読むルーラーは、だけれど情報の全てを読み取れる訳では
ない。有名な例を持ち出して語るならば、光の御子が持つとされる宝具は、その使用方法
によって対人、対軍とその性質を変化させることができるという。
 ジャンヌはそれに期待したのだが、二人は秘められた能力はないと申告した。
「何か妙手は浮かびまして?」
 いつの間にか現れたマタ・ハリが質問を投げかける。
 どうやら彼女の方も上手く逃れていたらしい。
「現状、バーサクセイバーとワイバーンが襲って来る気配はありません。おそらく彼が何
らかの方法でワイバーンを抑えてくれているのでしょう」
 一人戦場に取り残されたように佇むデオン。
 その周囲を回遊するように、ワイバーンはただ飛び続けている。
 近づけば襲われるだろうが、近づかなければ暫くはこのままだろう。
「彼がワイバーンを如何なる手段を用いて抑えてくれているのかは判りませんが、この状
態が何時までも続くなどと期待しない方がいいでしょう。理想は遠間からの一撃なのです
が……」
 それができない事は確認済みだ。
「整理しよう。実に認めがたい事だが、この場にある最大火力はマリアの宝具なんだよね。
大見得を切って登場したものの、生憎僕とマリアは戦闘の門外漢だ。だから聞きたいんだ
が、マリアの宝具を真っ直ぐに走らせて。あの変態趣味の変人にぶつけた場合、果たして
それで倒せるものなのかい?」
「恐らく無理です。そうした場合、飛竜が迎撃に動き四方八方から押しつぶされます。せ
めて敵が空を飛ばない歩兵であったなら、蹂躙できたのでしょうけど……」
 マリー・アントワネットの繰り出す宝具は、ライダークラスらしい騎乗型の宝具である。
それは貴き幻想ノーブルファンタズムと呼称されるに相応しい美しき硝子の馬ではあるのだが、攻撃性という意
味合いでは、他のライダークラスの宝具と比較してしまえば、その格は数段落ちる。
 ましてや相手は空を飛ぶのだ。
 歩兵のみであれば突破できたかもしれないが、空を飛ぶ飛竜の群れを相手にしてはそれ
も難しいだろう。
「えっと、キャスター?貴方の重圧で敵を堕とすことは可能ですか?」
「なんだい、よそよそしいじゃないか。君も僕の事を名前で呼んでくれて構わないんだよ。
いや寧ろそうしてくれたまえ。むろんそちらの女性もだ。さ、口にモノを含むようにたっ
ぷりと空気を舌で掻き混ぜて言うんだ、モーツァルト」
「モ、モーツァルト」
「モーツァルト」
「あぁ、いい!!実に良い!!聖女様の初々しい感じが堪らない。一瞬高鳴った鼓動に、意を
決して発音する直前の息遣いがすばらしかった!!勿論此方の女性も素晴らしい。口内でぬ
るりと舌が動くのをありありと感じられた!!きっと素晴らしい技巧の持ち主なんだろう!!」
「アマデウス、余り不穏な発言はしないで頂戴。生まれ故郷の品性が疑われてしまうわ」
「判った。真面目にやる。真面目に答える。だからマリア、そういった目で僕を見ないで
くれ。腰が抜けてしまいそうな程にゾクゾクくる」
 白けた目を向けられ、喜色満面といった具合でそれを受けたアマデウスは、ややあって
指揮棒で空中を飛び回る飛竜を数えるように指し示すと「うん、無理だね」と笑った。
「無理って、何とかなさいなアマデウス。貴方このままじゃ役に立たない唯の変態になっ
てしまうわよ?」
「変態の何が悪い!?変態は自分の人生を豊かにする術を心得る人間の呼称だぞ!!使用済み
の下着さえあればそれでいい!!少女の足を舐められるなら金貨だって払う!!そういった連
中は皆、自分の人生に必要なモノが何であるか知っているんだ!!それをなんだい、君らと
きたら数を頼りに、アブノーマルだの、社会不適合者だのと罵りやがって!!孤立を恐れて
孤高を選択できない臆病者どもめ!!もっと自分の心に正直にだな……」
「分かった!!分かりました!!」
 同郷の恥を晒してしまった気恥ずかしさからか、マリー・アントワネットは、早口で捲
くし立てるモーツァルトの話を、大きな声を上げ打ち切ってしまった。
「唯の変態なんていってしまって悪かったわ。アマデウス、貴方は確りとした理念を持っ
た、立派な変態よ」
「良かった……分かってくれたんだねマリア」
 駄々っ子を説き伏せたかのような満足感を感じながら、モーツァルトは感極まったかの
よう目尻を拭った。
「あ、立派な変態という評価でいいのね」
 マリーの呟きに、ジャンヌは「ア、ハハ」と置いてきぼりになったように力なく笑った。
 マタ・ハリはお腹を抱えて笑っている。
「おや、何か勘違いしてないか?これは至極真面目な話だよ?」
 だが女性三人の反応を見てとって、モーツァルトは不思議そうな顔をする。
 ジャンヌはその言葉に、一筋の光明を見出せるような気配を感じた。
「僕一人の重圧じゃ、とてもじゃないが飛竜全てを地上に落とすなんて無理だ。だが似た
ような力を、別のサーヴァントが重ねがけしてくれるなら話は別だ」
 その言葉に聖女と王妃は誘惑の力を持ったサーヴァントを見る。
「あら私?期待にはできるだけお答えしたいけれど、ごめんなさいね、無理よ。私の力は
威圧や重圧なんかじゃないわ。だってアサシンよ?相手を圧してどうするの」
「んん、安心しておくれ、君じゃない。サーヴァントなら、ほらあそこにもう一人いるじ
ゃないか」 
 ニッコリと笑う音楽家に、女性三人はまさか!?と驚いた。
「無理です!!そんなものを前提に作戦を立てるなど、正気ではありません!!」
「正気!?ハッハハ、たった一人でフランスを救って見せた聖女様が正気を語るのか」
 アレこそ、正気の沙汰ではなかっただろうにと、モーツァルトが笑う。
「いえ、ですがそれとコレは……」
「確かにこの計画は憶測で立てている。その憶測は数キロ先の針が落ちる音も聞こえるよ
うになった、この僕の耳が拾った会話がきっかけだ。なぁ、奴は確かに『フィナーレに我
が宝具を受けよ』っていってたよな」
「……それは、……いえ確かに言ってはいましたが」
「だったら、奴の宝具は僕と同じ干渉タイプなんじゃないか?」
 モーツァルトには相手の切り札を読む力はない。
 それはルーラーにのみ与えられた特権だ。
 だから偉大なる音楽家は確認する。果たしてその憶測は正しいのかと。
「確かに彼の宝具は貴方の見立てた通りです」
「ほら、やっぱりだ。こんなにも近しいシンパシーを感じてしまうんだから、アレは間違
いなく僕と同類だ。――――だからきっと宝具も似てしまうんだ」
 男はまるで同類を見つけたかのように嬉しそうに笑う。
 アレは間違いなく、自分と同じ同類だと。
「え、どういうことですの、アマデウス?」
「なに簡単な話だよマリア。君は其処にいる聖女を硝子の馬に乗せて、ただ真っ直ぐに走
ればいい。標的は無論あの騎士だよ」
「話を聞いていましたの?私の突破力じゃ無理よ。聖女様も無理だって仰ってたじゃない」
「いえ、非常に分の悪い賭けですが、確かに彼の言うとおり突破できる目はあります…
…」
 マリーに保障した言葉を、アマデウスに唆されるように撤回したジャンヌ。
 だが……。
「ですがあまりに分が悪すぎます。モーツァルトさんの仰りようは、戦場で相手が皆自害
してくれれば勝てるのにと、期待するようなものです。賭けにすらなっていない」
 どんな困難な状況でも、何もしていないのに相手が勝手に自滅してくれる事を期待して
よいのなら、それは逆転の目はゼロではないと言い張れるだろう。
 だがそれは明らかに暗黙のルールに抵触する。嘘は言っていないかもしれないが、だれ
もが嘘だと感じる。
 それを期待するのはお門違いなのに、そんなありもしない期待を引っ張りだして、勝機
を語るなど、まるで詐欺師の手口だ。
 だが稀代の音楽は、これを絶対の自信を持って断言する。
「いいやそれは成る。これは絶対だ。奴はそもそも、それをやろうとしていたし、それを
やる理由も増えた。だったら奴はそれをやる」
「ですが!!」
 なおも反論しようとする聖女をみて、音楽家は呆れたように言った。
「おいおい、君は酷い勘違いしていないかい?この僕は別にフランスがどうなろうと構わ
ないんだぜ?」
「なっ……」
「僕はマリアがフランスの為に一肌脱ぐっていうから、その様子を眺める為に召喚に応じ
たんだ。マリアこそが僕の動機であって、行動原理なのさ。だから安全策としちゃ、皆で
逃げ出すってのが一番なんだぜ?だが僕がそれを提案しないのは、絶対に勝てる戦いに尻
尾巻いて逃げ出すってのが我慢ならないからさ」
 モーツァルトはオーストリア人であり、その立場はマタ・ハリと同じ異邦人だ。
 王妃や聖女のように、フランス自体に特別な思い入れはない。
 だからこそ、ジャンヌは納得せざるをえない。
 マリー・アントワネットこそ、我が理由、我が動機、我が聖杯。そう詩人のように謳い
だしそうなモーツァルトが、失敗に終わる作戦の核に彼女を用いたりはしないだろう。
 この作戦に、彼は絶対の自信があるのだ。
「分かりました……。この作戦で行きましょう」
「えっ、えっ?結局どうなりましたの?私、アマデウスが相変わらず私の事が大好きだって
ことしか分かりませんでしたわ」
「君ね……」
「詳しい話は私が説明しますから、今は一先ず宝具の展開準備をお願いします。モーツァ
ルト!!位置取りとタイミングはお任せしても?」
「僕は音楽家だよ?タイミングと呼ばれるものなら、およそ外すことはないね」
「では始めましょう!!」
 旋回する飛竜の群れ。
 それは遠目に目撃するハリケーンよりも遥かに暴威に溢れた黒い渦だ。
 その黒い渦を構成する飛竜は、百は下らないだろう。
 危険を論じるのも愚かな圧倒的暴威。
 その中心目掛けて、音楽家に唆された聖女と王妃は突貫する。
 真っ当なフランス人ならば、きっと誰もが思うだろう。
『あぁ、誰か今すぐ我々の象徴を誑かす、あのオーストリア人を殺してくれ』


※  ※  ※  ※  ※  ※


 黒い渦の中心で、シュヴァリエ・デオンは片膝をつき、祈りを捧げるような姿勢で静止
している。その行為は、戦闘の停止を意味するものではない。こうしている間にも、彼は
苦悶を浮かべる表情の下で、苛烈な戦いを演じ続けている。
 気を抜けば直ぐにでも暴走してしまいそうなバーサクの呪いを、セイバークラスの対魔
力を使い、理性の下に跪かせる克己こっきの戦い。そして、その戦いと並行して行っているのが、
好き勝手に暴れようとする飛竜の制御である。
 飛竜たちは死肉を貪ろうと戦場に集った烏のように喧しく喚き上げ、早く食事にありつ
かせろ騒いでいる。その狂騒を、デオンは祈るように握り締めた鉱物のような物、それに
魔力を注ぐ事によって押さえつけている。
 それは聖マルタから授けられた代物。それは騎士の手には包み込みきれないサイズであ
り、それは磨き上げられた鉱石のような輝きを放ち、その硬度は大理石よりも硬い。
 それは竜を御すといった、何か特別な聖遺物という訳ではない。
 それはもっと単純な、集った名も無き有象無象の飛竜たちよりも、高位に当たる存在の
威を借る為の紋章のようなもの。
 それが魔力によって存在を放つ限り、集った飛竜たちは好き勝手に振舞えない。
「はぁ、はぁ、はぁ」
 だが深く呼吸を刻むデオンに、余力が残っているようには見受けられない。
 彼はもう既に限界なのだ。
 彼の召喚者はバーサクの呪いによって理性を奪い、自害の禁止と、命令への絶対服従を、
令呪によって強制した。本来そのような命令は、喩え十の令呪を費やしても叶わないだろ
うが、召喚者は既に聖杯を掌握した身であった。
 その繋がり故か、彼の肉体には通常ではあり得ないような負荷が掛かり、常に戦いを強
要されるのだ。
 その様な状況下で、彼は『是は戦いに措ける布石だ』と自らに暗示させるように言い聞
かせ、命令には反していない風を装う。
 だがそれも限界なのだ。
 飛竜を御す為に魔力を割いている所為で、押さえつけた理性の下で、バーサクの呪いが
激しく暴れているのを感じる。それは脳内を毛虫が這うような気持ち悪さと、脳の皺一本
一本に爪を立てて引くような痛みだ。
 とても常人に耐えられるようなものではない。
「あぁ、でもこれこそが私に相応しいっ!!」
 痛みを誤魔化すために、それを口にした瞬間、続く言葉は止め処なく溢れた。
「あぁそうとも!!裏切りの騎士にはこれが相応しい報いだ!!」
 裏切った訳ではない。
 好き好んで敵に回った訳ではない。
 ただ星の巡りが悪かった。
 そう、思っていた……。
「あぁ、そうともシュヴァリエ・デオン!!この思い上がった騎士め!!」
 巡りが違えば、自分もきっとフランスを守護する側として召喚されていただろう。
 そしてあの白百合の聖女と轡を並べて戦っていたに違いない……そう思っていた。
「なんて思い上がりだッ。勘違いも甚だしい!!あの御方の決意に比べれば、私の決意など、
蟻の如き矮小さだ!!」
 シュヴァリエ・デオンはフランス国に所属した、フランス国民としての義務感からフラ
ンスを救いたいと願った。それ自体は素晴らしく、誰かに責められるようなものではない。
 だが騎士が忠節を捧げた彼の主人は、王家の義務としてではなく、フランスという国を
愛するが故に救うのだと言った。
 夫を殺し、自らを殺め、その息子すら死に追いやったフランス。
 彼女はその罪を赦し、あまつさえ救うと言ったのだ。
「あの決意、あの言葉に比べたなら、私の義務感など最早裏切りに等しい!!」
 デオンはあの革命の結末を憎んでいる。
 恨んでいる。
 だがその様な個人的感情は棚上げし、デオンはその義務感からフランスを救おうとした。
 
 そんな動機が、王妃のあの輝きに照らし出されたとき、あの様な目に遭わされた王妃が
『それでも私はフランスを愛するわ』と覚悟を口にした時、デオンは自分の中にあった動
機が、裏切りに等しい醜さとして映しだされたのだ。
「あぁ、そうだ!!自分はこんなにもフランスを嫌っていたのだ!!」
 それを口にして自覚した瞬間、デオンの両目からは悔し涙が溢れた。
 事実、シュヴァリエ・デオンの生涯は、フランスではなくロンドンでその幕を閉じる。
 それがデオンの真実ほんしんであったのだ。
 だからこの痛みは、フランス救国の戦列に加われると思い上がった騎士に下される罰な
のである。
 あぁ、そうとも。
 お前如きが救国の聖戦に加わろうなどとは烏滸おこがましい。
 お前はまるで、王を裏切ってなお、王の下に加わろうとした裏切りの騎士ランスロットのようだ。
「アァアアアアアアア!!」
 痛みと自責の念がデオンの肉体を激しく苛む。
 遂に片膝すら立てていられず、デオンは両手を地面についた。
 だがそれでも、飛竜を御すための魔力供給を止めようとはしない。
 最早、こうして裁かれる以外に、この哀れな騎士には救いがないのだ。
「いいえ、それすらも嘘だわ」
「…………え」
 不思議とその声は透き通るように、静かにデオンの耳に届いた。
 嵐のような飛竜の羽ばたきの最中、聞こえる筈のない声をデオンは確かに聞いた。
「悲しい事ばかりに目を向けては駄目。悲嘆に暮れたった、美しい未来は訪れないわ」
 黒く染まった視界の向こうに、騎士は確かに輝ける己が主人の姿を見定める。
 美しき硝子の馬に騎乗し、その背に白百合の紋章を掲げる旗持ちを同乗させ、敬愛して
やまない主人は未来を謳う様に宣言する。
「だからフランス人わたしたちは歌い続けるの!!さんざめく花のように、陽のように。咲き誇るのよ、
踊り続けるの!!」
 それはフランスの理念。
 華やかに、ただ華やかに、もっと華やかに。
 花は枯れ、花は散り、たとえその球根が腐り落ちようとも、フランスという土壌には必
ず誰もが見蕩れるような花が咲くのだと。
「いきますわよ、『百合の王冠に栄光あれギロチン・ブレイカー!!』」
 真名開放に命を持たない筈の硝子の馬が嘶き、輝きを放ちながら突進してくる。
 放たれる輝きは正にフランス王家の栄光。
 その輝きは虚構かもしれない。
 その輝きは硝子のように脆いのかもしれない。
 だがそれでもフランスという国は、一時の輝ける栄華さえあればそれで良しとする。
 恐るべき衰退よりも、混乱よりも、フランスは次の花が咲かないことこそを恐れるのだ。
「あぁ、なんて……」
 あぁ、なんとフランスとは美しく破滅的なのだろう。
 そうだ確かにあの輝ける日々は、砂上の楼閣に打ち立てられた栄光の日々だった。
 だがたとえそうだとしても、ベルサイユの日々は素晴らしく、煌きに満ちたものだった。
 ならば我々は笑わなくてはなるまい。
 たとえどんなに悲嘆に暮れようとも、次の栄光の日々を思い描いて笑うのだ。
「ならば、我が誇りにかけて!!」
 両足に力が籠もる。
 悲しみと絶望に屈した膝には力が入り、自責の念に曲がった背には、一本の芯が通る。
 剣を掲げ、誇りを掲げ、デオンは飛竜の黒々とした渦に飲み込まれつつある百合の輝き
に向け、今万感の思いを込めてその宝具を奉じる。
「王家の百合よ永遠なれ。『百合の花咲く豪華絢爛フルール・ド・リス!!』」
 叫ぶようなデオンの真名開放。
 それと共に空にはステンドグラスに描かれた百合の紋章が浮かび上がる。
 その宝具は王家の栄光を奉じるデオンの有り方、それを宝具へと昇華した物。
 その宝具に一切の指向性はなく、その宝具はただ目撃したものを、王家の威光によって
威圧し、竦ませ、そして魅了するという対軍宝具。
「併せて聴くがいい!!魔の響きを!! 『死神のための葬送曲レクイエム・フォー・デス』!!」
 デオンが展開した宝具に重ねるように、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの
奏でる死神の音色が戦場に響き渡る。
 視覚と聴覚から襲い来る重圧と威圧の協奏に、戦場を飛び交う飛竜たちはまるで毒を飲
まされたかのように、バランスを崩し、羽ばたき方を忘れ、全て残らず地面に墜落した。
 戦場の極点と極点から同時に放たれた対軍宝具に、戦場の中心部は混乱を極め、戦いは
戦い所ではなくなった。
 ――だが。
「『百合の王冠に栄光あれギロチン・ブレイカー!!』」
 再び告げられる真名行使により、黒い群れに埋もれたかけた硝子の馬が息を吹きかえす。
 硝子の馬は魔力の籠もった硝子の蹄で、地に伏して動けずにいる飛竜の群れを踏みしだ
きながら駆け抜ける。その勢いは最初の真名開放の時より明らかに威力を増しており、そ
の蹂躙を阻む物は最早ない。
「あぁ、そうだ!!そうだとも!!」
 その力強い走行をデオンは宝具の展開を続けながら歓喜を持って迎える。
 デオンの対軍宝具に敵味方を識別するような力は備わっていない。
 自分以外のサーヴァントにさえ効くのであれば、それは宝具としては事足りるからだ。
 だがその宝具には極限られた例外がある。
 それは使用者であるデオンには効かないという点と、フランス王家の象徴たる王族に効
かないという極当たり前の点、そして同じく白百合の紋章を旗として掲げる聖女にも効か
ないという点だ。
 いや寧ろ白百合の紋章を奉じられた二人は、デオンの宝具によってその力を増している。
「シュヴァリエ、覚悟!!」
 間合いにはいった聖女が硝子の馬の背から旗を構えて飛び掛る。
「応とも!!」
 騎士は喜びに満ちた晴れやかな表情で構えた剣にて応じる。
 飛び掛る聖女の一撃を避わしても、二撃目にやってくる王妃の宝具を避わす事は不可能。
 ならば活路は聖女渾身の一撃を見事受けきり、鍔競りあって、王妃の方から回避しても
らう他ない。
「「はぁっ!!」」
 二つの気合いが重なる。
 空中から踊りかかり振り下ろす聖女の一撃に、騎士はタイミングと狙い所、その全てを
此処しかないという絶妙さで剣を合わせる。
 だが……。
「ふは」
 思わず笑みが零れる。
 細剣レイピアに受けはないのだ。
 ましてやそれはデオンの宝具によって強化された聖女の一撃だ。
 名も無き名工が作り上げた騎士の細剣は、聖女の旗の前にその刀身を砕かれ、デオンは
旗の穂先に装着された剣先によって袈裟懸けに切られていた。
 それは霊核を切裂かれた致命傷だった。
「あぁ、ようやくこれで終われる」
 崩れて光の粒子に変じる自らの肉体を眺めながら、デオンはこれでようやくこの悪い夢
から覚めることができると言った。
「元々、私が白百合の紋章を掲げる貴女に勝てる筈などなかったのだ」
 消滅の間際、シュヴァリエ・デオンはようやく、バーサクの呪いに曇った目ではなく、
曇りないその眼で聖女を見つめる事ができた。騎士ならば……いや、フランスに住まう人
間であれば誰もが憧れる英雄譚、その主人公を。
「あぁ、許されるのなら、白百合の旗の下、貴女と共に戦いたかった」
 それが最早叶わぬと知りながら、それでも騎士はその望みを口に出せずには居られない。
「そうですね……。えぇ、不謹慎ではありますが、その時貴方の様な騎士が共に戦ってく
れるのならば心強いです」
「ふふ、そう言って頂けますか」
 デオンは子供の様に笑いながら、その様な未来が訪れないよう、この心優しい聖女の為
にそっと祈った。
 戦ったからこそ分かる。ジャンヌ・ダルクは戦いに向いていない。
 だから、フランスの聖女が戦わなくて良いように、騎士は祈るのだ。
「シュヴァリエ……」
「あぁ、王妃。このような姿で申し訳ありません」
「いえ、いいの。大丈夫よ」
 羽根付きの帽子は飛ばされ、服は血まみれで膝をついていたデオンが、それでも臣下の
礼をとろうとその身をよじらせるのを見て、マリーは静かにそれを諌めた。
 ジャンヌが倒れそうになる騎士の背をそっと支えると、デオンは言葉もないといった様
子で、静かに黙礼をした。
 そして改めて己が主人に向き直ると、デオンは言葉を喪った。
「泣いて、おられるのですか王妃」
「当然よ。この私が、フランスの……私の騎士を倒してしまったのよ」
 さめざめと泣く王妃を前に、デオンは胸を締め付けられる。
 あぁ、なんて強く、脆い御方なのだろう。
 きっとこの方はフランス王の死に際しても、こうして静かに泣いておられたのだろう。
 そうして処刑の日には、そのような姿はおくびも出さずに、凛と旅立たれたのだ。
「とるに足らぬ一介の騎士が消滅するだけです、王妃よ。貴女様が涙する理由にはなりま
せん」
「いいえ、貴女がどれ程自身を卑下しようとも、私にとっては愛する国民であって、貴女
は私の大切な騎士なのよ、デオン」
「……あぁ、恐れ多くもこうして言葉を交わしておりますと、後悔ばかりが募ります。何
故貴女の様な尊い御方が死ななければ成らなかったのか」
 サーヴァントとして現界するマリー・アントワネットには、フランス革命の後、その後
の記録がある筈だ。自身の息子、無冠の王、ルイ17世がいったいどの様に殺されていった
かを知っているはずだ。
 それでも彼女はこうして愛する国民という言葉を使ってくれるのだ。
「あの時代、あなたを苛んだ運命が呪わしく、こうして貴女様に敵としてまみえるしかな
かった自らの運命が呪わしい」
「言いましたでしょう?全ては未来の為にあるのだと」
「えぇ、そうでした……」
「「フランスに栄光あれヴィヴ・ラ・フランス!!」」
 消えゆく身体でそう唱えた、シュヴァリエは、泣き笑ったような顔で消滅していく。
 そうして消えゆく身体で遠くに佇む男を睨み付ける。
 その男は人を馬鹿にしたような態度であったが、それでもその目は委細承知と請合った。
 そうしてデオンは心の中で、『貴女がフランスので光栄でした』と感謝を捧げ、消え
去るのだった。










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