FATE/EXTRA STORY3






 無数のひびがコンクリートにはしった建物。耐用年数をゆうに越えて古いアパートメントが立ち並ぶ一角は、健全な生活を送る人間が立ち入るには相応しくない別世界だ。
 方向性のない暴力により割られた街灯は、この街のあり方をよく示している。明りは毒々しいネオンで彩られ、目に痛い明りの下には香水を振りまいた女達が、夜の快楽へと誘うために男たちに笑顔を振りまいている。
 そんな場所を少女といって差し支えのない人間が歩いている。
 赤いコートを身にまとい、この国では珍しい純粋な黒髪をなびかせながら歩く少女。その姿は一様に街の人間の目を引き、客引きの女ですら仕事を忘れて視線を向けている。
 一見して日本人と分かるその容姿は、この街の人間を誘蛾灯のように引き付ける。
その姿を最初に見止めた男達が目配せをして少女の後を付ける。すると別の一団もやって来て、最初に後を追い始めた男達を追い払う。そんな繰り返しが少女の背後で幾度も少女の気付かぬ内に行われた。まるで誘蛾灯に集められた毒虫たちを争わせ、毒の純度を上げるように。
 そんな様子を見送るネオンの下で生きる女たちの視線は、多少の同情が混ざっている。そしてそれはよくある話しだと見送っている。自分たちもそうだった。あれはスカウトのようなものだ。襲われ、奪われ、ありったけのコカインを体に打ち込まれ、掛かった費用以上の金を上の人間に上納する為、どこかの組織の歯車に成り下がる。後はもう逃げられない人生だけが待っている。
 だから誰かが、思った。
 もし、自分と同じ組織にあの娘が組み込まれたら、今日だけは肉のたっぷり入ったシチューと柔らかいパンであの娘を慰めてやろうと。
 少女は心身共にボロボロにされてしまうのだから。



FATE/EXTRA STORY3



「ぐふっう」
それが男の意識が失われる前に残した言葉だった。
暗い街の一角、女一人を襲い連れ込むには最適の場所だった。男達はそんな作業は手馴れており、それが仕事だった。今日の獲物は日本人だったから、財布の中身は襲った中間達で分けあってしまおうと、ボーナス気分で狩りに望んだ。
 だが現実は自分たちが狩られるという結末だった。女からの反撃ではない。それは突如として理不尽にも男たちの後ろから襲いかかってきたのだから。
「あのさ、もっとこう首筋にしゅぱっとやる感じで倒すんじゃないの、こういうのって?」
足元に転がった男達に不満をいう訳でもなく目の前の少女、いやマスターは不恰好な手刀を何度も繰り返しながら私に不満を言ってくる。
「なんで殴っちゃうかな〜、格好よくない」
「私は手刀で人を気絶させられるほど器用ではないよ。やろうと思っても成功率は九割ほどといった所だが、マスターは格好よさの為に一割の危険を招きたかったのかね」
人間はそれぞれに耐久度が違う。軽く殴っただけで気絶する人間がいれば、後頭部を鈍器で殴っても立っている人間だっている。暴力を生業に生きる人間に手刀などという曖昧な手段を用いるのは、それこそ格好の良いフィクションの中だけだろう。
「そっか、私の為か。ふふ、じゃぁまぁいっか」
 嬉しそうに笑うマスター。この笑顔を毎日のように見ていれば、無意識的に必要以上の力で男達を込めて殴ってしまったこともしょうがないだろう。
 男達の下衆な手が、マスターに触れることなど考えたたくもない事態だ。
 なんというか、我ながら少しマスターの安全に対して過剰になっている気がする。
 まぁこの感情が父性・・というものなのだろう。
「よいしょっと」
 マスターが地面に倒れた一番身なりの良い男の腕を持ち上げ、手にした端末で男の指紋を採取する。すると膨大なデータの中から男の素性が次々と判明し、端末のディスプレイへとその詳細が表示される。
「やったね。次のターゲットが一発で判明」
「やれやれ、今回は早く片付きそうだ」
ん、とマスターから投げ渡された端末を見ると、男が所属する組織図が事細かく表示されていた。その情報には誤りなどある筈もなく、末端の末端、無自覚にも組織に所属している人間までもが表示されていた。
「じゃ、私は戻るから送って。後はもうアーチャーの仕事でしょ」
「了解した」
マスターの細い体に腕を回し抱え上げる。
 すると、かってしったるなんとやらと言わんばかりに、マスターは首に腕を絡めてくる。
「では、精々しっかり掴まっていろ」
 崩れかけたアパートの壁を蹴り、夜空へと一気に踊り出す。
 チェックインしてあるホテルまでの最短ルートを頭に描きながら、人目につき難いルートを選択し屋根の上を跳ぶように駆け進む。
 それはマスター自身の安全を考慮しての行動だというのに、腕の中のマスターは夜空を飛び跳ねる行動を、悲鳴を上げながら楽しんでいる。恐らく遊園地か何かと勘違いしているのだろう。
だからだろう、建前としては悲鳴を置き去りにする速度を出せば問題ないという考えで、本音を言えばもっと楽しませてやろうという悪戯心にも似た感情で。
 心地良い笑い声を聞きながら、俺は速度を上げホテルまで無事マスターを送り届けたのだ。


 月で行われた聖杯戦争後、俺はマスター共々データとして消えるはずだった。
 自身の願いと出自すら分からないままただ生存を望み、その一念だけで数多の敵を打ち倒したマスター。その誇らしいまでの生き方を、得がたい出会いであったと胸の内にしまいながら俺は消えるはずだった。
 だが、消えなかった。いや、消えたと思っていた。
 最終決戦の後、確かに俺は聖杯の中で一度分解された。
新たな役割が回ってくるまで英霊の座で過ごすはずだった。
だが目を開けばそこは地上だった。
 それは全く、笑ってしまうような偶然だ。
 マスターが聖杯に願った事は、トワイス・H・ピースマンが生み出した火種を消す事で、俺は争いの火種を消すことに長けた存在、正義の味方だった。
それが俺の存在する理由、聖杯が導き出した最も効率的な方法。
それからの事は、まぁ簡単といえば簡単だ。
マスターが眠る冬眠装置を探し、覚醒させた。
患っていた記憶障害は、月の聖杯をマスターの記憶のデータバンクとする事で解決した。
今では週に一度地上から電脳を介して聖杯に接続するだけで、失われそうになる記憶を補強し、補い、マスターは健常者と変る事のない生活を送れるはずだったのだが…………なんというか困った事に彼女は俺の火消し作業に着いて来てしまった。
「私がアーチャーの事をマネージメントしてあげる。大丈夫よ、私のバックには聖杯が付いているし、大抵の事は調べあげてみせるから」
 そういわれて、かつてマスターに自分の過去を打ち明けてしまった事を思い出した。
 無銘という名の英雄にはかつてそれをマネージメントする存在が傍に居て、親友と評しても差し支えのないその人間に俺は裏切られ吊るされた。その話を知った上で、マスターは自らをマネージメントする存在だと言ってのけた。
 マスターの指示は的確だ。それは俺という不出来な英霊と共に聖杯戦争を勝利という形で終えた事によりその能力は証明されている。
 同情かも知れない、哀れまれたのかもしれない。
 正義の味方というシステムに憧れ、身を焦がした人間に掛けた情けなのかもしれない。 
 だがマネージメントすると言われた時、俺は生きることに愚直なマスターを見守っていける機会を得たのだと思った。
 マスターという存在がこの世界で何を成すのか、誰を救うのか、それを見守り、助け、守護するのは、他の英雄などには譲れない俺の役割だと打ち震えたのだ。

「まぁこんなものかね」
マスターを送り届けた後、聖杯から端末へと送られた情報に従い、組織のトップに立つ人間の屋敷を強襲した。
持ち込んだのはハンドガン一丁。トップの人間の両手を鉛弾で打ち抜き、悲鳴に反応し部屋になだれ込んで来た男の部下たちの両手を同じように同じ箇所を打ち抜いた。弾が切れる度マガジンごと投影し、全ての人間に消えることのない負傷を負わせた。
反撃の弾丸、ハンドガンなどとは比べ物にならない連射性を誇るマシンガンの咆哮が、幾度か体を掠めることはあったが、サーヴァントの肉体に傷を負わせる事はなかった。
 そうして、組織という体面を維持できないほどに屈辱を与え、たった一人の人間に壊滅させられたという事実だけを残した。
 アサシンの様に、顔を覆った布を解きながら、俺は堂々と、崩れかけた正面玄関から退出したのだった。
 夜が明けた。街のネオン光はその色を失い、次々と消えていく。
 気の早いマーケットならもう既に朝市を開いている時間だ。マスターはまだ寝ているはず。ならば、このままホテルに戻る事はせずに、市場で新鮮な食材を買い集めてマスターの為に腕を振るうのもいいだろう。
 その国特有の土と気候に育てられた新鮮な食材は、輸入された物などと比べるまでもない程に美味いのだから、本場の味を作るのも悪い考えではないだろう。
 組織を壊滅させたその足で、俺は市場へと向かうことにしたのだ。



※  ※  ※  ※  ※  ※



「おはよう。起きたかねマスター」
「うん、おはよ〜」
眠たげな目を擦りながら、ウェーブの掛かった髪をボサボサにしたマスターがベッドから這い出てきた。もうすぐで朝食が出来上がるいい時間だ。
「ほら、まずは顔を洗ってきたまえ。洗面所の場所は分かるかね?部屋を出て、廊下の右手だぞ」
「うぅ〜、行ってきます」
「あぁ違う違う、それではベッドルームに戻ってしまう。ちょっとそこで待ちたまえ」
ボールの中でドレッシングとサラダを絡めていた作業を一端止め、流しで軽く手を洗ってから掛けたエプロンで水気を拭う。ぼんやりと立っているマスターの手を引いて洗面所まで連れていく。
「ほら顔を洗ってしっかり目を覚ましたまえ」
「うう」
肯定の声か、不満の呻きなのか、マスターは蛇口を一気に捻って大量の水で顔をバッシャバッシャと洗い始める。
「あぁ、そんな洗い方をしては髪に水が飛ぶぞ。君はブラシを掛ける手間を増やす気か」
「もう、アーチャーうるさい」
「小言を言われるのが嫌ならもう少ししっかりしたまえ。ほらタオル」
「んん」
ゴシゴシと顔を拭くマスター。濡れたタオルを受け取り、換わりにブラシをその手に握らせる。するとパッチリと覚めた目を不満げに細めて文句を言ってくる。
「アーチャーがセットしてくれるんじゃないの」
「後で面倒をみてやるさ。だが、朝食の準備が整うまでの間でいいから、鏡の前でその寝癖を多少なりとも寝かしつけてくれ」
「は〜い」
不納得を滲ませた返事をしながら、鏡の前でブラシを片手に自身の髪の毛と格闘を始めるマスター。その姿を確認してからまだ途中だった料理に取り掛かる。
やはりしっかりとしたキッチンが備わっているレジデンシャルタイプのホテルは良い。調理器具や食器も数が豊富で、どんな料理レシピを思い描いても対応できるようになっているし、このホテルは簡単な調味料なら貸し出してくれる。これは高評価に値するサービスだ。
完成した料理を、数ある食器から相応しいものに盛り付け、バスケットには朝市で買った焼き立てのパンをブレッドカッターで手ごろな大きさに切り分けてから詰め込み、テーブルへと並べる。
「マスター。準備ができたぞ、髪の方は後で整えてやるから先ずは食卓に着きたまえ」
呼び声を上げると、室内用のスリッパをトテトテと鳴らしながら、マスターがやってくる。作りたての朝食を挟む形で対面に座り、決まりきった呪文を共に唱える。
「「いただきます」」
「今日朝市に行ったらちょうどいい具合に熟したアボカドが売っていてね、昨夜購入したサーモンを薄くスライスしてサラダにしてみた。オリーブオイルを基本に作ったドレッシングをかけてある。そのまま食べてもマスターの舌を十分に満足させる自信はあるが、お勧めの食し方はパンにマーガリンをたっぷりと塗り、その上にサーモンとアボカドのサラダを乗せて食べる事だ」
 日本の気候では栽培も難しいアボカドだが、やはり産地となると味が違う。摘み取られてから長い期間を船で日本へと輸送される期間がない分、その味は本物だ。マーケットで手に取った時は、その質感にこれだと直感させる程の衝撃だった。
「なんか本当にアーチャーって料理好きだよね」
パンを片手にフォークでサラダを突付きながらマスターが呆れたような口調で言い放つ。
「そう見えるかね」
作った料理にマスターが次々と手を伸ばす様子に料理の手応えを感じつつ、聞き返す。
 するとマスターは動かしていた手をパタリと止めて言い放った。
「見えないとでも思ったか、このエプロン英霊」
 それはもう何言ってんだコイツ?といった具合で。
「な、なんだねその形容は!?」
「英霊のくせに、エプロン姿が似合う人物に送られる称号。あ〜、月に居た頃から小言が多いな〜って思ってたけど、まさか料理まで出来ちゃうとはね〜しかも美味しいし……」
「撤回を要求する、マスター。食事は人が生きていくうえで不可欠な要素であり、料理とは食材を効率よく摂取するために生み出された人の技術だ。そしてエプロンとは服を汚さず、家事の手間を省く料理をする人間にとって必要不可欠な装備だ」
「つまり食べなきゃ生きていけないし、どうせ食べるなら美味しい物を作って、服は汚したくないからエプロン着けたら便利でしょってこと?」
「肯定だ」
 まぁ概ねその理解で間違いはないだろう。いくつか付け足させてもらうとすれば、マスターは料理が出来ないのだから、俺が率先して作るしかないといった理由があるのだが……。
「まぁエプロン英霊って呼ばれるのが嫌なら呼ばないけどさ…………でも……」
「でも?」
「お母さんみたいだよね、アーチャーって」
そう言って、マスターは勧めた通りにアボカドとサーモンを乗せたパンに齧りついた。
 それは意外な一言だった。そして俺を『あぁ、そうか』と納得させる言葉だった。
 128体もの英霊を集め行われた聖杯戦争。マスターは紛れもなくその頂点に立つ存在だが、その本質は未だ少女のそれだ。彼女に両親は既になく、少女は無意識的に親というものを必要としているのだ。
無理もない。いや、それは当然の事だ。
俺という存在もかつて少年だった頃に親というものを失った。だが俺の傍には『親父』と呼べる存在が居てくれた。
あぁそうか、俺と彼女は似ていて、俺は無意識にも親父がかつて俺にしてくれたことをしていたんだ。
世界に一人だけ取り残される悲しみに潰れないよう、俺はマスターを守っていたのだ。
「ふふ、そういうことか……」
「何?どうかしたアーチャー」
食べ終えたマスターがご馳走様と頭を下げて、不思議そうに問いかけてくる。
「なに、大した事ではないさ……。どれ、食後のお茶を入れようマスター。その国に流れる水で入れる茶は他と比べるまでもなく、旨いものだよ」
「ありがとぉアーチャー」
「飲み終えたら、歯を磨いてくるといい。その後は髪を梳きながら今後の行動について話し合おう」
「あれ、アーチャーひょっとして普段より優しい?」
「さて、そうだろう。兎も角我々にはすべきことが山とあるのだ。トワイスが残した火種を拡大解釈して世界中の争いに首を突っ込もうと言うのだ、時間は最大限有効に使わなくてはな」
「ん、了解」
争いとは生き物だ。
 どこかでそれを静めても、また新たに争いの種は芽吹きだす。
 争いの源流はどこか、発端はどこにあるのか、それはトワイスが撒いた火種を拡大解釈した時点で意味はなくなった。我々が介入する争いには全てトワイスの影がちらついている事になっているのだから。
「ねぇ、アーチャー」
「何かね、マスター」
「ありがとうね…………その、色々と」
「気にする事はない。君がこの道を行く限り、私は貴女に仕えるのだから」
 そう、戦いは決して終わらない。
 だから二人のこの関係も終わることはないのだろう……。




fin