FATE/EXTRA STORY1






 幕は降りた。
聖杯という願いに集められた役者は
月の舞台でその願いと生存を賭けてその人生やくまわりを演じた。
既に役者はいない。
跡に残ったのは幕の降りた舞台だけ。
だが、もし…………
もしもその劇に惜しみない喝采が贈られるのなら……
観客たる観測者が名残惜しむ鳴り止まない喝采を贈ってくれるのなら……

再度幕は挙がるアンコール』は此処に始まる。




FATE/EXTRA STORY




王の話をしよう。
世界に悪名を振りまいた暴虐なる王の話を。
彼女は月の聖杯ムーンセルによって再現された英雄であり、聖杯戦争を勝ち残ったサーヴァントでもある。最弱のマスターに仕え、その剣となって世界に勇名と武名と悪名を轟かせたサーヴァントを打ち倒したサーヴァントである。
本来、マスターの消滅とデータの海へと消える運命にあった彼女は、未だに最終決戦の地において留まり続けていた。
「ふむ!この殺風景で華も無い風景にも多少は飾り気が出てきたな」
満足そうに頷く彼女は、空に浮かぶ聖杯に同意を求めるように話しかける。
本来自己意識を持たないはずのセラフであったが、彼女の問いかけに応じるために、聖杯戦争の監督役であった神父のNPCを決戦場に再生した。
再生された彼は、聖杯の意思を語る事無く、元になった人格に基づいて、実に嫌そうに答えた。
「君が庭園を作るのが趣味なのは重々承知している。だが観測者である聖杯内にこの様な趣のある装飾を凝らされては、ただ無色に観測を続けるだけの聖杯に支障をきたす。暴虐な君に無駄だと理解しながらも諫言すれば、このような事は即刻止めて貰いたいものだ」
本来この場所は意味を持たないように、努めて殺風景だった。
彼女の前に此処に居座った人間は、そんな風景にさして不満を抱く事もなく、ただ粛々と座してこの世界に棺を増やし続けていただけだった。そう、その程度の意味のない行為ならセラフは許容できた。思想なく、色のない無機物な物が増えるだけなら、それが幾つ積み上がろうと、セラフは関知しなかったのだが……。
「ほう、打てども響かぬ朴訥な人間かと思ったが、余の芸術を理解するとはな……うむ、余は気分が良い、益々創作意欲が沸いてきた。褒めてつかわすぞ神父よ」
そういって稀代の芸術家を自称する彼女は意気揚々と新たな作品創作取り掛かった。
後悔という機能が備わっていないセラフが、後悔するとしたら、このことなのだろう。
この世界は殺風景だとギリシア調の庭園を作り始め、話し相手が欲しいと騒ぎ始め過去の人物をセラフに再現するように求める。酷い時にはコンサートを開くと言い出し、かの黄金宮殿の客席を埋めるだけの聴衆を用意させたりもした。
尊大にして、浪費家、芸術という身勝手を存分に行使する姿は実にネロらしい振る舞いだ。
彼女にとって聖杯すら浪費する対象らしい。だが、この聖杯はアラビアの聖杯とは違い三回までという制約はない。もし、月の聖杯に魔人が住んでいたのなら、魔人は今頃皇帝ネロの振る舞いによって心労で倒れているかもしれない。
再現された神父は、かの悪逆皇帝ネロから賞賛を受けたことを自虐的に笑い、創作に夢中になる少女の背中を見つめながら、世界から消えた。
「消えたか……」
揚々と創作に励んでいたはずの少女は、世界から消えたNPCの気配に呟きをもらした。
存在の名残すら残さないままに、自分の問いかけた問答に応えるという役目を終えた神父は消えた。
その呆気なさにまた少し、寂しさが募った。
「我が身からでたサビとはいえ、辛いな……やはり」
そう、聖杯のルールに従えばマスターの居ない今、セイバーのクラスに割り振られたサーヴァントが存在していられる道理はなかった。
令呪を失えばサーヴァントは消える。
令呪を保持するマスターが消えればサーヴァントは消える。
その逃れられない運命故に、彼女は運命を定めた聖杯に提案を持ちかけた。
『余を消さないでくれ!!お前が願いを叶える聖杯だというのなら、余の願いを聞き届けてくれ!!代償に余は、聖杯お前を守護する剣となろう』
そうして彼女はこの誰も居ない世界で一人、地面に突き立てた一振りの剣の様に衰退も繁栄もない世界で生きている。
『余のことは気にせず、新しい人生を好きに生きよ』
そんな素直な言葉を贈りたかった。
『たまにで良い。月を見上げたときにでも余の事を想い返してくれ』
そんな言葉を贈り、小さな奇跡を願うだけでよかった。
だが、少女ネロは何処までも身勝手で、何処までも傍若だった。
ネロとして生き、ネロとして死んだ彼女は、消え逝く末期に彼女に相応しい最後の言葉を吐いてしまった。
『そうか、お主は消える訳ではないのだな。うむ、ならば足しげく余の元を訪ねるがいい』
それは呪いに似た言葉。
愛した人間の、記憶を失う奏者の真白な未来を定める言葉。
その言葉をかつて敵対した元老議員のように否定してくれて構わなかった。
後世のローマ市民のように自分の言葉を聞き流してくれて構わなかった。
だが彼女の奏者は少しの間真剣に思案してから、『わかった』と消え行く笑顔で言い残した。
地上で生きる奏者が目覚める保障はない。それに自分に関する記憶も一切ない。
なのに、彼女の奏者は『わかった』と言い残した。
彼女の吐いた呪いにも似た言葉は、余す事無く自身に還った。
もしも、奏者が目覚め、もしも何かの間違えで再会を願ってくれた時、自分が消えてなくなっていたら、余は奏者を最も最低な形で裏切る事になる。
それが彼女が掛かった呪い。
自身に還った呪い。
故に少女は少年に次いで消え逝く時、叫ばずにはいられなかった。
その願いを口にせずにはいられなかった。
『余を消さないでくれ!!お前が願いを叶える聖杯だというのなら、余の願いを聞き届けてくれ!!代償に余は、聖杯お前を守護する剣となろう』
奏者が自分の事を忘れてしまっていても構わない、全ての思い出を失っていても構わない。
また再会できるなんて夢にも願いませんから、どうか、どうか聖杯よ、私に彼を裏切ってしまうかもしれない未来を与えないで下さいと。
それが最後の勝者となったサーヴァントの願いとなった。
彼女は一人、孤独な世界に佇む。
自身が放った呪いの懺悔を果たすべく、孤独な世界に存在し続ける。
懺悔は終わらないだろう。
奏者は搭の上で冷凍冬眠魔法にかかった王子様。
いつ目覚めるとも知れぬ、目覚めることを知らない、ただ眠り続ける王子様。
彼が世界で生き続ける限り、彼女の懺悔は終わらない。
誰も訪れることのない舞台に只一人取り残された役者は、舞台を煌びやかな装飾で飾り付ける。幕の降りた舞台を、開く事の無い幕の裏側で、ネロはいつまでもいつまでも、懺悔のように飾り続ける。


※  ※  ※  ※  ※  ※


少年の話をしよう。
聖杯戦争でサーヴァントと共に全ての壁を乗り越えた青年の話だ。
彼は紛れもなく勝者であったが、故障バグでもあった。彼に与えられたのは取るに足らない書き割りの配役。だが彼はその役回りを逸脱した。その解脱にも似た心の在り様こそ、彼を聖杯戦争の勝者へと押し上げ、遂には聖杯を掴む程の頂に押し上げた。
だが月の聖杯はバグを許容しない。
聖杯に注がれたデータの海の中、彼は自らの願いを願うことなく、その僅かな消去デリートまでの時間をトワイス・H・ピースマンが撒いた火種の消去デリートに費やした。
可能性の器、ラプラスの杯、天上の聖杯。
それを僅かな時とはいえその手に収めた少年の願いは、誰かの幸せを願うものとなった。
それはまるで英雄の所業。空ろと消えさる正義の味方。
彼が聖杯に平和を願った事を知る人間は余りに少ない。
世界に生きる人々は、やがて降りかかるであろう災厄が振り払われたことをしらない。
変り始めた世界、ゆっくりと錆び付いた発条ぜんまいが回り始めるように、世界に掛けられていた西欧財閥という名の停滞の呪いはゆっくりと、だが確実に解凍されていった。
その発端は西欧財閥の次期当主レオ・B・ハウェイの電脳死にある。
聖杯戦争において万全を期して挑んだ西欧財閥の敗北。
その事実は衝撃となって世界に伝播した。いや、正確にこの出来事を伝えるのであれば、世界を操り動かす人間たちを戦慄させたのだ。
そこに存在する感情は王であるレオを失った悲しみではなく、聖杯という未知の古代遺物が西欧財閥の関知しない人間の手に渡ってしまったということにあった。
財閥を形成する彼らにとって、確かにレオは自分たちを纏める確かな王の器を持っていた。だが、そこにあった感情は、王への敬意ではなく、自分たちを決して変る事のない停滞に留めておいてくれる舞台装置として性能だった。
そして、その装置レオは聖杯戦争によって破壊されてしまったのだ。
世界を牛耳り動かす彼らは、停滞という安寧から、繁栄か、衰退かという本来人間が選択して然るべき問題に生まれて始めて直面した。
自らを新たな王として西欧財閥を取りまとめようとする者。
西欧財閥に見切りをつけ、財産と権利を引き上げる者。
そして全ての変化から目を背け耳を塞いだ者。
王の庇護を失った王国はこうして崩壊への道を進み始めた。
存在して然るべき聖杯の所有者、その存在しない・・・・・人間の影に怯えたのだ。
王国が崩壊していく様は皮肉なことに西欧財閥がいとった変革の証明となった。
そうした世界情勢の中で、少年は自身が世界に変革をもたらした事など一切知らないままに目覚めた。
それは変革の象徴、かつてレジスタンスのシンボルであった遠坂凛が苦心して彼を見つけ出し、進み始めた医療技術を用いて彼を適切に殴った・・・結果でもあり、もう一つの世界を覗けば巨人の穴蔵へと帰還したラニ=[が誰の命でもなく、その心が命じるままにアトラスの技術を駆使して彼を優しく起こした結果である。
彼の目覚めは殴り起こした赤い少女に言わせると、聖杯戦争序盤[出会ったばかりの頃]の姿によく似ていたらしく、彼を優しく起こした青い少女に言わせれば魔女の魔法から醒める王子様のようであるらしかった。
彼が目覚めるという結果を語る上で、二つの過程はそれほど重要ではない。
少年が聖杯戦争に勝利したという事は、その隣には助けた少女が居たということであり、どちらを選択したとしても、助けられた少女は少年の目覚めに尽力するという結果は演算するまでもないことなのだから。
そうして目覚めた彼は傍らに在る少女に問いかける。
『君は何故記憶のない僕にこんなにも良くしてくれるのか』と。
遠坂凛は答える『貴方に借りがあったのよ。それを返さないで生きるのは私が私じゃなくなくなるでしょ』
ラニ=[は答える『貴方は私に心を与えてくれた大切な人だから』
少年は謂れの無い感謝に頭を捻り、二人の少女は自身が体験した少年との出来事を語りだす。
月で行われた只一つの聖杯を巡る戦争を……




※  ※  ※  ※  ※



少年と少女の話
月も星も太陽すらない世界で、少女は一人、芸術を生み出していた。
何も変らないこの世界に時の流れを計る基準など存在せず、唯一年月を推察しようと努力すれば、少女が積み上げた芸術懺悔の数を数えるしか手段はあるまい。
あの彫刻を彫っている時に、不正アクセス侵入者を三度撃退したとか、あの絵画を描いてる時は四度コンサートを開いただとか。
そうして時間というものが酷く曖昧になり、体感時間が薄くなったのか、それとも濃度を増したのかそんな事を気にすることを止めた頃だ。
彼女は地平の彼方に人影を認めた。
「なんだ、もう来たのか。まったく懲りぬ奴らよ、何度来てもこの聖杯はくれてやる訳にはいかんのに……」
そう呟いて、少女は描き進めていた錬鉄工房の図面の作業を中断し、剣を執った。
前回の襲撃からさほど時間はたっていない筈だ。図面の作業がからっきし進んでいないのだから。それに、この世界の中心に座す聖杯は、彼女と彼女の奏者が獲得したものだ。それを厚顔な略奪者風情にくれてやる訳にはいかぬ。
そうして彼女は自らの足で歩き出す。
皇帝が略奪者の為に歩みを向ける。それは彼女の流儀に従えばありえないことだったが、聖杯の周囲には彼女が作り出した芸術が置かれており、敵がどんな攻勢プログラムを所持しているか分からない以上、聖杯の傍で敵を迎え撃つわけにはいかない。
それに錬鉄工房の製図作業が上手く進まないのだ。その憂さを晴らすのもよいだろう。
そうして侵入者に相対した彼女は恐ろしい幻を見る。
「こんにちは」
「…………ぁ」
出会いに交わされた挨拶の言葉。優しげな笑顔。でもそれはとても恐ろしい幻覚だ。
それは彼女が何度も願い、そして、決して聖杯に願わなかった願いだ。
「こんな場所で人と出会うなんて思いませんでした」
聖杯は全ての人物を再生し、再現することが出来る。
その誘惑に何度身を任せようと思ったか、何度、愛しき奏者を、共に戦場を駆け抜けた記憶と共に聖杯にその再現を願おうと思ったか。
その恐ろしくも甘美な幻影が今、ネロの前に立って、微笑みながら話しかけてくる。
「あれ、返事がない…………あ、もしかしてこれがNPCって奴なのか。へぇ〜良く出来ているなぁ」
違う、違うのだ、余は恐ろしくて声が出ないだけだ。もし、目の前に立つそなたが知らぬ間に願い作り出した、都合のいい奏者であったのなら、余は、余は…………
「あ、暖かいそれに柔らかい」
突然に伸ばされた侵入者の手、それは頬、首筋と存在を確かめるように少女を撫でた。
その温もりと存在に、堪え切れず涙が流れた。
「違う、違うのだ、余はNPCなどではない……」
「え?」
その涙に、少年の手は、はたと止まる。
NPCだと勘違いをした少女に涙を流している事に、そして恐らくその涙は自分の為に流されてる事に……。か細い肩は震え、迷子になった子供みたいに、しゃくり上げながら、涙を流す少女。
「余は……余は…………」
余の真名はネロ!!皇帝ネロ・クラウディウス・カエサルアウグストゥス・ゲルマニクス!!
叫びたかった、叫んでその胸に飛び込みたかった。
たとえ幻影でも最早、構わぬと。
寂しく、辛い孤独な世界に生きたことを慰めて欲しかった。
でも、彼女が待ち望んだ奏者の姿をした少年は、名前を呼んでくれなかった。
奏者に愛しさを込めて呼んで貰いたい名前は、悪名として、世界に呪われた名前だった。
それでも、呼んで貰いと願うのに、記憶の無い幻に自分の真名を打ち明けた時、その表情に嫌悪の色が浮かぶ事が怖かった。
「余は…………………余のっ……………余の……名前は……………」
涙は止まらないのに、感情は抑えきれないのに、言葉だけは続かない。
呼んでもらいたくて、せめて一言でいいから、記憶の無い奏者に名前を呼んでもらいたいだけなのに、その名前はどうしようも無く、世界に呪われていて、多くの歴史家たちに歪められていた名前だった。
「ごめん、君の流す涙は、僕の記憶のせいだ。僕の記憶のせいで君を泣かせてる」
優しく手を握り、泣き崩れた少女を少年は慰める。
「ちが、違うのだ。そなたのせいじゃ…………全て……全て……余の」
それでも少女は泣きながら首を振るばかりだ。
そなたは悪くない。悪いのは、全て、全て、と。
「もういい、泣かないで」
そう言って少年は少女の手を離す。
「ぁ……」
繋がっていた手、少年が繋いでいてくれた手すら、今失った。
少年は走り出す。
一直線に、世界の中心たる聖杯に向かって。
「待て、待ってくれ!!」
慌てて、その後を追おうと走り出す。
だが、孤独な世界に馴れすぎた少女は、突然の巻き起こった感情の激流に流され、混乱し、上手く走ることが出来なかった。
その事実にまた泣きそうになった。
余は彼のサーヴァントだったのに……勝者だったのに、その背中を満足に追うことすら出来ない。
走る少年の前に聖杯から階段が伸びる。
少年は脇目も振らずその階段を全力で駆け上がる。
「ダメだ!!昇らないでくれ」
必死に、バラバラに動く手足を動かしながら少年の背中に大声で叫ぶ。
その聖杯はそなたを消去する。そなたが消えてしまったら余はまた一人になる。
「余を……余を…………独りにしないで!!」
その言葉は届く事無く、突然に現れた少年は聖杯に満ちるデータの海へとその姿を消してしまった。
「いやだ……もういやだぁ……」
奏者の幻を見てしまった。
そんな幻を夢見るようになってはもう耐えられない。
独りでいることなんて……夢見た幻を失ってしまうなんて…………
「この世界に独りでいることなんて……もう余には……」
少女はもう動けない。
走る事も出来ず、立ち上がる希望も失った。
そうして泣き動かない少女に優しく声が掛かる。
「ネロ」と
かつてそう呼んでくれたように、あの頃と同じ響きを響かせて。
真名を打ち明けてからは、二人きりの時は必ずそう呼んでくれた、その名前で。
その声に、ゆっくりと、呆然と振り向いた。
「ごめんな、ネロ。ようやく君に逢えた。君にようやく逢いにこれた」
そう囁くような声で、聖杯の中から戻ってきた少年はゆっくりと少女を抱きしめた。
「ふ、ふぁ……わぁぁあああん!!あぁああああああん!!」
そうして少女は回された少年の腕の中で泣いた。
かつて自分が愛した頃の少年と全く変らない存在の腕の中で……。
「目覚めてから、俺、色々な話を聞いたよ。聖杯戦争の事、俺がそれに参加した事、それに勝ち残ったこと」
「寂し、さみしかったのだ。余はずっと独りで、一人きりで!!」
「俺は記憶がなかった。でも月で在った事、一緒に戦ったサーヴァントの事、全部知りたくなって月を目指した。聖杯は全てを記録してるから、俺の記憶はそこにあるだろうって……そう言われたから俺はこうして月を目指したんだ」
「彫刻を彫って、絵画を描いて、設計までして、芸術に逃げようとした。でも、胸の空白は埋まらなくて」
「酷いんだよ。何度聞いても、俺、自分のサーヴァントの名前すら教えてもらえなかったんだよ。それは自分で確かめろってさ」
少年は聖杯戦争の勝者だ。聖杯は勝者に対してあらゆる情報を開示する。
そして、彼が聖杯に飛び込み願った情報は失われた、自分の記憶だ。
記録は真綿が水を吸収するように、自然と彼の中に落ちた。
その記憶は拒否しても構わなかった。
ただの情報として破却しても構わなかった。
その選択の権利は確かに彼にあり、でもそれを選ぶ事はありえなかった。
「ネロ、待っていてくれて有難う。君というサーヴァントのお陰で僕は目覚めることが出来た。勝ち残り、生き残ることが出来た」
聖杯から流れ込んだ記録、それは悩み、悲しみ、笑った彼の記憶。
凛を倒した記録があった。
人形のようなラニを倒した記録があった。
だが、その全てに彼女はいて、記憶も無く願いも無い最弱の自分に仕えてくれた。
その記録を、只の記録だと留め置くことは出来なかった。
悲しみも後悔も、その全てを飲み干して、少年は自分の記憶・・だと誇ることを選択したのだ。
そして記憶を取り戻した少年は高らかに叫ぶ。
「聖杯よ、願いの続きだ!!俺はずうっ〜〜〜〜と、ネロと一緒に居たい。その為の未来を演算しろ!!」
ようやく訪れた勝者の言葉に、聖杯の演算機能が唸りを上げる。
あらゆる可能性、多くの選択肢、世界樹の枝ほどもある未来を、その機能の全てを使って聖杯は演算する。世界に存在するたった二人の幸福な未来の為に。
「そ、奏者よ、そのような願いはその、余りにも露骨ではないか?」
少年の願いを聞いて、腕の中で先程まで泣いていたネロが顔を真っ赤にしている。
それはそうだろう。彼は二人の未来を聖杯に向かって宣誓したのだ。
あらゆる未来の可能性に、大声で宣誓してしまったのだ。
好きな人とずうっと傍に居たいと。
「そうかな?普通だと思うよ」
「そ、そんなことはないだろう!!大体余は好きだ、好きだと、何度もそなたに伝えたが、そなたは碌な返事も返してくれなかったではないか!!」
「あれ、そうだっけ?」
「そうだぞ!!余はそなたの口から愛の言葉を一度も聞いてないのに、何で余伝えるより先に聖杯に宣誓してしまうのだ!!」
最早、怒っているのか、照れているのかも分からないほどに、ネロは顔を真っ赤にして早口にまくしたてている。
でも、聖杯に願ったこと実は対したことじゃない。
「あのさ、ネロ。俺が聖杯に願ったことってただ一緒にいる為のものなんだ」
「うん?」
暴れていた羞恥と、混乱で暴れていた少女が不思議そうに首をかしげる。
少年は、少しだけ大人になって、しっかりと言葉を選ぶ。
「ネロ・クラウディウス、僕の大好きな人。どうかお願いします……僕を愛してくれませんか。一緒にいるだけじゃなくて、一緒に幸せになってくれませんか」
「えっ………あぅ」
そう、一番大切な願いは此処にある。
この願いだけは、願う相手を間違えてはいけない。
この願いだけは、身勝手で、我侭な腕の中の少女に願わなくてはならないのだから。
「そ、その言葉、忘れるでないぞ。よ、余からは決して離れないからな」
早く口で少年の願いを了承した少女は、恥ずかしくて、まともに彼の顔を見れなかったのか、それとも早速その願いを少しだけ叶えてやろうと思ったのか。
少女真っ赤な顔で、少年に不意打ちのキスをした。




fin