The United Kingdom
-第2話-





 無機質。
人工的で機械的、機能を追及した存在物を人は無機質と評する。
ならば空港、つまりは機能を追及されたこのヒースロー国際空港は、無機質と評されるべきなのだろうが、俺にはそれができなかった。
作りがいかに人工的であろうと、そこにいる人は紛れもなく有機的だったからだ。
安心した顔、期待に満ちた目、観光、帰郷、再会。
いろんな感情があふれかえるこの場所を無機質と、生き物の香りがしないといえないからだ。

「さて、いよいよイギリスとご対面だ」
 入国審査を事前に仕込まれた言葉を棒読みすることでパスし、予約を入れてあるホテルまでバスを使う。その為には外に出なければいけない。
ガラス張りの自動ドア、その向こうに見えるのはバス停。
地面はコンクリートに覆われているけど、間違いなくそこはイギリスの地。
目には見えない境界が引かれた、国と国際の境界線。

「大丈夫だよ、セイバー」
 成田空港とは違い、セイバーは緊張していた。
ガラス一枚隔てたこの場所をただ無言に、一歩も動けずにいたのだ
だから手を握った、自然とその小さい手を握り締めていた。
「あ、……その、よく判らないんです。実感というか、ここに私が居ることに違和感を感じるといいますか……だから、士郎の手はとても心強いです」
「大丈夫、アルトリアはちゃんとここに居るし、この国はちゃんと存在する」
 いつものセイバーから想像もできない一人のか細い少女が其処にはいた。
多くの人が行き来するこの場所で、彼女だけ取り残されてしまっているような、迷子の女の子が何もできずにただ立ち竦んでいるような、そんな寂しい気持ちにさせる。
「それでも全てが夢のような気がして…………私はこの夢を、あの境界線を越えてはいけない気がするのです」
 アーサー王として、かつてこの国に君臨していたセイバー。
様々な過去が彼女の足を縛り、動けなくしている。
それまでにイギリスという国は彼女にとって重く、深い物なのだと俺は思い知った。

「だったらさ、俺と越えようよ」
「え」
「ガラス戸一枚越えるのに覚悟なんていらない、夢なら俺も一緒に目覚める、だからさ」
 迷子の、迷子の、女の子。
いろんな人や時間に置いてけぼりにされてしまった女の子。
円卓の騎士を従え、数々の敵を滅ぼし、たくさんの思想、夢をたった一人で乗り越えてきた女の子。
伝説は雄雄しく、偉大。
世界は王を褒め称え、歴史は偉業を称える。
それでもこんなに小さな女の子、抱き上げる体は小さく、軽い。
聖剣を振るうには細すぎるその腕も、多くの業を背負っているその肩も、どれもがアルトリアという一人の女の子が歩んできた道。

だからその小さな全てを抱え上げる。
大きな、背負ってきた全てと一緒に抱え上げる。
腕を足に回して、腕を背中に回す
絵本に描かれた、お姫様のように抱え上げる。

「え、あ、シロウ。降ろしてください」
 腕の中で戸惑い、慌ててるけどそんなの無視だ。
自分の足で動けないなら、俺が足になってやる。
セイバーは過去に囚われちゃいけないんだ、あれだけがんばった彼女がそんなことじゃ駄目だ。
「聞こえないし、これは夢なんかじゃない」
 俺にとってのセイバーは誰よりも何よりも輝いた存在だ。それが夢のはずはないし、夢なんかであるわけがない。

「だから早く行こう。」
 夢なら覚める、けれど覚めることのない夢だってある。
要は何だっていいんだ、セイバーが此処にいることを言葉で、夢なんて言葉で表そうなんて無駄だ。
抱きしめて、手を握って、言葉を交わして、息吹を感じ、視線を絡ませ、混ざり合う。
行動だ、言葉なんて制限された表現じゃなくて、全身で、あらゆる手段を使って君の存在を訴える。
「だから越えよう」

 透明な戸の前に立つ。景色は抜け、既に瞳に写っている。
センサーが反応し、静かな駆動音と共に閉ざされていた透明な戸が開く。
足を踏み出す。
線を越えるために、境界を跨ぐ為に、
その瞬間に、隔された世界を超えた瞬間にセイバーは硬直したように震えた。





「ね、平気でしょ」
 何も起きるわけがない、はずもない。
セイバーは此処にいるんだ。
それが夢であるわけがない、はずもない。
「……シロウ、私の声が聞こえますか」
「あぁ、聞こえるよ」
 呆然とした呟き、信じられないといった声音色。
「……シロウ、私のこと感じますか」
「もちろん、令呪を介してだって、ラインを通してだって、セイバーはちゃんと此処にいる。感じられる」
 強く抱きしめる。
セイバーの鼓動が一層強く感じられる。
これ以上の存在証明はない。そう思えるくらいに感じられる。

「「……………………」」
 無言が二人の間を縫っている気がした。
それでも静寂は解けるように終わりを迎えた
「…………帰ってきたのですね、私は」
「うん、お帰り」
 俺が言う台詞ではない。
けれど自然と口が動いてしまったのだ
ようやくたどり着いた女の子、迷って道を失ってそれでも進んだ先の結果なら、出迎えの言葉が今のセイバーには一番相応しい。

 だから、自然と洩れてしまった言葉に涙する子の頭を、ただ俺は撫で続けた。
「戻ってこれた、夢じゃない、ブリテンに帰ってきた、夢じゃない」
 服を力一杯握り締め、顔を埋める女の子。熱病の様に、繰り返し重ねる言葉を、涙と一緒に流す女の子を、ただ俺は抱いていた。
静かに、イギリスに吹く涼しい風を感じられる程静かに。

………
………………
………………………


 まずい、目立ち始めた。
それもそうだ、空港の玄関口、バスやタクシーを待つロータリーで泣いてるセイバーを胸に抱いているのだ。否が応にも視線を集めてしまう。
しかも突き刺さる好奇の視線が、段々と不審者を見るものへと変わり始めている。
まぁ、アジア系の俺が、泣いているヨーロッパ系の少女(まぁ、セイバーは見た目があれだから)を抱いているのだ……かれこれ十分近く。そりゃ、不審者を見るような面持ちになるのはしょうがないと思うけど……。

 あ、そこの女友達で旅行中みたいなお二人、汚いものを見るような視線やめて下さい。
そこの家族旅行中のお父さん。なにこっちをチラチラ見ながら警備員さんと話してるんですか、勘違いですよ勘違い。やましいことは一切してませんよ。
スーパーの袋を脇に抱えた子連れのサザエさんへアーの奥さん。何が『し、見ちゃだめ』ですか。
「てか、何でそんなのがいるんだよ!日本にしか生息して無いだろ!!」
 日本語で大声を張り上げた俺に、周囲の視線がグリンっと向けられる。
「…………」
「……………………」
「………………………………」
「はは、なんでさ」
 沈黙する周囲を他所に、カツカツと歩いてくる警備員の足音だけが妙に響いていた。




※  ※  ※  ※  ※


「……疲れた」
 チェックインを済ませ、予約したホテルのベッドに倒れこんで出た台詞がこれだ。
理由は推して知るべし。語りたくない。
それでも眠ることはできない。
赤い悪魔監修、イギリス旅のしおりによれば、ホテルを出て周辺の散策と書いてある。
要はオックスフォード近くに構えられたこのホテルを拠点に散策しまくれ。とのことである。
観光地をただ周るより、一般人に紛れて過ごす方がそのお国柄を理解できると、遠坂は語っていた。
その点この場所、オックスフォードは最高に適した場所なのだろう。
世界的に有名な大学、大学生をターゲットにし展開されたマーケット街。そして最大の特徴として、大学構内が観光地として機能していることが上げられる。
「それに寝たら体内時計が狂うからな」
 昼に羽田を飛び出して、昼にヒースローに着くというぶっ飛んだ時差だ。
さすが地球の裏側。
「荷物の整理は終りましたね。早く行きましょう、シロウ」
 それに、セイバーがずっとこの調子だ。
きっとセイバーに尻尾があったなら忙しなく動いていた事だろう。
こう、リードを咥えてクリクリっとした目で切なそーに見上げてくる子犬みたく、
……やばい可愛すぎる。
何故か鼻を押さえて、アーっと天井を見上げる。
いまセイバーの目を見たら血が吹き出そうだ。

「準備はいいですね!できましたね、行きますよ?」
「アー」
 上を向いたまま、セイバーに手を引かれながら部屋をでる。
最近の俺おかしくないか?



「セイバー、もうちょっとゆっくり。そんなに急がなくても平気だよ」
「いいえ、だめです。時間は限られているのですから。シロウにはもっと急いでもらいたいくらいです」
 むん、と腰に手を当て、道場で俺を叱るような格好をしたかと思えば「おや、あれはなんでしょう?」と、道にでている店に向かってパタパタと走っていってしまう。
よほど楽しいのか、さっきからずっとあんな調子だ。
観光的要素のあるものなら、設置された説明板をフムフムと読み上げ、物売りの店ならば、店主にあれや、これやと質問し、楽しげな会話をしていく。
本当に楽しそうだ、ああやってはしゃいでいるセイバーを見ていると、
あぁ、本当に。
ここがセイバーが生まれた国なのか。
 人込みに紛れたセイバーは周囲の人たちに溶け込んでいて、冬木の町ではあんなに目立っていたセイバーの後ろ髪が、ここでは当たり前のものに写ってしまう。
そんなことに俺が妙な寂しさを覚えていると、セイバーは立ち止まって何かを見上げていた。
「ん、どうかしたか」
 セイバーの視線を追ってみてもそこにはレンガ作りの大きな塀が在るばかりで、視線を引くようなものはなかった。
「いえ、大したことではありません……ただこの壁が懐かしくて、」
 そっと、細く白い指で壁に触れる。
白くか細い少女の指は塀を撫で、その瞳はここではない別の場所を写している。
その表情は哀愁のよう、なんともいい難い形をしていた。
「すみませんでした」
「え」
 小さく漏らした言葉
「あ、いえ」
 俯くセイバーは小さく
「我が城の城壁も、このような赤焦げた色をしていたので……つい」
 囚われていました、と
告白した。
「―――――――――」
「―――――――――」
「すみません、突然。おかしなことを言いました、気にしないで下さい」
 微笑んで「さぁ、先を急ぎましょうと」背を向ける彼女に、俺は
「セイバー、」
「はい?」
「…………手、繋ごうか」
「……はい」







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