天の川へ架ける想い




  七月七日、
 笹を用意して短冊に願いを掛け、望みを枝に結ぶ
全国に知れ渡っているこの行事は、衛宮家でも例外なく執り行われ
二人の恋人、その再会を祝う日は、
酒乱達による、酒を飲んでの騒いでの宴会へと成り代わっていた


食卓を肴で満たし、酒で囲むその騒ぎは
天高く、星々にまで届きそうな盛り上がりをみせ
声高く、世界を覆うような騒ぎを起こしていた。


それでも宴は開けば閉じるもの、
宴もたけなわの頃合もとうに過ぎた時分
俺は縁側に腰掛け一人酌を取る女性ヒトを目にした。


「ライダー、休まなくて平気なのか?」
いくらお酒に強いライダーと言えども先ほどまで行われていた宴会は常軌と限度を大きく逸脱した飲酒量だった。
だって野生の化身、タイガーまでもが潰れるほどの量が飲まれたのだ。

「士郎は私があの程度の酒量でどうかなると思ってるのですか?」
「そうか、そうか。うん、そうだよな。あの程度でライダーが酔うはずないな」
神代を生きたライダーだ、メデューサと呼ばれた蛇の化身で、エーゲ海の女神様。
そんな女性を酔わそうだなんて無茶な話だ。
でも……あれ、蛇はお酒に弱かったんじゃなかったのかな? ほら純国産の八つ首蛇は酔っ払った処を殺されちゃったし……あ、でもライダーは外国生まれか…うん、流石だね。日本の蛇くんとは器が違うな、器が。

「士郎こそ休まなくてよいのですか?視線が浮いてますよ」
「あー、そうだ、そうだ。涼みに来たんだ」
酒で熱した体を醒まそうと此処に来たんだっけ、
「隣いいかな?」
「えぇどうぞ、ちょうど相手が欲しいと思ってたところです」
「それじゃ、失礼して」
ライダーの右隣に腰を降ろす。
足を外に放り出したら、足がカクカクと踊ってしまった。
あー、想像以上に酔っているなこれは、

黒く闇夜に照らされた笹は、色とりどりの短冊と一緒に夜風を揺れている。
空には少しだけ雲りがちだけど、星空は天気予報なんかに負けずに輝いて、大きな運河を見せてくれる。

「いい夜ですね、士郎」
「ああ、文句なしにいい夜だ。七夕はやっぱ晴れないとね」
夜空に輝く大きな川、隔てる織姫と彦星。
二人が逢うならやっぱ晴れていないと、

横ではライダーが日本酒を飲みながら星空を見上げている。
その姿、酔ってはいなくとも少しだけ上気した肌や、お酒に煽られた艶やかなその長い髪は、触れてみたくなるほどに綺麗で、天の川みたいに輝いている。

だから手が伸びたのだ。
目の前にこんなに綺麗な川が広がっているから、星の川が広がっているから、
とどかない空に流れる、綺麗な水流が目の前に広がっていたから、その雫を掬い取りたいと思ったから、
俺の手は、ライダーの美しい髪に触れてしまったのだ。
「し、士郎!?」
「綺麗だよなーライダーの髪って、あー本当に綺麗だ」
「あ、ありがとうございます」
手の中を流れる様に通り抜ける手触りは、至上の感触だ

「あ、あの士郎。手を離してくれませんか、くすぐったくて」
「本当に綺麗だ、勿論ライダーだって綺麗だけど、これがライダーの髪だと思うと更に綺麗に見えるよ」
「で、ですから士郎?!放して下さい、…か、髪は駄目なんです」
掬い上げ指を絡ませた雫、その香りを嗅ぎたくて、顔を近づけた。
「―――――ひゃうぅ!」
いい香りだ、すごく良い匂い。
とろけてしまいそうな感覚。
女神アテナも羨んだ美しさ、万人を虜にして、世界の女性から嫉妬される髪。
その嫉妬の香りを含んだ魔性の美しさは、何よりも俺の意識を酔わせる

「だ、駄目…止めて下さい」
「んー?」
ハッキリとしない混濁した意識に聞こえるライダーの声、甘い、甘い、甘美な声
このままライダーの全てを味わいたくて、俺は話しかける。
「ライダーさ、七夕の伝説って知ってる?」
顔を髪から離し、問いかける。それでも手は離れず、美しい髪をなで続ける。

「いえ、詳しくは知りませんが…それが何か?」
「いや、ただ知らないなら話してあげようと思ってね。聞きたい?」
「そうですね、聞かせて下さい。」
俯いてしまった顔で頼まれる。
顔を上げたらライダーは俯いてしまっていた。
表情を見たいのに、ライダーは星を見ないで足元を見ている。
だから空を見上げたくなるように、二人のお星様、その話を聞かせてあげる。

「それでは、お耳を拝借いたしまして。夜空に輝く二人の星、恋のお話をどうぞお聞きください」
芝居がかった口調だけどこれでいい、酔ってしまった頭ならこれくらいが丁度いい。
『むかーし、昔。星達が輝く国には織姫という機織の上手な娘が居ました。織姫が織る反物は、四季の移ろいと共にその色を変えるという大変美しいもので、織姫は毎日、毎日その機織り続け、来る日も来る日も織姫はただ機織を動かし続けました。』
語り口調で、喋り続ける。

『やがてそんな織姫にも夫となる人物が現れたのです。男の名を彦星といい、牛を追う働き者の青年でした。二人は結婚し結ばれ、とても幸せな生活を送っていました。』

この星空を一緒に眺めたくて、

『織姫は機織を忘れるほど幸せで、彦星は牛飼いを忘れるほど幸せでした』

幸せな物語を、悲しく切なくなる物語を、

『だけど二人は星の世界の住人、互いの役目を忘れるほどの恋は許されなかったのです』

語りは大げさに、情緒を伝えるように

『二人は引き裂かれ、共に天の川、その対岸に別れさせられてしまったのです。』
貴女に話す。

『二人は涙にくれました。互いの間には枯れることのない天の川が広がり、逢うことを許されませんでした。だけれど今日この日、七月七日その一夜のみ二人は逢うことを許されました。』

『織姫は機織をしながら、彦星は牛追いをしながら、今日この日、七夕の時に果たす逢瀬を夢見ながら時を過ごすのでした……おしまい』


「どうだった、七夕の伝説は?」
「……星は残酷なことをするのですね」
そうだな、愛し合う者の仲を裂くのは何より残酷なことかもしれない。
「でもさ、今は幸せだよ。遠くても、離れていても、愛するヒトが傍にいるんだ。今この瞬間はきっと幸せなんだよ」

七月七日、七夕。
今このときの逢瀬は、愛し合う二人にとって何より幸せなものになっているはずだ。

それでも黙ってしまったライダー

沈黙が流れ、表情は伺えず、ただ黙ってしまった。

そして、ぽたぽたと降り出した雨、空を覆い隠す雲。

「部屋に戻ろう。雲が出たんじゃ今日はもう終わりだ」
いつまでもライダーと縁側にいるわけにもいかず声をかける
夜風に長く当たっていたせいか、雨の憂鬱な音か、俺の思考はクリアになり始めていた。

「………………好都合です」
「ライダー?」
天気予報に逆らい続けたものの、ついには雨を降らしてしまった天気の何が好都合と言うのだろう?
「士郎、少し付き合って貰えないでしょうか?」
「あ、あぁ。いいけど何?」
「散歩です」
そう、微笑んだライダーは雨が降り出した空の下にでていった。
雨は強くない、でも天を覆う雲は雨を強くする装いだ。
それでも、雨に濡れる服を気にもせず。
俺はライダーが差し出した手を、しっかりと握った。


「出てきなさい、ペガサス」
夜を塗り替える、純白の色
編まれた血陣より生まれ出る幻想存在。
それでライダーの意図が掴めた。
道筋の無い散歩、天高い空中散歩

「行きましょう、士郎」
「ん、よろしくライダー」

巨大な翼をはためかせ、空へ駆け上がるペガサス。
ライダーは手綱を取り、空を目指す。
俺は、「高い!高い!高い!落ちるよ!!落ちるって!!絶対落ちるーーーーー」
ライダーの腰に腕を回し喚いていた。
怖いよ。だってライダー垂直に上昇するんだもん。時速どんだけ出てんだよ、



「あー死ぬかと思った」
恐怖のペガサスコースターは雲を突き抜けてようやく停止した。
「あの程度で悲鳴を上げるとは……その様な事では立派な騎乗兵になれませんよ」
……ならないよ
ま、それでも見上げる空は広大で叫んだだけの価値はあったんだけど

「……すごいな」
全視界、百八十度広がる景色は、遮るもの無く悠然と広がっていた。
「私も…想像していた以上です」
そらから宇宙そらを見上げる不思議な感覚。
棘のように光る、町の光は雨雲が覆い隠してくれて、
過去にみたどんな星空よりも光輝いていた。


「士郎、あれが天の川ですね」
ライダーの指差す方向を見ると、かつて無いほど広がった天の川が見えた。
「そうだよ……あ、あった。ほらライダー、あれが織姫と彦星」
見つけた一等星を教えてやる。

「あれと、あれですか?」
「そ、左に見えるのが織姫で右が彦星」
「本当に天の川を挟んでいるのですね」
そっと呟く唇。
流麗なその動きに、また心臓の刻む鼓動が速くなってしまう

「士郎、魔眼殺しを外します。絶対に私の素顔は見ないで下さい」
「分かってる」
理由は聞かない。
敵が居るのではない。ただ目の前に星空が広がってるのだ。
三百六十度、何も無い空間に巨大な星海が広がっているのだ。
空を駆け、雲海を抜け、天に一番近いこの場所で、視界を遮る物なく星を見てみたいと願ったライダー。常に人を石化させてしまう危険を伴なった瞳を備えた彼女が、ただの短冊に込めた願い。

『この世界を見てみたい』

誰の姿をも裸眼で捉えることの許されないライダーが願った、たった一つの願い。
それを知っているから、目にしてしまったから、聞くようなことはしてはいけない。

一日だけの、逢瀬ですか……
「ん、もういいの?」
何かを言った気がしたので、もういいのかと思う。
「まだ、魔眼殺しは付けていませんよ」
素顔のまま振り向いていいのですか?とライダーの笑った声。
楽しげな音色が込められた言葉だけど、素顔が見られないのが惜しい。
だって絶対に笑顔のライダーは、綺麗だと思うから。

「ん〜、命を賭ける価値はあるよな。あぁ、それは絶対にある」
「士郎の命は私には重過ぎますので、覗き見は絶対にしないで下さい」
「分かったよ」
「…………」

静かに流れる時
それでも、今日の終わりは刻々と近づく。
織姫と彦星の別れも刻々と近づいてくる。

「…………」
「…………」

それでも流れる沈黙は、どんな意味を持つのだろう?
いや、この考えも可笑しい。
俺とライダーは今日限りで来年まで会えないような関係ではないのだ。
朝起きて、おはようの挨拶を日常として交わす仲なんだから。

「士郎、私はサクラのことを大切に思っています」

閉ざされていた唇がようやく沈黙を捨てる。

「知ってるよ」
誰よりも桜の身を案じてるライダー
遠坂と違って血の繋がりは無いけど、血の繋がり以上に強いナニカを二人は持っている

「サクラの願いは全て叶えてあげたいとも思っています」
「ライダーらしいな」
「………………」
そして沈黙、何かを必死に言葉にしようとしているのは分かるんだけど、
ライダーは直ぐに口を閉ざしてしまう。

それでも、満天の星空を見上げると意を決したようにまた話し出してくれる。
「私はサクラのことが好きなんです…きっと。」
搾り出すような声、星空に向かう声

「……だから、私の想いは抑え隠さなければいけないんです。」
それでも最後に言葉を、溜めていた感情を押し殺すようにライダーは吐露した

「何をいって…」
「今日、この時だけで構いません。私の気持ちを識っていて下さい」
どれもこれも、何もかも、全てが分からないことだらけだった。
それでも一つだけ確かなこと、
何よりもリアルなこと、

涙を流したライダーの素顔と綺麗な瞳。
触れ合う唇の感触。

それがこの星空にある全てだった。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


朝だ。
七夕と呼ばれていた夜は明け、日常の朝が私にやってきた。
枕元に置いてある眼鏡を取り、身に着ける。
これが私の朝だ。

洗面所へ向かう
浴槽へと続くこの場所は脱衣所としても利用されるスペースだ。
この家は女性の出入りが多いためか、最近脱衣所の扉は施錠できるようになった。
士郎の日曜大工の成果だ……いけない、そんなことはそうどうだっていい。
洗面所で顔を洗うとき、他人の気配に気を配らなくて済むようになったのは私にとって行幸だ。

食卓へ向かう
今日の当番はサクラのはずだ。
朝食の交代制は話し合いで決めたことだ。
あの士郎とサクラがあれほどに揉めるとは、あの時は予想だにしませんでした。
いけない口元が緩んでる、気をつけなければ。

「あ、ライダー起きたのね」
「はい。おはようございます、サクラ」
「おはよう、ライダー」
笑顔で応答してくれるマスター。
そうだ、私はこの笑顔を守らなくてはいけない。

「む、起きたのですか」
誰よりも早く食卓についているセイバーが告げる。
「えぇ、起きました。貴女は相変わらず早いですね、セイバー」
「当然です。食事の時に遅れるわけにはいきませんから」
正座の体制のまま胸を張るセイバー
……このサーバントには嫌味が通じないのでしょうか?

「あ、セイバーさん。食器並べるのを手伝ってください」
「分かりました。して今日の朝食はどのような献立になっているのですか?」
「ふふ、完成するまで秘密です」

日常がある。
いつまでも続く日常が此処にあるのだ。

「ライダー、ライダー?」
「な、何か?」
「ライダー大丈夫?気分悪くない?」
いけない考え事が過ぎたようだ。気をつけなければ
「平気ですよ、それより何か用があったのではないのですか?」
「あ、そうそう。ライダー、先輩を呼んできてくれないかしら」
心臓が跳ね上がる。
まずい、駄目だ、平静を取り繕え。サクラに不審を抱かせてはいけない。

「きっとこの時間なら道場の方で稽古してるはずだから」
道場。道場に行けばいいのか?
分からない、駄目だ落ち着いて。
いつも通り、いつも通りにやれば平気なはずだ
「分かりました、士郎を呼んできます」
日常を、大切な日常をこんなことで壊しはしない

道場前の扉が酷く歪んで見える
大丈夫。大丈夫。大丈夫。
記憶は消した、昨夜のことは覚えていないはずだ。
ドックンドックン早鐘を鳴らし続ける心臓を必死に押さえながら私は戸を開けた

「ん、ライダー呼びに来てくれたのか?」
「はい。サクラが呼んで来いと」
「悪いなライダー」
「いえ、特に不快に思うことはありません」
「そうか。じゃ、早く戻りますか」
「えぇ、そのように。では私は一足先に戻ります」
「あ、待って」
「……何か?」
「昨日さ、ライダーと縁側で会ってからの記憶が無いんだけどさ、」
「し、士郎は昨夜かなり酩酊してましたから、そのせいなのでは」
「そうか、そうだよな。うん、悪いな呼び止めて」
「いえ、気にしてません。それでは失礼しま「あ!そうだライダー」」
「何でしょう」
「来年、また七夕やろうな」

「……………………はい

背中越しに扉を閉める。
何故だろう?泣きそうになった
いや、私は泣いている。
これは何?

自問を繰り返してみるけど分からない。
全然分からないけど、
来年また逢えることが楽しみになった。
大丈夫、一年くらいアッというまだ。
あの思い出で私は一年間がんばれる。



「…………あ」

少しだけ、あの二人。織姫と彦星のことが理解できた気がした。