くろねことらいおん




季節は春と呼ぶにはまだ少しだけ早い、春先
木々の葉は芽吹き始め、緑の香りが少しずつ漂いだし始めた頃
一匹の黒猫は見知らぬ土地へ、春が木々を誘うように黒猫も何かに誘われここに来た





黒猫とライオン


それの家は一人で住むには大きすぎて、寂しくなってしまう大きさの家だった
いや、この建物の造りは屋敷と呼ばれていたかもしれない、この国独特の趣がある家だった

塀は高い、でも塀の中が気になったので登てしまおう

そう思い至り、一息に登る。
一番上は瓦が突き出していたけど平気

見渡す庭は、やっぱり見渡すほどに広く、
そこに生きる植物は清浄な気に守れたように、涼やかに生きている
なぜか、この庭木が葉を大きく広げたらなら春になる
春が来るのではなく、春になる
そう思えるような場所だった

ふと目に留まる色があった、周囲にはない色だった、それは輝くような色
それは縁側に腰掛け、ゆっくりと景色を眺める人の、髪色だった
この家には似合わない綺麗な金髪、でもこの家の空気にはよく似合う綺麗な金髪
お日様の照らす光を吸い込むようで、反射するような優しく輝く色

その人は手を止め、まるで最初からここに居るのを知っていたかのように、自然と視線を向けてきた
目と手で誘われたので、庭に下りてあげる
その人は嬉しそうに笑みをこぼして、伸ばした手と声で、私を誘う

いっしょに過ごしましょう

眠くなるような光、心地よくなる風
その時間を共に過ごしましょうと、私を誘う

その魅力的な誘いに誘われて、誘い人が座っている場所に登る
靴が並べて置いてあった石に乗って、誘い人が座っている場所に登る

近くで見たその人は女性で、やっぱり嬉しそうな顔をしてくれた
嬉しそうな顔を見るのは嬉しいので、私はその人の近くで過ごすことにした

寝転んだ木製の床は暖かい、きっとこの優しい光が暖めてくれたのだ
暖かい光、私の体をなでる風
この静かな時間の中で私は目を閉じる
穏かな光、私の体をなでる風
この静かな時間の中で私は時を過ごす

時間はまだ来ない
夢が始まることは無い
相手はまだ来ない

隣で同じ時間を過ごしている女性は、庭の風景を焼き付けている
それは過ぎ去った故郷に思いを掛ける哀愁のよう
忘れえぬ記憶の風景を忘れないよう
それは儚い祈りの様な願い

かつて私が願ったように

もう戻らない大切な時を
夕焼けに塗られた黄金色の草原を
久遠に似た時を生きるとしても
忘れたくは無い

かつて私が願ったように

過去の景色とこの場に吹く風に揺られていた私は、
時間の経過を忘れていたようだ
それは隣の女性も同じようで、ここにある景色に時間を奪われていたようだ
気づけば日は傾きを変え地平に沈みだそうとしている

時間が近い
幕が下りようとしている
人物は近い

最後だから
ゆっくりと立ち上がった彼女は
この家にはある、普通の家には無い建物
だけれど
この家にはある、欠けてはいけない建物
ゆっくりと歩き向かった彼女は

懐かしい、と
この場所には思い出がある、と
感慨を漏らした

懐かしい、と女性が漏らした場所が私も気になったので、私も向った
土で足が汚れないように、草や石畳を踏みながら
そして着いた場所は、見上げる建物で私には扉は開けられない
それでも女性は中に入ってしまったから
届かない扉を開けて入る

何もない、ここには、何もない

一人先に入っていった彼女は、やっぱり一人で立ち尽くしていた
悲しい、と
この場所はこうではなかった、と
泣くような感慨を漏していた

何もない、ここには、何もない
モノもなければ飾り付けるようなモノもない
あるのは痕跡だけ
たとえば深く抉られた足跡、たとえば口から吐いた血液、たとえば魔術で焦げた壁、たとえば刺さった跡、たとえば、たとえば……

その数え切れない跡、痕跡を愛おしい、悲しいと漏らした
数え切れない跡が、跡に至る全ての傷が愛おしく、悲しいと漏らした

そして気づいた、幕が開く音に
彼女は気づいた幕がもう閉まってしまう音に

時間が来た
幕が開こうとしている
彼が来た

開始のベルに彼女は歩き出した
開始のベルに私も歩き出す

目指す場所は広い、綺麗な場所
その中央に彼女は立つ
私は離れて見守る
彼女は銀と青に包まれた姿で立つ
私は離れて見守る
彼女は王だった

そしてやってきた彼、白と黒を両手に携えて飛び込んでくる彼
全てが整った、
刻限は夕暮れ、朝と夜の境界
全てが霞み、全てがあやふやになる時間、幕を開く
私が開く、この物語は二人のだけの時間
私は傍観者になる

夢が始まる……

飛び込んだ彼はピタリと凍りついたように止まる
悪夢を見ているように一歩も動かない
見て取れる男性は右手に赤い布、そして腰にも赤い布が付けられている
髪は白髪交じりで、名残のように赤い髪が見て取れる
瞳は困惑と混乱で彩られている

だってこれは悪夢だもの

両手にそれぞれ握った黒と白の相反する陰陽の剣
そこに敵意は宿れず霧散してしまっている
それでも警戒だけは解けないのか、未だに構えだけは取っている

それは本能
彼が歩んできた道
彼がこれから歩くために必要なすべ

それでも心は付いていけず立ち止まってしまう

だってこれは彼の悪夢だもの

彼女が名前を呼ぶ、
私のじゃない、
これは未だ動けずにいる彼のモノだろう

名を呼ばれたことで彼は動きだす
彼女が溢した愛しげな発音
名前ではない、名前を呼ばれたから時が動き出したのではない
彼女が…彼女しか呼ばない……彼女しか呼べない発音を、音色を、音程を…………
その全てで彼を呼んだから彼の時は動き出す

その呼び方こそが彼女が彼女である証
そう呼ばれることが、彼女を彼女と証明する証

それでも、信じているのに信じられない
信じているのに信じたくない
彼は必死に言葉を重ねて彼女の存在否定を行う

聖杯、破壊、時間、英霊、令呪、魔力

彼は数を重ねた言葉で彼女の存在を否定する
彼女は重ねられた否定の言葉を黙って受け止めている
ただ真摯に受け止めている、彼を信じているのだ

彼の言葉は次第に数を失い、勢いを失う
勢いを失った言葉はそのまま停止してしまう

沈黙が流れる
そんな痛いくらいの沈黙に耐え切れなかった彼が語りだした


こんな姿を君に見せたくなかった
理想は色あせた
それでも輝きを取り戻せるように追いかけている
でも、もう疲れた
沢山の人たちを救いたいんだ
そのために人を殺した
英雄と皆に称されるようになった
救った人々に偽善者と貶められる
目指した魔術使いになった
貴重なサンプルだと封印指定を受けた
町を死都にした吸血鬼を狩った
俺を飼い殺すため教会に異端として狙われた




自分の魔術を利用しようとする人間を退ける日々
彼は魔術協会からも狙われ、聖堂協会からも狙われる日々を過ごしながら
ただ一人、たった一人、
人々を救い続けている

これからも振り返ることもなく一人でその道を歩き続けるのだろう
たった一人で誰にも弱音を吐くことなく歩き続けるのだろう
そう誓ったから、

それでも彼は立ち止まってしまった
初めて歩みを止めてしまった
彼女という悪夢の前に、始めて道を振り返ったのだ

これは彼が夢見る甘美で残酷な悪夢

言葉は途切れた、懺悔もし尽くした
振り返った道は血に濡れ、
その道は黄泉路となり、彼を英霊の座へと押し上げることだろう

その道を、その過程を、結果を知っていながら
全てを聞き終えた彼女は、何も言わない
その道を止めるようなことはいわない




木漏れ日の中彼女は恥ずかしそうにいっていた
『彼は不器用ですから迷いながら生きて、答えを見つけぬうちに死んでしまうのでしょう。――――それでもいつか必ず気づくはずです。最初から持っていた願いに、…原始の想いに』
それが彼を語った彼女の嬉しそうな言葉だった




彼女は傷つき倒れる彼の道を
茨に包まれ、理想さえも折れてしまう茨の道を信じているのだ
彼が剣製の魔術師であるように、折れても熱い炎が鉄を溶かし剣を鍛えるように
その道と願いが続くことを……

   だから一言だけ
      「私は信じています。」
          そう答えたのだ

その答えに……涙を流して懺悔をしていた彼は初めて彼女を直視した
真っ直ぐに彼女を見つめた。

夜へと傾き始めた夕暮れに
伸びた木々の影からそっと取り出すように、彼女は鞘に包まれた一本の剣を取り出す
鞘からすっと剣を抜いて放ち彼へと掲げる
それに、その光景に照れたように不器用に笑って、持っていた夫婦剣を幻想へと還し、
装飾の鞘に包まれた剣を幻想から取り出す
鞘からすっと剣を抜いて彼女へと掲げる
お互い左右対称に向き合った二人は笑顔で、美しい二振りの剣を重ねあう
キンと鐘よりも澄んだ音が響き渡る

それは新たに交わした誓い
それはかつて交わした誓い

誓いの響きを聞き終えた彼女はゆっくりと色褪せ始める

夢の終わり、舞台の閉幕

その彼女を涙を流さず見送っている
笑顔で見送りたいと見つめている
その真剣な目に照れたような笑みで優しく
「あぁ、安心しました。」と微笑むのだった
それを最後に彼女は消えてしまう、夢が閉じたのだ

その光景を一人、暗闇の中で見送った彼は力が抜けたようにフッと膝をつき咽び泣く、
大きな声で咽び泣く、
誰かの名前を大きな声で、精一杯の愛しさを込めて叫び、泣き続けている

これで、私の役目は終わり
悪夢はこれで終わった
私は一人庭の真ん中で泣き続ける男の子を後に塀からこの場所を立ち去る

      それは誰かの願い、誰かの夢
         
    女の子が夢の中で会いたいと思った男の子は、
                これからも自分の道を歩き続けるのでした。